#4 君の声が聞こえる

 ――目を覚ますと、時間は朝の四時だった。

 エイトは家を出る準備をしながら、両親と共に写った思い出の写真を懐かしむように見つめる。その時、写真の裏に何か文字が書かれているのを見つけた。見たことのない文字だった。

 だが、そんなことは気にしていられない。エイトは急いで写真をリュックにしまった。

 そして、外に出て両親と共に過ごした思い出の我が家を目に焼き付けながら、冒険家になる夢を叶えるために村にはしばらく帰ってこないと心に決めた。


(今まで、ありがとう……)


 エイトは心の中でそう思いながら、母の遺骨が入ったペンダントを首に下げ、ブラウン一家と共に思い出の家を後にした――。

 薄暗い闇を切り抜け、あの時の川の畔の方へ向かう。ロスターへは約四〇キロあり、普段の通り道を歩いていけば良いのだが、盗賊などが現れる可能性があるため、川を経由して行くことになった。

 すると、向こうの方から微かに小さな声が聞こえてきた。


「おーい、エイト君!」


 誰かがエイトの名前を呼んでいる。畔には女性らしき人物が立っていた。カリーナだった。

 ベンは船の準備をしており、その間にエイトは二人にブラウン一家についての事情を話すと、彼らは快く理解してくれた。


「もちろん大丈夫だよ。船は十分に大きいから七人全員乗れる。みんなで行きましょう」


 カリーナが真っ直ぐな表情で話すと、ジョシュとアシュリーは何度も何度も頭を下げた。


「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます……!」

「ありがとう。カリーナ。ベンさん」


 エイトがカリーナにそう伝えると、彼女は「うん」と頷いた。

 ――船に乗ると、カリーナはそっと溜息をつき、ホッとしたようにして、毛布にくるまった。

 朝はとても寒い。エイトは、寒さと同時に不安も感じていた。


「ねぇ、カリーナ」


 隣にいたカリーナにエイトが尋ねる。


「ん?」

「これからどうなるんだろう」


 そう聞くと、カリーナは俯きながら答える。


「分からない……、まだロスターがどんな状況なのか分からないし、とにかく行ってみないと」

「……そうだね」


 するとカリーナが、「……ねぇ、手、繋いでもいいかな……」と静かに言った。

 最初は驚いていたが、エイトはそっとカリーナの手を繋いだ。彼女の手はとても冷たかった。エイトは、カリーナも不安を感じているんだと思った。

 すると突然、オリビアが二人に向かって、「ねぇねぇ、お兄ちゃんとお姉ちゃんは付き合ってるの?」と言った。

 エイトとカリーナは、「えっ⁉︎」と驚き、段々と体が熱くなっていくのを感じていた。


「い、いやいや、付き合ってないよ! そ、そそんな……!」


 焦りながら話すエイトを見て、ジョシュやアシュリーは笑っていた。ベンも優しい微笑みを浮かべていた。

 カリーナは顔を赤くし、エイトの顔を見て微笑む。

 その時、ふと気がついた。その場の不安な空気が一気に解かれていく感覚がしたのだ。


(……大丈夫だ……。きっと、何とかなるだろう。きっと……)


 そう、エイトは心に思った。

 ――だが、その思いは一瞬にして砕かれた。





 一日かけ、やっとのことでロスターの街に辿り着いたが、そこには信じられない光景が広がっていた。


「どうして……、どうして街に誰もいないの……⁉︎」


 街には、誰一人としていなかった。通りの店は全て閉まっており、誰もいない様子であった。


「何か怪しいな……」


 ベンは怪しむような表情を浮かべた。


「私、他の場所の様子を見てくる」

「僕も一緒に行きます」


 カリーナとエイトがそう話すと、ベンは心配するような表情を浮かべた。


「カリーナ……、危険だ。何があるか分からない」

「私は大丈夫。エイト君も一緒にいるから。心配しないで! ベンはブラウンさん達をお願い」

「……分かった」


 ベンは不安そうな表情を浮かべていた。すると、ベンはエイトの肩にそっと手を置いた。


「君はカリーナの大事な親友だ。……これは予想だが、ここからいつ何が起こるか分からない。いざとなれば逃げるほかない。こんなことを話すのはなんだが、カリーナは私にとって生き甲斐だ。だが、両親に似て言うことを聞かない性格でね。少し苦労をかけるところもあるだろうが、根は本当に優しくて綺麗な心の持ち主だ。何かあったらすまないが、どうかカリーナのこと、よろしく頼むよ」


