第3話 世紀末的風貌の男(1)
起床確認もその一つなのだが、如何せん統香自身には午前中に起きる気が全くないため、今となっては形骸化している。
とはいえ声の一つもかけないというのは職務怠慢にあたるため、一宮は急務でない限りは、午後の適当なタイミングで軽く声をかけることにしていた。
午後二時を少し過ぎた頃、その日の業務のほとんどを終わらせた一宮は、統香の部屋へ向かう前に中庭のテラスで小休憩を取っていた。
天気は雲一つない快晴で、近くの森から聞こえる鳥のさえずりや、優しく肌を撫ぜる暖かい風、何より全身へ溶け込むように注がれる陽の光が決め手となって、彼女はふと目を閉じてしまった。
ほんの数秒。
しかしその実二時間超。
次に一宮が目を開けた頃には、既に陽は傾いており、濃い夕空の下、向かいの席で統香が机に伏していた。
「マエストロ…?」
「んぁっ!…あぁ、勿体ない、夕方に寝るとこだった」
「おはようございます。
…申し訳ございません、起床確認を忘れてしまいました」
「ん。おかげで三時半まで寝れた」
逆光で影になっているその顔が、頬杖を付いてこちらへ微笑むその顔が、なぜか鮮明に見えるようで…
「…いくらなんでも寝すぎです」
むずがゆい。
「でも寝足りないんだから不思議だよね」
統香は煙草に火を点けると、空を仰いで煙を吐いた。
「あ~明日買い出しか~…」
「…」
「ん?」
「いえ…そうですね」
「鼻赤いよ。冷えちゃったかな。
…部屋戻ろっか」
「…はい」
深紅の髪が風に靡く。
咥え煙草で煙を吐く。
両手はジャージのポケットに入れ、猫背気味に自分の前を歩いている。
一見するとチンピラのような後ろ姿にさえ、何故だろう…私は見惚れてしまう。
「晩飯決まってんの?」
「…そろそろ卵がヤバいので、オムライスですかね」
「最高じゃん。じゃあ出来るまで作業しよっと」
「はい」
品のない仕草の愛らしいこと。
ふいの表情の美しいこと。
絵になる人って言うのは、きっと、こういう人のことを言うんでしょうね。
…絵描きに対して「絵になる人」って言うのは、ちょっと変かもしれませんが……
* * *
俺の名は
こんな見た目で誤解されることも多くあるが、俺ァ自分がこの名前に恥じねえ真っ当な漢だと思っている。
それにこの真っつー名前は、顔も名前も知らねぇ、声も知らねぇ、見た目も、性別も、何もかもがわからねぇ俺の主から貰った、数少ねぇ大切なもんだ。
早ぇ話が気に入ってんのさ。
この名前と、恐らく俺の主であろう男の肖像画が入れられてる、このロケット。俺ァこれだけあればいいって、ちょっと前まではそう思ってたんだがな……まあ、そんな知らねえ尽くしでいつまでもいられるわけがねぇわな。
好奇心ってやつさ。
「ふぅ…」
ポリゴンの中心。協会本部のお膝元…っつーのかね。
なんにせよ、ここまでくりゃあ協会が力を貸してくれるハズだ。
「むっ…!」
この路地裏……におうぜ。
「オラアッ!」
「がっ!」
リンチか…
ちっ。いくらポリゴンっつっても、こういう闇は無くなんねぇもんだな。
「オイ!やめねえか!!」
オラ、逃げろボウズ。
「ああん?誰だよオッサン…」
「ツゥかなんだよそのナリは?世紀末かァ?」
「邪魔すんならオメェもヤっちゃうよ?」
「…」
数は…やかましい人間が三人と、沈黙の
量産型とは言え、機械人形相手は初めてだな…
「手荒な真似は好きじゃあねえが…いいぜ。来いy」
大都市ポリゴン。キューブの北端に位置し、国の玄関口として輸入出の大部分を支えているこの街には、通常国内では入手の困難な画材も多く出回っている。
この日、統香と一宮は画材の買い出しのためこの街を訪れていたのだが、その途中に「量産型の機械人形が世紀末的風貌の男をぶん殴っている」と通報を受けた協会によって、現場へ派遣される運びとなったのだ。
「画材周りは私よくわからないんですから、マエストロでしっかり管理していただかないと…」
「ごめんって。次から気を付けるからさ」
「それ、前にも聞きました」
「それも前聞きましたぁ」
「はあ。しっかりしてください。ほら、着きましたよ」
「ったく、買い出しだっつってんのにクソ協会が…
で、通報があったのはこの奥だっけ」
「はい…でもやけに静かですね…もう終わってるんじゃないですか?」
二人が顔を覗かせて路地の様子を伺うと、そこにはギッタギタにノされた男が倒れていた。
レザージャケットは砂埃で汚れており、モヒカンはセットが崩れ、サングラスと肩口のトゲはへし折られているという、無残な姿であった。
「うっ…」
「あっ世紀末!一宮!グラサンモヒカンの世紀末が倒れてる!」
「随分なヒャッハーですね」
指差し呼称で嬉々とした様子の統香とは対照的に、一宮は粛々とした様子で倒れている真へ声をかける。
「もう大丈夫ですよ。今治療しますから」
軽い打撲が数か所。でも他は…うん。大丈夫そうですね。
これなら手持ちの道具で済みそう。
「うっ…す、すまねぇ…ア、アンタは…?」
「協会の者です。通報があったので臨場しました」
「そ、そうか……ッロ!ロケット!ロケットペンダントはっ!!?」
「動いちゃだめです。ちゃんと首にかかってますから、安心して」
真は血相を変えて上体を起こすも、真剣な眼差しの一宮にそう制され、ゆっくりと身体を寝かしながら自身の首元を探った。
すると、指先からは触れ慣れたロケットの感触が確かにあり、真は大きく息を吐いて安堵した。
「…はぁ、よかった……。ありがとな姉ちゃん」
「いえ。
もうすぐ終わります。じっとして」
「あっああ、すまねえ。
後ろの姉ちゃんは……ッ!?」
「おん?」
統香に気付いた真は跳ねるように飛び起きると、そのままわなわなと震え出した。
「ちょっ!ヒャッハーさん!!」
「姉ちゃんすまねえ!
