第51話 肉まん、一つ
果たして俺は、白雪希美のエスコート役でありなにかあったときの護衛役を務める形で近所のコンビニまで足を運んでいた。
隣に誰かがいるというシチュエーションには祈里のおかげで慣れているが、俺と白雪希美の間には、当たり前だが断絶がある。
初手から距離感がバグっていた祈里が例外なだけで、本来ならほとんど初対面に等しい男女なんてこんなものだ。むしろ今時、野郎同士でも珍しくないだろう。
「キミは私と手を繋ぎたいとか、思わないの?」
それともコミュニケーション強者は違うんだろうか、などと他愛もないことを考えている中で、不意に白雪希美が問いかけてくる。
「どうなんだろうな、わからない」
白雪希美と互いに険悪な空気を抱えた間柄になりたいとは思わないが、かといって祈里のように親密な関係になりたいかと訊かれればそれも首を捻らざるを得ない。
ここで隣にいるのが祈里なら、なにより早く指を絡めて手を繋ぐなり俺の左腕に抱きつくなりしてきて、俺もなし崩し的にそれを受け入れているのだろうが──それが同じ顔の姉であっても、果たして受け入れられるのか。
その答えが、口に出した言葉だった。
わからない。もしもなにかがズレて、俺が助けたのが祈里じゃなく、白雪希美だったらそんな関係になる未来もあったのか?
まさか。自分で思いついたたわ言を否定する。
少なくとも今より親密になるのかもしれないが、白雪希美が俺というただの勉強狂いに興味を持つとは、とても思えない。
つまるところ、想像するにも足がかりがないのだ。俺の隣にいるのが白雪希美であるという、そんな荒唐無稽な未来を。
別にこれは白雪希美に限ったことじゃない。
ほとんど初対面の相手と交友関係を持つ未来なんて、想像できるだろうか。できるやつはいるんだろうが、俺には無理だ。
「そうだよね、キミは私を知らないし、私はキミを知らない。知ってるのは、お互い祈里を通じてだけ」
「よくわかっているじゃないか」
「でも、正直だね。キミは。下心とかないの?」
「あって嬉しいのか?」
「疑問文に疑問文で答えたら減点だよ、学年主席の九重君」
どこかで聞いたようなセリフだ。どこだったかは忘れたがな。
冗談めかして悪戯っぽく笑いながら、白雪希美は上目遣いで俺を見上げる。
疑問文に疑問文で答えたら、試験じゃ確かに減点だが、会話というものは生き物だ。そこに軸を置いて評点するなら別に減点対象にはならないだろう。
「……あるなし以前に、ほとんど初対面の相手にそんな気を起こすやつはいないだろう」
「そう? 一目惚れなんてありふれたことだと思うけど」
「……お前が言うなら、そうなんだろうな」
一目惚れした男子をことごとく玉砕させてきた女の言うことだ、重みが違った。
まるで自分は一目惚れされるのが普通なのだと言わんばかりの態度だが、多分白雪希美にとっては実際にそれが普通なのだろう。
生きてきた経験が、人生が違うのなら、俺から言えることはなにもない。唯一あるとするなら、俺たちは交わらない平行線だというだけだ。
「諦めたみたいな顔してるね、キミ」
「少なくとも俺とお前で価値観が違うことだけはわかったからな」
「そうかな? 私はキミとの共通項を探してみたいけどな」
なぜ俺のことを知りたがるんだ。そう訊いたとしても、恐らくは煙に巻かれるだけだろう。
白雪希美が考えていることはわからない。わざと、わからせないようにそう振る舞っているなら、相当な食わせ者に違いないから油断ならん。
などと、互いに牽制し合うようなやり取りを繰り広げているうちに、俺たちは目当てのコンビニに辿り着いていた。
「着いちゃったね」
「残念がることでもないだろう」
元々俺たちがコンビニへと足を運んでいたのは、祈里の看病をするためであって駄弁りながら時間を潰すためじゃない。
さっさと冷却シートの補充やら、日用品と必要なものの買い足しを済ませて帰りたいところだが、白雪希美が悪戯っぽい笑みを崩していないのはまだなにか、思うところがあるからなのだろう。
それが一体なんなのかは、まるで見当もつかないが。
籠に詰めた必要なものをレジに持っていく白雪希美の姿を横目に見ながら、俺は一足先にコンビニを出て、自動ドアの近くにある壁にもたれかかった。
梅雨も近づいてきたこともあって、夜もだんだんと蒸し暑くなっていくのを感じる。祈里は寝苦しくないだろうか。
いや、穏やかに寝息を立てていたからそれはないか。自分の想像を否定して、俺は小さく溜息をつく。
白雪希美は果たして祈里のことをどこまで大事に思っているのだろうか。
訊けたとしても訊いてはいけないようなことだが、なんとなく気になってしまう。
看病のために買い出しをする程度の情はあるようだが、あまり姉妹仲がよさそうには見えないからな。
