3:理想の家

『日当たり良好、駅徒歩3分、ふたり暮らし』(2023/01/18・monogatary)



 それは全くの偶然だった。

 普段は立ち寄らない繁華街。頭上に広がる青空には雲ひとつ無く、太陽が光り輝いている。冬の空気は骨に染みるほど冷たい。けれど日光の淡い暖かさが心地よいから、気紛れに「散歩しよう」という気になったのだ。途中で肉まんを買ったり、温かいキャラメルマキアートを飲んでも良いな……なんて考えながら。

 だから、その繁華街でひっそりと営業する不動産屋の存在を、俺は知らなかったわけで。

 ショーウィンドーいっぱいに貼られた物件情報。単身者用からファミリータイプまで様々な間取りが並ぶ中、俺の眼は“とあるマンションのキャッチコピー”に釘付けとなった。


 〔日当たり・風通し・眺望良好〕

 〔駅徒歩3分の好立地!〕


 それは正に探し求めていた物件だった。

 恋人との間に同棲の話が持ち上がって、早二年。互いが物件に求める条件を出し合い、不動産屋や物件情報サイトなどを巡りに巡り、妥協案を出しながら「理想の家」を探し続けてきた。

 しかし「理想の家」を見つけるのは中々に困難だった。あちらが叶えば、こちらが駄目。こちらが良ければ、あちらが微妙。帯に短し襷に長しで一向に決まらない。

 特に、互いとも譲れなかった〔日当たり良好〕〔駅チカ〕が理想へのハードルを高めた。日当たりが良く、駅に近い物件は確かにある。が、家賃が予算オーバーだったり、内見してみたら手狭に感じられたりして「ここだ!」と決断できなかったのだ。

 今、眼の前にある物件は「理想の家」に最も近いように思われる。見取り図を見、家賃を確認し、ひとり頷いた。これは完全に勘でしかない。が、内見の価値はあるに違いない。

 俺はコートのポケットからスマートフォンを取り出し、すぐさまカメラを起動させた。そして物件情報の写真を撮り、LINEのアイコンをタップ。

 送り先は勿論、ふたり暮らしをする相手だ。



 既読が付いたのは送信から丁度一時間後。

 その時、俺はスターバックスの暖かい店内でフラペチーノを堪能していた。最初はホットのキャラメルマキアートを注文するつもりだったけれど、【季節限定】の四文字にうっかり惹かれてしまったのだ。

 テーブルの上に放置していたスマホが着信を知らせた時、俺は酷く驚いた。メッセージでの返信が来ると確信していたのに、全くの予想外だ。電話だったらスタバには入らなかったぞ……と、後悔しても仕方がない。応答ボタンをタップして右耳に近づける。

 相手の第一声は「正気?」だった。

「正気に決まっているだろう、失礼だな」

「正気なら尚のこと悪いわ。一体どういうつもり? 私たち、別れたんですけど。一昨日の夕方」

 そう。俺と恋人は、一昨日の夕方に恋人関係を解消している。

 相手が嫌いになったとか、他に好きな相手が出来たとか、そういう理由ではない。単純な話、「理想の家」を追い求めるのに疲れてしまった。そして同棲に、果ては交際そのものに意味があるのか、疑問を感じてしまったのだ。

「別れたのは確かだが……でも、写真は見たか?」

「ええ、見たわよ」

「どう思う?」

「正直、めちゃくちゃ良い。悔しいぐらいに。何処で見つけたの?」

 俺は、件の不動産屋について話した。余り上手く説明できた気がしなかったが、恋人は「なるほど」と理解してくれたようだった。

「繁華街の存在は把握してたけど、そんなとこに不動産屋があって、『理想の家』に近い物件が見つかるなんて吃驚ね」

「そうだろう。俺もちょっと驚いた」

「で?」

「ん?」

「その物件情報を寄越してきたってことは、つまり、どういうこと?」

「内見に行こう」

「……正気?」

「だから、正気も正気だ。例の物件を、ふたりで見に行きたい。あんな優良物件、今回逃したら二度と巡り会えないかもしれないぞ? 勿論、実際の眼で確かめたら『やっぱり思ってたのと違う』って展開になる可能性もある。けど、見ないで後悔するより、見て後悔する方が良いだろ」

「…………」

 俺の言に、恋人は沈黙した。それは五分にも一〇分にも感じられた。実際は一分にも満たなかったかもしれない。けれど俺には充分、息苦しい時間だった。店内のざわめきが不可視の膜に隔てられ、遠く感じられるほどに。

 暫くして、細く長い溜息を吐き出す音が聞こえた。

「そうね、確かに。見て後悔する方が、ずっとマシね」

「じゃあ――」

「ええ、良いわよ。行きましょう、内見。ただし来店予約とかは、言い出しっぺの貴方がやって下さいよ」

「当然だ、任せろ!」

 店内故に小声を意識していたはずが、嬉しさの余り声が少々大きくなってしまった。隣席の女性が、如何にも迷惑そうな表情でこちらを見遣る。

 居たたまれない気持ちを胸に会釈をし、一層声を潜めて「任せろ」と繰り返す。

「貴方、どこに居るの?」

 苦笑いを殺した問いへ「スタバ」と簡潔に答える。

「スタバで電話なんて、迷惑な客ね」

「うるさい。電話が来るなんて思ってなかったんだ」

「まあ、そうでしょうけど。……ところで、ひとつ訊いて良いですか?」

「あぁ、いいぞ」

 一拍おいて、恋人が質問を投げかける。

 その問いに対し、俺は二文字で返した。

「これ、復縁のお誘いですか?」

「うん」


(終)

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