第46話 プリントを届けよう

 翌日、祈里から飛んできたメッセージは案の定とでもいうべきか、「風邪を引いてしまいました、ごめんなさい」というものだった。

 デフォルメされたウサギが土下座しているスタンプまで添えられていたが、謝るようなことでもないと思う。

 ただ一言「気にするな、お大事に」とだけメッセージを送って家を出る。駅に着く前にメッセージが来たのは運がよかったかもしれないが、祈里にとっては笑いごとじゃないし、それを喜ぶ気には到底なれなかった。


 果たして俺は久しぶりに一人で登校することになったわけだが、思ったよりも手持ち無沙汰な感じが大きい。

 いつもは隣、というか向かいに祈里が立っていて、電車の中で単語帳や参考書を読めたのは一つあとの駅で降りるときまでだったからな。

 それが少し前に戻っただけだと考えればそうなのかもしれないが、やはりなんというか、寂寥感が拭えない。


 友達付き合いをするようになったのはここ二ヶ月ぐらいの話だが、それにしたって随分と俺も、祈里のいる生活に慣れきってしまったようだ。

 思えば初手から恋人になってください、と言われたんだったか。

 あのときどうして祈里が友達じゃなく恋人、という単語をチョイスしたのかはわからない。ライトノベルに影響されたにしては、言葉が重すぎるからだ。


 とはいえ、考えたって仕方あるまい。

 この真実は祈里のものだ。本人が話したいと思うときが来るまでは勘繰らないでいるのが無難だろう。

 些細な出来事ほど、黒歴史になっていたりしたら目も当てられないからな。


 そんな他愛もないことを頭に薄らぼんやりと浮かべながら、俺は欠伸を噛み殺して通学路を歩く。

 隣に祈里がいないことが、腕にしがみついてきたり、手を繋いでいないことが心細いというわけではないが、やはり手持ち無沙汰だ。

 空いた手に持った参考書がやけに軽く感じるのは、きっと気のせいじゃなかった。


「はろーやーやー、京介!」

「藤堂か、珍しく早いな」

「やー、お風呂上がってからそのまま寝落ちしちゃったからね!」


 その代わりというわけではないが、今日も元気にギターケースを背負った藤堂が珍しく、通学路で話しかけてくる。

 こいつとは家が近いはずなのに、通学路で会ったことはほとんどない。

 それもそうだ、なにせ藤堂はほとんどギリギリの時間になって登校してくるのだから。


 バンド活動は大変なんだな、と、しみじみ思う。なんだかんだで赤点回避して無事に学校に来られているだけでも百点満点だという藤堂の言い分も、決して間違っちゃいないんだよな。


「……風呂で寝落ちしなくてよかったな」

「あはは、そしたら私ここにいないって」

「それもそうか」


 確か、風呂で寝落ちする現象は眠るというよりは気絶するのに近いんだったか?