ア、アンタァ…!
マジかよ!いきなり大本命だぜ…!
確かこの人なんだろ?事件解決率みてぇなヤツのトップは!
ヒビの入ったサングラスの奥で瞳をキラキラとさせていそうな雰囲気の真を前に、対する統香は
「え…?うぇっ!?」
まさかの事態に混乱していた。
ちょっっっと待て何で私がわかる!?
「ただの世紀末」「随分なヒャッハー」じゃねえのかお前は!
でも…ってことは……
統香は一宮とのアイコンタクトを試みた。
やや眉間にしわを寄せて目を閉じた一宮が首を振る。どうやら同じ考えらしい。
画家としての活動で滅多に顔を出すことがない統香にとって、自身の顔と名前が一致する相手というのは、百パーセント協会絡みで、早い話が面倒事を持ってくるのだ。
「そうだけど、アンタは?」
「ああ、すまねぇ。俺は真っつー機械人形だ。
アンタら協会の人間に一つ頼みてぇことがあってここまで来たんだよ」
「やっぱ面倒事じゃん…って、機械人形?へぇ~珍しい」
「あ?何でそんな…」
「機械人形は基本的に単独行動をしないものなんですよ」
「そうなのか…じゃあやっぱ…」
「ん?」
「いや、そうだな。
礼もしてぇからよ、ちょっくら移動しようや」
* * *
真の治療も無事終わり、三人は大通りにあるドーナツ専門店『Enkei』へと入店した。
「二人には、俺の主を探してほしいんだ。
報酬とは別にこの店のモンも好きなだけ頼んでくれていいから…頼めねぇか?」
「要は絵描き探しっしょ?いいよ」
「そうですね。問題ないかと」
協会本部に行けば一時間もかからないでしょうし。
「マジか!?」
「ん?何かマズい?」
「い、いや、俺ァてっきり何か手続きがあるもんだと…」
「んなもん事後申告よ。お役所のかったるい処理なんていちいち待ってらんないよね」
「大丈夫なのか…?」
「大丈夫大丈夫。文句とか言われたことないし」
「マエストロは筆頭ですから」
「そ、そうか…よくわかんねぇが、それなら助かるぜ。ありがとよ」
「んじゃ、そうと決まれば甘味じゃ甘味!」
「マエストロ、あまりがっつくものじゃないですよ」
「……一年前、俺はポリゴンの外れにあるボロアパートの一室で目が覚めたんだ。じめっとしていて路地裏のように暗いところでな…家具なんて何にも無ぇ、殺風景な部屋だったのをよく覚えてるぜ」
「ほ。何か手がはりになりほうらほのほははっら?」
「何か手がかりになりそうなものもなかった?と」
「手がかりな。あったのは金が入った麻袋と、いくつかのキャンバス。あとはこのロケットだけだ」
真から差し出されたロケットを開くと、中には端正な顔立ちをした男性の肖像画が一枚だけ入っていた。
「もしかしたら…いらなかった、捨てられたんじゃねぇかとも思うが…まあ、とにかく一度、会ってみてぇんだ」
捨てられた……そんなことあるか?
「マエストロ?」
「…いや、何でもないよ。
ほんじゃあこの人にも心当はりはない?」
「……ああ。
あの部屋を出てから数か月、色んな所ォ旅しながら聞き込みってぇのをしてきたんだがよ、この男ォ知ってる奴ァ一人もいなかったぜ」
「なるほどね。まあでも普通に考えりゃあこの人が真の作者か、作者の大事な人とかだよなぁ」
「ですね。
ではまずその絵を探しますか」
「だなぁ…いやあごちごち」
「ご馳走でした。
じゃあ行きますか」
「あ?行くって…もう夕方だぜ?」
「”今日の依頼は今日のうちに”
マエストロのモットーです」
「それに、協会本部のデータバンクなら古今東西の画家情報網羅してるし、ワンパンっしょ」
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