3.メイヘルン家の末裔

「さて、そろそろ落ち着きましたか?」

「はい、本当にありがとうございます」


 太陽が山の向こうに隠れ始めようとしていた頃、紅葉の涙はようやく止まった。


 小屋にある唯一の窓から差し込むオレンジの光が広間を柔らかく包み込み、少女の白い髪を鮮やかに染め上げている。


「どういたしまして。では、私の話を聴いてくださいますか?」

「お願いします」


 そして、彼女はおもむろに口を開く。


 およそ中学生くらいの少女が纏っていいような雰囲気ではなかった。やけに大人びた内面をそのまま映し出すような静けさと、その中に見え隠れするぴりついた空気に、紅葉は思わず息を飲んだ。


「あなたは元いた世界から、この国を救う英雄としてこちらの世界に呼ばれました」

「最初の説明からすでに何を言っているのか分かりません」


 紅葉は思わず飲んだ息を吐き戻した。


 元いた世界? こちらの世界?


 それではまるで本当に、漫画かゲームの世界に来てしまったようではないか。


 そんな紅葉の反応を見越していたのか、少女は構わず説明を続ける。


「それもそうでしょう。ですが納得できなくても理解はしてください。あなたが元いた世界では起こり得ないことを、すでに嫌というほど目にしてきたでしょう?」


 そう言いながら、少女は手のひらから握りこぶし大の火の玉を出現させてみせた。それが手品でもなんでもない、まさしく魔法とでも呼ぶべきものだというのは紅葉にも分かっている。


 それだけではない。気付いたらそこにいた見知らぬ土地に、身の丈を超える巨大な蛇。紅葉を一切傷つけることなく谷底全体に燃え広がったかと思えば、大蛇のみを焼き払った少女の炎。もはやいちいち挙げていてはキリがないほどだ。


「最初は夢かと思いました。なんなら今でも思っています」

「そうでしょうね。ですがこれが現実です」

「それでも俺が信じないと言ったら、どうなりますか?」

「間違いなくあなたは死にます」


 少女はさらりと言ってのけた。だが、それが嘘ではないということは分かっている。


 彼女が助けてくれていなければ、自分はとっくに死んでいたのだから。


「では、話を戻しますね。こちらの世界では、あなたのいる世界からたびたび人がやってくることがありました。ちょうど今のあなたのように」


 それから少女は、彼女のいるこちらの世界にある、とある王国についての歴史を語り始めた。


 今からちょうど千年前。少女の世界にたびたび訪れる異世界の人間達。彼らが持つ稀有な能力や異なる世界で身につけた知識を、王国の存続と繁栄に利用しようと画策した人物がいた。


 当時王国の有力貴族の一つであったメイヘルン家当主、カロッジ=メイヘルン。彼は自身が持つ二つの事象を原因と結果の関係にしてしまう『因果を結びつける能力』で、王国に滅亡の危機が迫るという原因と、異世界から来訪者が訪れるという結果を結びつけた。


「彼がその命と引き換えに使用した能力によって、以降千年もの間、その王国は異世界からの人間の力を借りながら発展を続けてきました。そしていつしか、異世界から訪れた人々は王国を救う英雄と呼ばれるようになり、今に至ります」


 まるで慣れ親しんだおとぎ話を語るかのように、慣れた口調で彼女は説明を終えた。


「ひとまずは以上です。ここまでで何か質問はありますか?」


 少女に質問を促され、紅葉はふと考え込む。


 聴きたいことといわれても、先ほどの彼女の話すらまだ満足に理解しきれていない。そんな状態で質問など、すぐには浮かんでくるはずもなかった。


 第一、どうして自分なんだ。何の能力も知識もない、こんな平凡な自分が、いきなり救国の英雄になれといわれても無理がある。


「……あ」


 いっそその役目を断ってしまおうか、そう思って口を開きかけた時、紅葉の頭に一つの質問が浮かんできた。


 何より最初に、彼女に聴くべきだった質問を。


「そういえば、あなたの名前は?」


 紅葉の言葉に、少女はきょとんとした顔で彼を見つめた。


 まだ名乗っていなかったことを彼女自身忘れていたのだろう。不意打ちのように見せた彼女の表情は、ひどく大人びた彼女が初めて見せた年相応の表情だった。


「……そういえば、自己紹介がまだでしたね」


 だが、瞬きする間にその表情は消え失せ、また元の大人びた少女に戻ってしまう。


 それどころか、先ほどよりもさらに真剣な顔をしている。


 彼女は椅子から立ち上がると、スカートの裾をつまんで軽く持ち上げ、片足を後ろに回し、膝を軽く曲げてお辞儀をした。


「メイヘルン家末裔、マナ=メイヘルン。最後の英雄となるあなたをお待ちしておりました」


 痛んでぼろぼろな服装と幼い少女の顔立ち、場所は古びた薄暗い小屋の中。


 みずぼらしく、ちぐはぐで、それでいて見事なまでに洗練されたその仕草に、紅葉は思わず見惚れて言葉を失った。差し込む夕日に照らされた少女は、まるで一つの幻想的な絵画のようで、夢のように綺麗だった。

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