 ベンはそう言って肩を優しく叩いた。


「はい……‼︎」


 ――言われなくても分かっている。カリーナは絶対守る。エイトは更に自分を鼓舞した。



 ◇



 宮殿近くの街へ辿り着くと、そこでは反乱が起きていた。


「民を滅ぼすカス野郎! とっとと王座から退け!」


 王宮殿の前には、王の退位を望む抗議者達が門の目の前を埋め尽くしている。

 ――今から五〇〇年前にも、同じような出来事があった。父と母から聞いた話を思い出す。

 『対フォルトゥナ世界大戦』、それは史上最悪の事件だった。


「これじゃあ、昔と同じじゃないか……」


 エイトがその場に立ち尽くしていると、カリーナが叫んだ。


「エイト君、早く来て!」


 カリーナはエイトの腕を掴み、その場から離れようとした。だがその時、突然大きな轟音が鳴り響いた。


「ドオオオオオオン‼︎」


 ――目の前で何かが起きた。


「……これは、爆発……?」


 騒がしかった抗議者達の声が、一瞬にして静まり返った。


「……死んだ……、ひ、人が、死んだ……!」

「キャアアアアアア‼︎」


 静寂は一転、辺りは悲鳴で埋め尽くされる。エイトとカリーナは、目の前の現状に戸惑いを隠せなかった。


(……僕は、ここで死ぬのか……? 冒険家にもなれないまま、夢も叶えられないまま……、命を終えるのか?)


 エイトは父に憧れて冒険家を志した。その夢が今まさに幕を開けようとしていた。

 だが、目の前には思い描いていた始まりとは違う現実が立ちはだかっている。父がいつも楽しそうに話してくれた旅路の話と、遥かにかけ離れた現実が――。


「……ひ、人が死んだ……⁉︎」


 カリーナが、目の前の光景を前に、信じられない表情を浮かべていた。宮殿前にある街の建物は焼け崩れ、通りには沢山の人々が火を浴び悲鳴を上げていた。


「助けてくれェェェ‼︎」


 エイトはまるで絵に描いたような地獄の光景を目の当たりにし、ただ固まっていた。

 すると、宮殿前からは抗議者達の声が響いてくる。


「国王が出てきたぞ‼︎」


 エイト達は宮殿の方へ視線を向けた。


「……あれが、国王……⁉︎」


 そこには城の上から見下ろす冷徹な雰囲気を放った人物が立っていた。


「国王! お前のせいで、この国はメチャクチャだ!」


 一人の抗議者が叫ぶと、続けて他の者達も悲痛の叫びを上げた。


「そうだ! 俺達貧民を散々利用しておいて、満足な報酬もくれねぇで、どういうつもりだ!」

「そうよ! 私達だって今まで耐えてきた! もう我慢なんてできない!」

「八年だぞ! 八年も耐えてきたんだ! 俺達はもう限界だ!」


 それぞれの民が胸の内を叫んだ。『もう、我慢の限界だ、これ以上は、あの国の言いなりになどなっていられない……!』と――。

 思い出される、五〇〇年前の出来事。今、まさにその出来事が再び起きようとしている。

 カリーナは体の震えを抑えようとエイトの手を握った。手は冷たく水面の波紋のように震えている。


「……こんなの、昔と同じじゃない……! どうして……、どうしてまた同じ事を繰り返そうとするの……⁉︎」


 エイトは、過去を思い返していた。五年前、母・チサが亡くなった時にカリーナが手を握ってくれたことを。


(……あの時と、同じだ……。……今度は、僕が……!)


