第44話 逃げ場所を探して

「そういえばさ、京介としーちゃんは今日も勉強会するつもりなの?」


 藪から棒に藤堂がそんなことを尋ねてきたのは、最後の授業が終わって、今まさにそのための準備を整えようとしていたときのことだった。


「そのつもりだが」


 祈里に特段外せない用事があるとか、そうでなければそのつもりだ。

 中間試験では打倒白雪希美を掲げて、そのための勉強会になっていたが、元々は祈里から頼まれて始めたことだ。向こうからやめたいと言われない限りは、続けるつもりだったんだが。

 なにかまずいことでもあるのか、とばかりに俺が首を捻ると、藤堂は肩を竦めて答える。


「いやね、翔が原因ってわけじゃないけど……京介としーちゃん、今一躍時の人ってことで話題になってるじゃん? 聞いた話じゃ新聞部の人がインタビューしたがってるとか」

「なんだそれは……」


 この高校に新聞部なるものが存在していることも初めて知ったが、なんでわざわざ俺たちにインタビューなんて、けったいなことをしなければならないんだ。

 三木谷のアホは噂を広めるというより乗っかる側のアホだから、あいつが元凶だとかいうことは……いや、もしかしたらあるのかもしれないが、今はないと考えておこう。

 特ダネを掘り起こそうとする記者根性を高校生のうちから発揮するのは実に素晴らしいことなのかもしれないが、掘り起こされる側としては堪ったものじゃない。


 これで白雪希美が不敗の女王だとかならわかる。しかし、自慢じゃないが学年主席は俺だ。

 仮に白雪希美が噂と本人の主張通りに学年次席だったとしよう。

 だとして、「無名の新人が一科目だけ次席に勝った」という煽り文句は校内新聞の見出しとして盛り上がるのか?


 読むのが俺ならそうなのか、ぐらいで済ませるという確信がある。

 お前はそもそも他人の噂話に関心がないからだろうと指摘されれば、そこまでの話だが。

 ともかくそんな面倒が待ち受けているのなら、図書室には行かない方がいいのかもしれない。だが、見てみないことにはわかるものもわからん。


「忠告はありがたく受け取っておく、とりあえず行ってみて確かめなければなんとも言えんが」

「そうだねー、私も噂で聞いただけだし。勉強会するなら頑張ってね、京介、しーちゃん!」

「お前もバンド活動、頑張れよ」


 互いに激励を送り合って、俺は、ひらひらと手を振りながらギターケースを背負って教室を出ていく藤堂の背中を見送る。

 あいつが留年しないかどうかは少なからず心配だが、やりたいことを貫き通せなくなったときの方がよほどつらいだろう。だったら俺にできることは応援と、泣きつかれたときに勉強を教えてやることぐらいだろう。