 どっちでも大して変わらんとは思うが、なんにせよ藤堂が無事でなによりだ。

 人は死ぬときは呆気なく死んでしまうからな。恐ろしいほどに、ただ呆然とするしかないほどに。


「ところで京介は今日はしーちゃんと一緒にいないの? ケンカでもした?」

「いや……祈里なら風邪を引いて休んでる」


 その話はさておくとして、俺は藤堂の疑問へ簡潔に答える。

 その真相が、相合傘をしたかったからわざわざ雨の中、傘も差さずに駅までやってきたからだというのは、祈里の名誉のためにも伏せておこう。

 藤堂はそうなんだ、と小首を傾げると、腕を組んで小首を傾げていた。


「昼休みのしーちゃん、風邪引いてるようには見えなかったけどなあ」

「放課後から急に悪化したんだよ」

「そういえば勉強会やってたもんね、もしかして知恵熱じゃない?」

「……お前は人をなんだと思っているんだ」


 知恵熱じゃないことだけは確かだが、確かにスパルタ式を押しつけてしまった前科があるだけに、強く反論はできない。

 哀しき勉強マシーンだとか言われても仕方がないぐらいにはここ三年間は勉強に没頭してきたからそう見えても仕方がないところがあるのは俺も認めよう。

 だが、人の心まで失ったわけじゃない……とは思いたいところだった。


「んー、まあ勉強狂い?」

「少しはオブラートに包め」

「事実じゃん」

「……それはそうだが」


 しかし、藤堂とこんな風に軽口を叩き合いながら登校するのは何年ぶりだろうか。

 しみじみとそんなことを考えながら正門を潜った先で、妬みを含んだ視線がぶつけられるのを背中に感じたが、別にこいつと俺はそういう関係じゃないぞ。

 ただの幼馴染だ。お互い呆れるぐらいにな。


「なんか今日はやけに見られてるなー、もしかして私のファン増えた?」

「……格闘ゲーム的な意味のファンだろうな」


 スラングとしてのファンメとか送ってくるタイプのやつだ。

 対戦ゲームは大昔に嗜んでいたが、まあ人の心がどこまでも荒みきった環境だったよ。他人煽っている暇があったらリプレイでも見返して勉強してた方が有意義だというのに。

 呑気に構えている辺り、藤堂もその手の視線には慣れているのだろう。それにこいつもなんだかんだで美少女という言葉でカテゴライズできる程度には面がいいしな。


 そういう意味では、藤堂の正しい意味でのファンも結構いるんだろう。

 それがバンド活動に上手いこと噛み合ってくれればいいんだがな。

 茫洋とそんなことを頭に浮かべながら、俺と藤堂は久しぶりに隣り合う形で教室へと向かって、そしていつものように別れた。


 女子グループの中で昨日のドラマの話だとかバンドの新メンバーがどうこうだとか、そんな話をしている幼馴染も、俯瞰するとなんだか遠くに行ってしまったと思うのは、きっと気のせいじゃないんだろうな。




◇◆◇




「あー、以上で今日のホームルームを終わりにしたいと思いまーす、解散!」


 壇上に立っているおさげ髪の我らが担任教師こと廣瀬先生は、相変わらず適当な調子で帰りのホームルームを締め括る。

 他人の名前を覚えることがあまり得意ではない俺でも流石に、担任の名前くらいは覚えている。下の名前は忘れてしまったがな。

 祈里もいないことだし今日は一旦帰るか、と、立ち上がって学生鞄を引っ掴んだそのときだった。


「あー、九重くん? ちょい待ってくれる?」

「どうかしたんですか」

「いや、君白雪さんと仲いいじゃん? だから家とか知ってたりしない?」


 四組まで行くの手間なんだよねえ、と肩を竦めて溜息をつきながら、廣瀬先生は俺にそう問いかけてくる。

 なるほど、今日のプリントとか、配布物の類を渡しに行かなければならないという話か。それは失念していたな。

 確かに俺と祈里は仲がいいし、なんなら家も知っている。白雪希美はモデルもやっているんだろうから、頼みに行けば余計手間はかかるだろう。


「……ええ、知ってますよ」

「なら話が早いわ、端的に言うと、白雪さんにプリントとか届けてあげてほしいんだよね」

「わかりました」

「おっ、君ってば意外に素直だね? いやー関心関心。最近は生徒に頼み事しても大体断られること多いからさー」


 そんな愚痴をこぼしながら、廣瀬先生は俺にプリントの束、というには少し枚数が足りないものを手渡してくる。

 それらを受け取ってクリアファイルに格納すると、俺は廣瀬先生に会釈をして、教室をあとにする。

 さて、祈里の家は知っているが、風邪を引いているんだから、ただプリントを届けておしまい、というのも薄情だろう。


 なにか欲しいものがあるかどうか、メッセージアプリを立ち上げて確認しようとしたが、熱を出していたら、返信するのも一手間だろう。

 なら、俺が独断と偏見で決めるしかあるまい。祈里の見舞いに行くための品を。

 駅の近くにスーパーはあったかどうかを地図アプリで確認する。一秒足らずに吐き出された検索結果曰く、祈里の家に向かうための経路上に存在しているようだった。


 なら、一安心だ。

 不幸中の幸い、とは少し違うが、プリントについてはついでみたいなものだ。どちらにせよ、祈里の見舞いには行くつもりだったからな。

 熱を出して家にひとりぼっちでいることほど悲しく、虚しいことはないと、そんな他愛もないことを思い返しながら駅へと歩く。ああ、本当に。


 本当に、虚しくて悲しいからな、熱を出したときのひとりぼっちというものは。

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