6:世界は呪に優しくない
『呪を纏う娘』(2023/01/28・monogayary)
霜野深雪(しものみゆき)は、此の世を怨んでいる。
世界は彼女に全く優しくない。ネグレクトを極めた両親に育てられず勝手に育った深雪は、高校生になっても友人関係を築くことが出来ない。他人が何を望んでいるのか、何を考えているのか分からない。笑ったり泣いたりする意味が理解できない。叱られる原因は、もっと不明だ。
叱責の言葉は片耳から這入り、反対の耳へ抜けるだけ。ああしろこうしろと指図され、協調性がどうのこうのと非難されても困ってしまう。愉しくもないのに何故笑うのか。涙を流して何かが変わるのか。深雪は首を傾げる。
まるで人形のような深雪を前に、子供は「こわい」と脅える。
大人は「気味が悪い」と顔を顰める。
なまじ容姿が良いのもいけなかった。平均よりやや低い身長。ほっそりした体躯。太陽の下を駆け回ることなど一度も経験がない肌は白く、傷どころか痣もない。枝毛とは無縁なクセのない黒髪は肩口で切り揃えられている。覇気のない瞳。小さな口と、薄い桃色の唇……。
真紅の着物を着せれば「髪が伸びる呪われた日本人形」、白いブラウスに赤のスカートを履かせたら「トイレの花子さん」さながらな外見は、余計に深雪から人を遠退ける。喜怒哀楽を表さず碌に喋らない。虚無をヒトの形にしたらこうなるんだろう。それが霜野深雪という少女だ。
「彼女の瞳を見ていると奈落を覗いている気分になる」とは、小学五年生の時の担任教師の言である。
* * *
「おぉ、立派な呪いだ」
高校一年の冬。逢う魔が時。
背後から聞こえた言葉に、深雪は眉根を寄せる。
振り返ると、セーラー服の少女が居た。恐らく同じ学校の生徒だろう。が、知らない生徒だった。少なくとも深雪と同じクラスではない。優等生の見本のように着こなした制服とは対照的な、七色のメッシュが彼方此方に散りばめられたマッシュルームカットの金髪。そんな身形と髪型の人間がいれば、嫌でも記憶に残るだろう。譬え他人に興味のない霜野深雪であろうとも。
少女は深雪の数メートル後方に立っていた。膝下丈の白いソックスに黒のローファーを履いた両脚をぴったりと揃え、遠くの景色を眺めるように右手を額のあたりに添えて。口角は愉しげに上がっている。
少女の眼差しを受け、深雪は内心で首を傾げた。立派な呪いとはなんだろう? 霜野深雪の隠喩だろうか。だとすれば納得だ。これまでの短い人生で何度も「奈落」だの「深淵」だの言われてきたので。
ただ、初対面の少女に何故「呪い」呼ばわりされねばならぬのか、その理不尽への憤りは少しだけ感じる。ほんの少し。小指の先っちょぐらい。
深雪の心情など知る由もない少女が、スキップでもしそうな足取りで近寄ってくる。肩に掛けたスクールバッグの紐を握る手に自然と力が入った。数十センチ程の間隔を開けて立ち止まった少女は相変わらず右手を額に当てたまま、腰をやや折って深雪の顔を覗き込む。
「立派だ。とても立派だ。こんな立派な呪い、初めて視た」
「……あなた、誰ですか」
「ボクは周芳宇宙(すわそら)。一年C組。初めまして。一年F組、霜野深雪サン」
「……私のこと、知ってるの」
「知らない」と、宇宙は首を振る。
「けど、噂は聞いてる。『見目のいい朴念仁』『生きる日本人形』『虚無虚無雪女』『奈落の底のさらに奥』『人間の形をしているけれど、人間とは懸け離れた中身の何か』」
酷い言われようだな。深雪は内心、独り言つ。
「百聞は一見に如かず、とは正にこのことだな。確かに『生きる日本人形』であり、人型の『人間とは懸け離れた中身に何か』だ。でも、ナイアルラトホテップでは決してない。福間クンの知識不足はホラーの域だよ。マジで。いやー、どの角度から視てもヤバいな。凄まじい呪いだわ。一周回って感動」
右へ左へ身体を揺らしながら観察する宇宙を見、深雪は溜息を吐く。
「私も、初めて呼ばれた。『呪い』なんて」
