第52話 雨降って地固まる?

 祈里の看病と、白雪希美に振り回された翌日。後者はともかく祈里の方は体調も回復したらしく、「今日は学校に行けます」というメッセージがアプリのタイムラインにポップアップしてきた。

 続くメッセージにはデフォルメされたウサギがビルドアップしているスタンプが添付されている。

 好きなんだろうか、これが。やり取りの中で頻繁に使われるゆるキャラをぼんやりと眺めながら、俺は今日も今日とて祈里が住んでいる街の駅に降り立つ。


『ありがとうね、九重君』


 無事にコンビニで買ったあれこれを届けたあとに、屈託なく笑ってそう言った白雪希美の横顔が不意に脳裏をよぎった。

 脈絡もなにもなく、ただ自然に。いつだって底の読めない笑みを浮かべていたあいつにしては、子供っぽい笑顔だったな。

 双子だけあって、祈里が笑ったときとよく似ていたが、やはりというべきか、白雪希美と祈里は別人だ。似たような笑顔でも、印象がまるで違う。


 それでも妙に印象に焼きついているのは、あいつもあいつで変に距離感がバグっているからだろうか。

 どこか思わせぶりで、打算なのか天然なのかよくわからないその距離感は、確かに多くの男子を告白に誘っては玉砕させていくのにも納得がいった。

 ただ、白雪希美は本質的に他人に対してあまり興味を持っていないのだろうな、とも同時に思う。自分に対する客観的な評価だとかは受け止めているのだろうが、恐らくはそれだけだ。


 別にそれが悪いことだとは思わない。

 無理して人付き合いをする必要なんてどこにもなければ、誰かに興味を持っていないといけないなんて法律もないからな。

 大体、そんな悪法があったら、俺もとっくに国家機関に捕まってることだろうよ。


「……お、お待たせ……しました……!」


 薄らぼんやりとそんな益体もないことを頭に浮かべていたら、床のタイルをローファーの底で叩きながら走り寄ってくる祈里の姿が目に映った。

 どうやら風邪は一過性のものだったようで、本当になにもなくてよかった次第だ。変に拗らせたりすると色々大変だからな。

 これに懲りたら、今後は雨の日は傘を差すなりなんなりしてほしいところだ。


「いや、俺もぼんやりしていたからちょうどいい」

「……そ、そう……なんですか……でも……九重君が、ぼーっとするなんて、珍しい……です……」

「らしくないとは自分でも思う」


 別に、白雪希美にしてやられたことを引きずっているわけではないと思いたいところではあったが。

 どっちにしても、やつは俺に興味なんか抱いていないだろう。からかうのにちょうどよかったから、あんな真似をしただけだ。

 ただの憶測だがな。真相は白雪希美の中にしかない以上、インタビューでもしない限り、この事件は迷宮入りだろう。


「……あっ……そ、その……き、昨日は……ほ、本当に……お世話に……」


 祈里は、顔を真っ赤にして言った。ごにょごにょと後半に行けば行くほど声が萎んでいったが、無理もあるまい。

 そして俺もまた思い出す。昨日は、なにも纏っていない祈里の背中を見てしまったことを。

 こぼれそうになっていた豊かな胸を両腕で支えつつ隠しながら、祈里は真っ白な背中をあらわにしていた──いや、なんにせよ向こうからの申し出があってのことだから不可抗力の一言に尽きるが、それでも罪悪感や背徳感じみたものがあるのは確かだった。


