2:融けてしまえ、雪と一緒に何もかも
(2023/01/13・Prologue)
「私が死んだら雪に変えてちょうだいね」
それが姉上の最期の言葉だった。
姉上は変わったヒトだ。……いや、ヒトと称して良いのだろうか? 分からないけれど、少なくとも僕にとってはヒトで。たったひとりの、奇蹟のように美しい女性である。
ぞっとするほどに白い玉肌。菫色の瞳。光の角度によって、うっすらと水色に輝く髪。頤も頸も肩も腰も四肢も細い。自らが持つ色素と相俟って、とても儚い印象を僕に与える姉上。
親戚や近所の面々は姉上を「雪女」と恐れ、両親も言外に不気味に思っていた。けれど、僕の眼には「氷の女王」が見えた。
平凡な黒髪と茶色の瞳を持つ自分が恥ずかしく、何度惨めな思いをしただろう。姉上は僕の髪を深い夜空に、瞳を琥珀に喩えて褒めてくれた。でも、僕は姉上と同じ色が欲しかった。異なる色を与えた神さまを恨むぐらいに。
姉上は、良くも悪くも衆目を集めるヒトだった。
向けられる視線の殆どに悪感情が含まれている。
姉上は一見、全く気にしていない風に見えた。けれど、本当は冬の荒波の如く荒れ狂っていた。涼しげな見た目に反し、苛烈な性質なのだ。姉上というヒトは。それは赤よりも黄色よりも白よりも高温な、青い炎に似ている。
青い炎は自分への悪意の他、僕への悪意をも燃やし尽くす。
情けないことに「雪女の弟」は、喧嘩どころか悪態ひとつ吐けない弱虫である。最愛の姉を「化け物」と罵られ、「化け物の弟もまた、化け物に違いない」と嗤われてもだ。
姉上を「化け物」と呼ぶな。
姉上は「化け物」なんかじゃない。
そう思って、思うだけ。蹲り、唇を噛み締める僕を救ってくれるのはやはり姉上だけで。苦しくて悲しくて涙が溢れた。時に幼子のように、時に声を押し殺して。
「いいのよ。あなたは、あなたのままで」
泣く僕を姉上は毎回、優しく抱き締める。低い体温は優しく、背中を撫でる手付きはとても柔らかい。まるで淡雪みたいに。
「あなたは自分を『弱い』『情けない』と評するけれど、そんなことないわ。怒りを放出するだけが強さじゃないの」
「そうかもしれないけれど……でもやはり、姉上が悪く言われるのは嫌です」
「……ありがとう。その言葉だけで、私は充分、救われるわ」
そう言って、姉上の唇が僕の額に触れる。桜色のそれは薄く、ひんやりと冷たい。
「あなたの心根が、私は大好きよ」
姉上の内側は正に、冬の嵐だ。
あらゆる負の感情が凍てつく疾風を生み、鋭い氷の刃を形作る。白と灰色の世界は氷雪で閉ざされ、樹氷原が広がっている。姉上が君臨する世界に慈悲はない。
だから文字通り、みんなを傷つける。
姉上を害する者も、姉上自身も、そして僕も。
「私が死んだら雪に変えてちょうだいね」
菫色の眼から幾つもの結晶を零し、目尻に小さな皺を作る姉上。その美しさは歳を重ねても変わらない。
誰かを傷つける氷ではなく、瞬く間に消えて無くなる雪になりたい。そう願う声は酷く穏やかだ。穏やか過ぎて、僕の胸は捻り上げられたように痛む。
雪に変えたら、姉上は幸せになれるのでしょうか?
分からない。
その疑問は昔も今も僕の中で生き、嘖み続ける。きっとこの先、何年経っても死にはしない。けれど。
姉上の世界が負の感情を道連れにして、滅びてくれれば良いと思う。融けてしまえ。雪と一緒に、何もかも。そして、安らかな春が訪れますように。
遺された僕には、ちっぽけで有り触れた祈りを捧げることしか出来ない。
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