4.仲良くはできませんので

 翌朝、紅葉は見慣れない天井を見つめながら目を覚ました。


 横になっているベッドも、包まっている毛布も普段使っているものではない。


 まどろみの中寝返りを打つと、部屋の中央で黒のローブをまとった少女が荷物をまとめているのが見えた。


「夢か何かじゃ、なかったか……」


 ぽつりと呟いた彼の一言が少女の耳に届いたのか、少女――マナ=メイヘルンは荷造りする手を一旦止め、紅葉の方を振り向く。


「おはようございます、アオキさん。昨晩はよく眠れましたか?」

「お、おはよう。夢も見ないくらいぐっすりでし……、だったかな」

「ならよかったです。朝食はテーブルの上に用意していますので、起きたら食べてしまってください。玄関の水桶に水を汲んできているので、顔を洗う時はそれを使ってください」

「ありがとう」


 ベッドから体を起こし、まずは顔を洗いに玄関に向かう。とはいえ、一部屋しかないこの小屋は玄関と広間が一続きになっているので、向かうというほど移動はしないし、水桶もベッドから見える位置に置かれている。


 冷たい水で顔を洗ってから広間に戻り、用意された朝食のパンとスープを前にして手を合わせる。保存用に焼き固めたパンをスープに浸して口に放り込みながら、紅葉は昨晩のことを思い返していた。


 あのあと色々と会話したが、その中でも重要なのは三つ。


 カロッジの能力は千年間効力を発揮し、今年がちょうど千年目である。


 英雄と最初に出会う人物は、その代のメイヘルン家の末裔となるよう因果を結びつけられている。


 そして、滅亡の危機から国を救うことができれば、紅葉は元の世界に帰ることができる。


「それで俺が最後の英雄になる、ということですか……」

「そういうことになります。そして、その英雄が元の世界に帰るのを助けるために、私も全力でサポートする役目をおっています」


 表情を崩すことなくそう言うマナは、幼い顔立ちとは裏腹にとても頼もしく見えた。事実、昨日の大蛇を圧倒した彼女だ。この先あのような敵が現れたとしても、彼女が負けるようなことはそうそうないだろう。


 だが、それでも不安がぬぐい切れるわけではない。いくらマナが誰にも負けない強さを持っていたとしても、万が一ということがある。


「……まあ、だからといって、はいそうですかと簡単には決心できませんよね」


 紅葉の顔に暗い影が落ちたのに気づき、マナはすかさずフォローに入る。


「ひとまず今日のところは休んで、明日王国に向かいましょう。国を救うにせよ、救わないにせよ、知っておくべきことは知っておいた方がいいですから」

「そんなこと言っても、俺が決心しないと困るんじゃ……」

「そうですね。ですが、英雄である前にあなたは巻き込まれただけのただの人間です。気持ちが分かるとは言いませんが、少し心を整理する時間くらい欲しいんじゃないですか?」


 彼女の言葉に紅葉は頷いた。実際には心の整理だけでは済まされないだろうが、今はそんな些細なことを気にしていられるほど心に余裕もない。


 だが、彼女の言葉に、紅葉は少なからず救われてもいた。右も左も分からない世界に飛ばされても、たった一人だけだったとしても、彼女は紅葉の心強い味方になってくれている。


「それでは、あなたはそちらのベッドを使ってください。私は別の場所で休みますので」

「あ、あの――」


 背中を向けるマナを紅葉は不意に呼び止めた。


 彼の声にマナが振り返るも、紅葉から二の句が出てくることはない。考えるより前に行動に移してしまっていたせいで、紅葉自身、何を言おうか準備していなかったのだ。


 そんな紅葉に、マナは急かすでもなく、ただ静かに次の言葉を待っていた。


 少し間があってから、紅葉はおずおずと口を開く。


「俺は、その、英雄なんて柄じゃないし、王国を救うだなんてできるかどうか分からないけど、それでも……、よろしくお願いします」


 そう言って、紅葉は右手を差し出した。


「……そうですね。こちらからもよろしくお願いします」


 紅葉の仕草にぴくりと反応しつつも、マナも彼の意図を汲んで、差し出された右手を握り返す。


 その表情は、どことなく固い。


「それと、私に対して敬語は不要ですよ。私はそうできた人間でもありませんから」

「え?」

「あと、私はあなたとは仲良くはできませんので」

「え?」


 そして彼女は、紅葉の手を振りほどいてしまった。


 それから二、三言葉を交わして、それではおやすみなさいと、マナは紅葉を一人残して小屋を出てしまった。


 それから仕方なく、紅葉は小屋に一つしかないベッドに横になる。だが、仲良くはできない。彼女がそう言い切った理由を考えるばかりで眠れなかった。


 なにかにつけて世話を焼き、あまつさえ紅葉の味方になると言った彼女だ。負の感情から出た発言ではないだろう。


 むしろ、紅葉に対しどこか負い目を感じているような、申し訳なさそうなマナの顔が頭から離れず、しばらく紅葉は眠れないまま夜は更けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る