「……いや、その、なんだ。すまない」

「……い、いえ……その、わ、私から……い、言い出したこと……なので……」


 ここはお互い様ということで手を打とう、とばかりに俺と祈里の間で無言の合意が形成されていく。

 仕方ないものは仕方ない。どうしようもないことはどうしようもない。

 だったら割り切って先に進んだ方が堅実だろう。あるいは日々を過ごしている間に忘れるか、そんなこともあったなと笑い話になるかのどっちかだ。


 頭ではそうわかっていても、どことなくぎくしゃくした空気が俺たちの間にあることは確かだった。

 いつもだったら一も二もなく手を繋ごうだとか、二の腕にしがみついてきたりするであろう祈里が、今日はそうしてこない。

 背中だけとはいえ、剥き出しの上半身を、よりにもよって男に見られたんだから無理もないだろうが、どことなく手持ち無沙汰な感じがするのも確かなことで。


 などと、なにかを言おうにも言い出せない、気まずい沈黙が俺たちの間に漂っていた、まさにそのときだった。


「おはよう、祈里。九重君」


 それが福音なのかどうかはわからない。

 だが、俺たちの肩にのしかかる沈黙を破って、飴玉でできた鈴を鳴らしたような声音を響かせたのは、白雪希美だった。

 空気など知るかとばかりに、白雪希美はいつものようになにかを企んでいるような笑みを口元に浮かべている。


「……お、お姉ちゃん……? 起きられた、の……?」

「うん。今日は珍しくすっきり起きられたからね。でもそっか、九重君がここにいるってことは……祈里と一緒に登校してるってとこかな?」


 横目で俺をちらりと見遣って、白雪希美は意味ありげにくすくすと笑う。

 祈里は驚いていたが、よく考えてみればそれもそうだ。同じ家に住んでいるんだから、今の今まで駅であいつの姿を見なかった方がおかしかったのだ。

 だが、その理屈の種は簡単なもので、祈里の言葉から察するに、白雪希美は朝に弱いタイプなのだろう。それも相当なレベルで。


「……だとして、なにかお前に不都合があるのか」


 それはそれとして、意味ありげに今も含み笑いを浮かべている白雪希美に、俺は事実を肯定した上で言い放った。

 友達同士、一緒に登校することなんて別に珍しくもなんともないだろう。

 祈里と二人で登校していることは紛れもなく本当で、それを誤魔化す理由も必要性もないのなら、堂々と胸を張ればいいだけだからな。


「うん、特にないかな。でも、そうだなぁ。例えばキミと一緒に私も登校しちゃダメ?」

「……断る理由は、ないが」

「なんてね。冗談だから安心していいよ。祈里も」


 白雪希美の言葉は、どこまでが本気でどこまでが冗談なのかわかりづらい。

 こいつがもしも本当に俺と一緒に登校したいと思っているなら、なんでそんな考えに至ったのかがまるで理解できない。祈里への当てつけか?

 冗談だったからよかったものの、祈里が少しぴりぴりした空気を纏っているのは確かなことで、俺の背中に隠れながら、ぷるぷると震えて白雪希美を威嚇していた。


「ふふっ、それにしても祈里は九重君のことが本当に好きだよね」

「……す、すすすす……好き……っ……!?」

「人見知りの祈里が、そんな風に背中に隠れられるくらいは一緒にいて安心できるってことでしょ?」

「……そ、そそそそ、それ、は……」


 得意げに微笑む姉に、すっかりしてやられた様子で祈里は顔を真っ赤にして俯く。

 確かに、祈里が俺を好んでいたとして不都合があるわけでもない。

 だが、それはそれとして人をからかう癖があるのは、白雪希美なりの言い方で表すなら、こいつの悪いところなのかもしれないな。


「あまり祈里をからかうな、大人気ない」

「あはは、キミは正義感が強いんだね」

「正義もなにもあるか。第一、妹を困らせて楽しいのか、お前は」

「あは、正論だ。それじゃ私はこの辺で退散しておくね」


 それじゃいい一日を、と言い残して、白雪希美は言葉通りに踵を返して駅のホームへと歩き去っていく。

 なんだったんだ、こいつは。

 いや、あのまま気まずい空気を引きずって登校するよりはマシだったのかもしれないが。とにかくよくわからんの一言に尽きる。


「……むぅ……」


 そして、当てつけのような姉の言葉に苛立っていたのか、それとも単純に白雪希美に舌戦で完敗したことが悔しかったのか、祈里は頬を膨らませると、俺の左腕にしがみついてくる。

 どっちであれ、いつも通りの朝が戻ってきたような感じがして、少しだけ安心した……と、いうのは不謹慎か。

 姉の背中が溶け込んだ群衆を睨む祈里を宥めるように、俺は「行くか」と一言声をかけて歩き出す。


 はい、と答えた祈里がいつもより強く抱きついてくること自体はなんだか拗ねた子供を見ているようで微笑ましかったが、胸を強く押し付けてくるのはやめてほしいところだった。

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