 エイトはカリーナの手を強く握り返した。

 抗議者達は炎で燃え上がる街をよそに、国王へ苛烈な批判を飛ばす。その光景は、まるで戦争が、今か今かと始まるようであった。

 一方の国王、ジェームズ・カーターは依然と表情を変えず、民を城から見下ろしていた。


「聞けぇぇぇぇぇぇぇえええ‼︎」


 突然、抗議者の声よりも大きい声が響いてくる。ジェームズ王の臣下の声だった。


「国王様に反発をする不届き者達よ、よく聞け‼︎ これ以上、宮殿の前で抗議を続けた場合、貴様ら全員を打首に処する‼︎」


 臣下の発言に対し、抗議者達は怒りの声をあげた。


「打首だと⁉︎ ふざけるな‼︎ 俺達は正しい事を言っているだけだ‼︎」

「そうだ‼︎ 打首にされるべきなのはお前らのほうだ‼︎」


(このままではまずい……!)


 そう思った次の瞬間、宮殿から銃声音が鳴り響いた。


「ドドドドドドドドドドドドッ‼︎」


 次々と宮殿の前で抗議者達が血を流し倒れていく。


「逃げろぉぉぉお‼︎」


 続々と悲鳴を上げながら、走り、逃げる者達。


「カリーナ、逃げよう!」


 エイトはカリーナと共にその場から離れようとした。


(どうして……、どうしてこんな事に……!)


 宮殿から離れようとエイト達は被害の少ない街の中央を通り逃げようとした。しかし、手遅れであった。突然目の前から爆風が吹き、体が地面から離れる。


「イヤアアアアアアアッ‼︎」


 街は光り、そして真っ白になった。


「ドオオオオオオオオン‼︎」


 ――『ロスター事変』、この大規模な暴動事件は、のちに全世界へ知れ渡るのだった。





 ――気がつくと、目の前が真っ暗だった。


(――何があったんだ……? 記憶があまり思い出せない……)


 エイトはそっと目を開けた。身体の至るところが痛むのを感じた。

 ゆっくりと身体を起こし、目の前の光景を改めて確認すると、そこには瓦礫の山が広がっているのを確認した。


(そうだ……! 急に目の前が光って、風で吹き飛ばされて、何かにぶつかって……。……まさか……!) 


 エイト達は、爆発に巻き込まれた。逃げ狂う抗議者達を差押えるために、国王が街に爆弾を投下しろと命令をしたのだ。

 最悪の事態が頭の中を横切る――。エイトは不安を隠しきれない。


「カリーナ! どこだ! カリーナァァァ! 返事を……返事をしてくれ!」


(カリーナが、死ぬ……?)


 そんなこと、信じられなかった。


「カリーナァァァ! ……カリーナ……、お願いだ…、生きていてくれ……! 返事をしてくれぇぇぇ!」


 声の限り、叫んだ――。

 すると耳の奥に、微かに声が聞こえてくるのを感じた。


「……て……けて………たす……け……て……」


 エイトは声のする方を振り返った。そこには大きな壁があった。爆発で飛ばされてきた外壁のようなものだった。

 壁の向こう側から声が確かに聞こえてくる。

 ――その声は間違いなくカリーナの声だった。


「カリーナ‼︎」


 エイトは壁の向こう側に向かって叫んだ。しかし、返答はなかった。

 だが、確かに声は壁の方から聞こえてくる。


「……すけて……けて……たす……けて……」


(このままだと、命が危ない……! どうすれば、どうすればいいんだ……! 考えろ……! 考えろ……!)