祈里が心を閉ざしているのも少なからずあるんだろうが、傍から見るには白雪希美もまた、祈里のことを理解していないようにも思えた。
していない、というよりはできない、が正確なのかもしれないが。
これ以上は邪推に過ぎないからここでやめておくが、あくまでも俺の印象として、白雪希美は悪人でも悪女でもないが、共感力という意味ではどこか欠けているか、歪なところがあるように見えたのはある。
「待たせちゃったかな」
「そうでもない」
「よかった。ちょっとだけ野暮用があったから」
そう言って白雪希美が掲げてみせたのは、空いている右手に持った肉まんだった。
夏も近いというのに、なぜ肉まんなのか。
売っているコンビニもコンビニだが、謎のチョイスにますますこいつのことがわからなくなる。
「キミも半分食べる?」
「いや……俺はいい。それよりなんでこの季節に肉まんなんだ」
「好きだから、かな。好きなものを好きでいることに理由なんていらないでしょ? そんなものだよ」
「……そうか」
確かに言われてみればその通りだ。冬にアイスクリームを食べる人間がいてもいいのなら、夏におでんやら肉まんを食べる人間がいてもいい。
それが自由というもので、他人に迷惑をかけているのでもないんだから、こいつの言う通りだ。
初夏の蒸し暑い夜に肉まんをちまちまと、小鳥がつつくような速度で食べている白雪希美を横目に見ながら俺は、祈里も肉まんが好きなんだろうか、などとぼんやりしたことを考えていた。
「やっぱり、キミも食べる?」
「いや……」
「強情だね。祈里を待たせちゃってるし、私食べるの遅いから、少しだけ協力してほしいって言ったら、食べてくれる?」
なんで肉まん一つでここまでぐいぐい来るんだこいつは、と思わないでもなかったが、祈里を待たせていることは確かなのだから、協力するというなら異存はない。
結果的にそれが白雪希美の要望を呑み込む形になったとしても、元はこいつが肉まんなんが買ってきたからだとしても、だ。
白雪希美は満足げに小さく笑うと、肉まんを二つに割って、その片割れを俺に手渡してくる。
「はい、どうぞ」
「一応、礼は言っておく」
小腹が空いてたのもまた事実だからな。
俺はなんともなしに白雪希美から手渡された肉まんの片割れを一息に頬張って咀嚼する。
美味いか美味くないかで訊かれると微妙に答えに困る、よくいえば慣れ親しんだ、悪くいえばありふれた肉まんの味だった。
「ふふっ、これで私とキミは間接キスしちゃったわけだ」
白雪希美は悪戯っぽく笑いながら、そんな突拍子もないことを言ってのける。
危うく、飲み込んでいた肉まんをそのまま噴き出すところだった。
盛大にむせ返りながら、俺はただ、その真意が読めない行動に困惑する。
「げほっ……一体なんの真似だ」
「怖いなぁ、そんな目で見られると」
「そもそもそんな目で見られるようなことをするな」
「あはは、やっぱりキミってユニークだね。それでいて真っ直ぐだ」
人をからかうだけからかって、白雪希美はくすくすと口元を覆った妖艶な笑みを浮かべる。
ユニークでも真っ直ぐでも構わんし、俺の知ったところじゃないが、どこかで距離感がおかしいのはやっぱりこいつが祈里と姉妹だからなのか?
それとも単に俺になんらかの仕返しがしたくてこんな真似をしたのか?
わからない。
だが、一つだけ確信があった。
それは、答えを教えてくれと言ったとしても、絶対に白雪希美はそれを教えてくれることはないのだろう、という一言に尽きる。
「ふふっ……それじゃあ、帰ろっか」
「……そうだな、肉まんなんだしよく考えたら移動しながらでも食べられたな」
「でもキミは私の頼みを断らなかった。そういうのは、キミのいいところだと思うよ」
だから気に入った、と、ブーツの踵を鳴らしながら、上機嫌そうに白雪希美はアスファルトを蹴り上げて歩く。
なんだかよくわからないやつだ。雲を掴むような、煙に巻かれているような、それでいてどことなく距離感が近いことでなにかを錯覚させてしまう思わせぶりな態度。
遥か昔に生まれていたら、傾国の美女としてさぞかし名を馳せたんじゃなかろうか、こいつは。
そんな魔性の片鱗に俺も呑み込まれてしまったのだと自覚しつつ、帰り道を歩く。
だから気に入った、か。
俺のどこを見てそう言ったのかなんてことは恐らく一生わからないんだろうが、白雪希美が多くの男子たちを虜にしては玉砕させてきたその根源に触れて、少しだけ理解できた気がした。
こいつもこいつで、距離感がバグってやがる。ただその一言に尽きた。
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