「ん?」
上体を起こした宇宙が、不思議そうな表情で瞬きをする。
「なんの話?」
「……私を『呪い』と呼んだでしょう」
「呼んでないけど」
宇宙は首を傾げた。その様子に深雪も、彼女とは反対の方向へ頭を倒す。二人は暫し見つめ合った。どちらも視線を逸らさず立ち尽くすこと数分。先に動いたのは宇宙だった。
ぽん。左の掌を右手の拳で打ち鳴らし、「あぁ」と笑う。
「確かに『呪い』と言ったけど、あんた自身を指したわけじゃないよ。あんたが纏ってる“もの”の話」
「纏ってる、もの……?」
「霜野サンさぁ、昔っから、ぼっちでしょ。友達は居ない。親から愛情を与えられてない。ないない尽くしの人生で、けれど理不尽な目には問答無用で遭わされる。いつだってなんだって霜野サンの所為にされて、持ってないものを要求された。違う?」
違くない。
全て正しい。
ああしろこうしろと指図され、協調性がどうのこうのと非難されてきた。幾度も。笑っても泣いても文句を言われ、怒らなければ叱られる。その度に困ってしまう。だって、誰も教えてくれないから。肉親はネグレクトを極めているし、大人達はみんな背を向け遠去けるし、同年代の子達は遠巻きにするから。
感情の発露も、愛情の示し方も分からない。後者に関しては愛情そのものを知らない。
世界は霜野深雪に優しくない。
「それはさぁ、別に霜野サンだけが悪いってわけじゃないのよ。ま、霜野サンにも非はあるんだけど。とどのつまり、望まれなかったから、そう生っちゃった。望んでない妊娠、出産。煩わしさを嫌って自己主張を望まれず、生きる屍同然の存在を望まれた」
宇宙は唇の端を上げた。けれど、眼は少しも笑っていなかった。
「そういう感情や『望み』が『呪い』に転じて身体に纏わりついてるんだ。霜野サンも現状を受け入れてるんじゃない? 言葉にこそしないけど、ある意味で」
世界は霜野深雪に優しくない。
この認識が現状への承諾だというのなら、そうかもしれない。深雪は小さく頷いた。無意識の行動だった。
「霜野サンが現状を拒否すれば、また違った展開になった。でも、望まなかった……いや、望めなかった。そして容認した。『そういうものだ』って。すると呪いは身体に浸透していく。おまじないや言霊と似たようなもんさ。どっちも『呪』だから」
「……どうにか出来るものなの?」
喩えば、霜野深雪の意識を変えれば。望み方なんて知らないけれど、自分で自分を望むようになれれば、呪いから解放されるのだろうか。
深雪の問いに、宇宙は「出来ないね」と応える。実にあっさりとした口調で。
「じゃあ、どうして私に話したの。話しかけたの」
「それはボクが『呪い』の蒐集家にして『呪い』にしか見えない呪いに掛かってしまい、『呪い』としか関係を築けない体質に生っちゃった人間だからさ」
その瞬間、深雪は、周芳宇宙を知らない理由を悟った。
優等生の見本のように着こなした制服とは対照的な、七色のメッシュが彼方此方に散りばめられたマッシュルームカットの金髪。そんな嫌でも記憶に残りそうな存在を、他人に興味のない深雪でさえ知らなかったのは——噂でさえ耳に入らなかったのは、つまり。
誰にも認識されていないからではないか。
望まれない、独りぼっちの霜野深雪のように。
「さぁ」と、綺麗な手が差し出される。
「『呪』を纏い、この身に浸透させる同士。友として姉妹として家族として、仲良くしよう」
周芳宇宙の唇が、妖しい笑みを象る。それでもやっぱり、眼は冷たい。
深雪は差し出された手を見、静かに己の手を重ねた。混じり合った体温は意外にも低く、奇妙なほど心地良かった。まるで欠けていた一部を取り戻すようだった。
世界は霜野深雪と周芳宇宙に優しくない。
けれど、呪い同士は互いに優しい。
なんの確証もないのに、如何してか、その確信は強く持つことが出来た。
(終)
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