卯月文書

14:偽りのない君

(2023/04/01・Prologue)



 正道真(せいどうまこと)には『言葉』が視える。

 他人の言が文字として空中に浮かぶのだ。その文章は大抵が白色である。が、時々、黄色やオレンジ、赤が混じった。最初は色の意味が分からなかった。なぜ色が変わるのかも不明だった。けれど成長するにつれ、色の意味が分かった。

 色は、発言に含まれる『嘘』の濃度だった。

 喩えば『優しい嘘』……人を傷つけない嘘は、黄色に染まった。いじめっ子集団から、いじめられっ子を匿う嘘。心配をかけたくなくて、怪我の痛みを隠す嘘。誰かを笑わせるための嘘。そういうものはみな、菊のように明るい黄色をしている。

『自己中心的な嘘』……己の利益を追求した嘘はオレンジ色だ。過失を他人の所為にする。「盗ってない」「殴ってない」としらばくれる。不貞を働いているのに「浮気なんて最低」と憤る。そういう嘘は夕日のようなオレンジ色をしている。

 そして『悪意ある嘘』は真っ赤に染まる。他人を欺く嘘。陥れる嘘。犯した重罪を隠す嘘。罰を免れるための嘘。そういうものは深い深い赤色になる。真は、空中に浮かぶ深紅を眼にする度に、まるで血のようだなと思う。嘘という刃で切り裂かれた良心から流れる、どろりとした血の色……。

 まだ喃語しか話せなかった頃、真は言葉とも音とも言えぬ声を発しながら度々宙を指差した。発音がある程度しっかりしてくると「じ、ぷかぷか」と言い、やがて「もじ、とんでる」と言い出した。

 真の両親は最初、我が子の言動に特別な意味があるとは考えていなかった。せいぜい大人の関心を惹きたい、構って欲しい子供の戯言だと思っていた。が、何度も「文字が飛んでいる」と言われては、戯言で片付けるわけにはいかない。

 顔を顰めた両親は真に「文字は飛びませんよ」と言った。彼らは我が子の言を、まったく信じなかったのである。真は反論した。

「ほんとだよ。おかあさんのうえにも、ぷかぷかしてる」

「まぁ、なんてことを言うの⁉︎」

「嘘をつくんじゃない!」

 この時、両親は、我が子が空想と現実を混同しているか、幻覚を見ていると判断した。なので反射的に「嘘をつくな」と窘めた。真は幻覚を見ていなかったし、嘘も言ってはいなかった。双方が心から『真実』を述べているのは或る意味、とても悲劇的であった。

 受診した総合病院で様々な検査をした結果、真の幼い脳は正常と診断された。結局、両親は真を「嘘つき」とは言わないが「妄言を口にする子供」と断じた。真は「自分を信じてくれない親」を酷く悲しんだ。


 歳を重ねる毎に、真は生き辛さを感じずにはいられなかった。世界は『嘘』で溢れていた。

 白文字に混じるオレンジ色、黄色、橙色、赤色、オレンジ、赤、赤、赤。両親の頭上、ご近所さん達の間、学校の中、同級生の周囲。どこもかしこも文字だらけで、とてもカラフル。テレビから流れるドラマは勿論、ニュース番組にも『嘘』が混ざっている。大体が黄色をしているが、ごく稀に濁った赤が混ざった。それを視た時、真は混乱した。「ニュースも嘘をつくなら何を信じれば良いの?」

 選挙の時期は最悪だった。ニュースも街中も真っ赤っか。黒のインク代わりに血液を使ったような選挙広報を眼にした時は、「成人しても選挙なんて行かない」と己に誓った。

『言葉』が視える……『嘘』が視えるということを、真は決して口にしなかった。そんなことを言えば忽ち「嘘つき」呼ばわりされるのだ。現に幼稚園の時分、友達から「うそつきまこちゃん」と呼ばれ、酷く傷ついていた。



 だから大学へ進学し、「君が『うそつきまこちゃん』?」と問われた時は、ショックで呼吸が止まった。

 その男は保良吹雪(ほらふぶき)と名乗った。自己紹介の文章は黄色に染まっている。

「それ、偽名ですよね」

「あ、やっぱ分かる?」

「分かる」

「そっか」

 俺と一緒だね、と吹雪は笑った。

「一緒?」

 そう、と頷いて「俺も、他人の嘘が分かるんだ」

「は。そんなわけ、」頭上の文字の色は、白。

「俺の場合、嘘が分からないんだ」吹雪の笑みが歪む。「嘘の発言は耳障りな雑音となる。嘘を文章化したら黒塗りになる。選挙広報やネット記事の大半は海苔弁。選挙演説にニュース番組、街中の雑踏は最悪だ。ただでさえ五月蝿いのに黒板を引っ掻いたような音と絶叫が混じる。狂いそうだ」

 吹雪の言葉は新雪のように純白だった。真の眼から涙が溢れる。これほど嘘のない言葉は初めてだ。

「分かる。分かるよ」真は何度も頷く。「とても分かる」

「俺も、君の言葉が分かるよ」

 吹雪の右手が差し出される。唯一無二の友になろう、と吹雪は言った。彼とは今日が初対面だ。けれど、これほど正直で同族な者は居ない。彼を逃せば一生後悔する。

 真は吹雪の細い手を握る。両手で、しっかりと。

 絶対に離さないという意思を表示するように。



(終)

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