 エイトはそばにあった鉄筋を手に取り、壁に向かって叩きつけた。何度も何度も、何度も何度も叩きつけた。

 しかし、壁はびくともしなかった。


「……クソッ……! ……クソッ……‼︎ ……クソ……」


 エイトはその場に崩れ落ちた。自分の無力さが、身体中を包み込んだ。

 その時、ふとベンの言葉を思い出す。


『君はカリーナの大事な親友だ。これは予想だが、ここからいつ何が起こるか分からない。いざとなれば逃げるほかない。こんなことを話すのはなんだが、カリーナは私にとって生き甲斐だ。だが、両親に似て言うことを聞かない性格でね。少し苦労をかけるところもあるだろうが、根は本当に優しくて綺麗な心の持ち主だ。何かあったら、すまないが、どうかカリーナのこと、よろしく頼むよ』


(何をしているんだ……。何、止まっているんだ……。約束したんだ、ベンさんと……。カリーナを守るって……。だから、諦めるわけにはいけない……!)


 エイトは再び立ち上がり、鉄筋を壁に叩きつけた。何度も何度も叩きつける。

 しかし、壁は動かなかった。腕は痺れるほどに痛く、すでに限界に近づいていた。


(諦めるもんか……! 絶対に、諦めるもんか……!)


 ――そう思った次の瞬間、後ろから声が聞こえた。


「そこを避けろ!」


 エイトは後ろを振り返った。そこには、風格のある男性が立っており、手には剣のようなものが握られていた。


(何をする気だ……⁉︎)


 すると、男性は剣先を天に向けた。

 その次の瞬間、突然剣が光を放つ。エイトはそれを見て思わずその場を避けた。

 男性は光を放った剣を壁に向かって振りかざすと、壁は真っ二つに割れ崩れ落ちていった。

 ――エイトは驚きを隠せなかった。なんと言っても、男性の剣技に目を奪われた。


 初めて能力を使った技を目の当たりにし、ただ立ち尽くしていた。


「……どうした? 何を見ている? 早く助けに行け!」


 男性が叫ぶと、エイトはハッとしたように気を取り戻した。


(そうだ! カリーナ……!)


 エイトは壁の向こう側へ走る。壁の反対側へ辿り着くと、そこにはカリーナが倒れていた。


「カリーナ‼︎」


 彼女はエイトの声に反応したのか、目をゆっくりと開けた。


「………エイト君、………エイト君……!」

「……良かった……! 生きてて、良かった……!」


 エイトは彼女を抱き締める。生きててくれたことに喜びと安心感が全身から溢れ出ていた。


「お、良かった……! 生きていたか!」


 すると、後ろから男性が話しかけてきた。エイトとカリーナはふと我に返り、男性の方を向いた。


「お取り込み中のところ申し訳ない。聞きたいことがあるのだが……、宮殿がどこにあるのかを教えていただきたい」


 男性は静かに告げ、真剣な表情を浮かべるのだった。


「あなたは……何者なんですか?」


 エイトが恐る恐る尋ねると、だの後方から声が聞こえてきた。


「王様……! 大丈夫ですか⁉︎」


 すると若い男性が近づいてきた。


「王様……⁉︎」


 エイトとカリーナは口を揃えて驚いた。


「おぉ、アトリ。無事だったか。良かった、良かった」

「……この者達は……?」


 若い男性は、エイトとカリーナを見た。


「爆発に巻き込まれた人達だ。この青年達に今、道を尋ねていたところだ」

「貴様ら……、王様に無礼なことはしていないだろうな……?」


 若い男性が剣を手に取ろうとしているのを見て、エイトとカリーナは焦りながら話した。


「何もしていないですよ! それに僕ら、この人のこと知りませんし!」


 すると、『王様』と呼ばれている男性が、若い男性の頭を叩いた。


「バカ! この青年達は何もしていない。無礼なのはお前の方だ」


 そう男性が話すと、エイトとカリーナの方を向いた。


「私の部下が失礼なことを言った。それにまだ名前を名乗っていなかったな。私は、イヴァン・ローレンス。アルハンブラ王国の国王を務めている」


 エイトとカリーナはポカンとしていた。


 ――あるはんぶらおうこくのこくおう…?


「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎」


 エイトとカリーナはすぐに片膝をつき、頭を下げた。


(……この人が、アルハンブラ王国の国王……?)


 二人は驚きを隠せなかった。

 今、目の前に一国の王がいるとは――、とても信じることができなかった。

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