 そんなことにならないのが一番だがな、とと小さく頷く。そして、教室から完全に藤堂の姿が見えなくなった辺りで、待っていたかのように祈里がぱたぱたと駆け寄ってきた。


「……お、お待たせ……しました……」

「いや、待たせていたのは俺の方だろう。すまない」


 あだ名で呼ばれるくらいの距離感にはなったようだが、どうにも俺以外の誰かを相手にすると祈里はぎこちないというか、壁を作っているような感じがするのは否めない。

 なぜ俺が例外なのかについてはさっぱりわからんが。

 ともかく、噂の真偽を確かめるためにも、図書室に行ってみるに越したことはないだろう。杞憂で済めば万々歳だからな。


 俺もぺこりと頭を下げた祈里に頭を下げて、それを合図に誰もいなくなった教室を出る。

 今し方、泣きながら廊下を疾走していたやつは白雪希美に告白して玉砕したのだろうか。

 一ヶ月以上経ったのに、懲りないし飽きないものだ。それ以上に白雪希美の方もうんざりしてそうなものだが。


「……ぁ、ぇ、えっと……九重、君……」

「どうした、祈里?」

「……そ、その……新聞部の……人、たちが……いるって……」

「どうなんだろうな」


 祈里の疑問に、俺は首を捻ってそう返した。

 大体、噂というのは尾鰭がつくものだし、一人歩きして、伝言ゲーム式にスケールが膨れ上がっていくものだ。

 元々は「新聞部の誰かが俺たちにインタビューすることを考えていた」ぐらいのスケールな話がいつの間にか図書室で出待ちなんて話になっていた可能性は大いにあり得る。


「だから、確かめに行くつもりだが……嫌ならそのまま帰るぞ、どうする」


 約束した以上、勉強会ができなくなるのは俺としても避けたいところだったが、今日は直帰しますと祈里が言ったなら無理に付き合わせる必要もない。

 本人が望んでないことを押しつけても、大概ろくなことにならないからな。

 それに、わざわざ噂を確かめに行くだなんて、学校の七不思議を探すような不毛な真似をする必要も本来ならどこにもない。


 勉強会をしたい。だがそのためには噂の真偽を確認しなければどの道図書室を使えるかどうかはわからない、痛し痒しだな。

 だったらファミレスとかに行ってやればいいんだろうが、長い時間一品だけ頼んだ料理とドリンクバーで粘るのも店としては迷惑だろう。

 ならば、静かで洒落た喫茶店なんてどうだといわれても俺は知らん。


 知ってたらよかったんだがな、生憎そうはならなかったんだよ。

 休日は勉強したいから、この前だって遊びに行くためのプランを三木谷に訊く必要があったわけだしな。

 普段からろくに出歩きもしないのを、今はただ後悔するばかりだった。


「……ぇ、えっと……わ、わたしは……いつものところがいい、です……」

「そうか……なら、行くしかないな。祈里」

「……は、はい……っ……!」


 俺だって、図書室を使えるならそれに越したことはないんだ。

 直行直帰が理想だからな。あまり駅から遠くなると帰りの時間も考えなくちゃならん。

 つまるところ、図書室は時間がかからず手間暇も同様な場所なのだ。それでいて、誰に遠慮することもなく勉強時間を確保できる。


 まさに優良物件、あるいは捨てるところがない完全食。おまけに無料なんだからいうことなしだ。


「……ぁ、あの……」

「ああ」

「……えへ……あ、ありがとう……ございます……」


 祈里が遠慮がちに伸ばしてきた右手に、指を絡める形で手を繋いで俺たちは旧校舎までの道を歩く。

 しかし、手を繋ぐのもすっかり定番になってきたな。

 そんな状況に、明らかにバグった距離感に順応している自分に苦笑する。だが、祈里が満足しているなら、全てよしといったところだろう。


 などと、薄らぼんやり頭の中に言葉を浮かべながら辿り着いた旧校舎、図書室への曲がり角で俺は足を止める。


「……ど、どうしたんですか……?」

「……見ろ、祈里」

「……ぁ……っ……」


 どうやら最悪なことに、噂は本当だったらしい。物陰から顔を覗かせれば、図書室の入り口近くにメモとペンを持った三人組ぐらいの小集団がたむろしているのが窺えた。

 張り込みのつもりなんだろうが、受付の図書委員もよく怒らないな。いや、本読んでるだろうから関心がないだけか。

 どちらにせよ、行けば面倒ごとに巻き込まれるのは確定だ。そんなものはごめん被る。


「……仕方ない、今日はやめておくか」


 非常に遺憾ながら、俺はそう呟く。

 これで明日も明後日もやつらが張り込んでいるなら本格的に対応を検討しなきゃならないのだろうが、流石にそこまでプロ根性発揮したりはしないだろう。

 俺たちの噂話よりも、どこぞの部活が県大会まで進んだとか、そっちの方が話題としては景気がいいだろうからな。


「……そ、その……」

「どうしたんだ、祈里?」

「……きゅ、旧校舎って……つ、使われてないお部屋とか、あったり……する、んでしょうか……?」


 今日は諦めるかあるいは大人しく金を払ってファミレスに居座るかを訊こうとしていたが、俺がその案を提示するより早く、祈里が第三の選択肢を突きつけてくる。

 そうか、その手があったか。

 俺たちの学校にどれくらいの部活があるのかは知らないが、旧校舎の教室を埋め尽くすほどあるわけではないだろう。


 多少行儀は悪いが、空き教室を使わせてもらえば張り込みの目を逃れることもできるはずだ。

 無論、新聞部が旧校舎こと部室棟全体に目を光らせていなければの話だが、そこまで人数を割いている確率は低い。

 新聞部の規模を正確に把握しているわけではないが、俺たちの高校がマンモス校でもなければ、いても十数人ぐらいが関の山だ。


 その中の全員が一つのネタを追いかけているわけじゃなければ、新聞部とエンカウントする危険性は少ない。

 最悪、ダメそうだったら全力で逃げてファミレスに居座ればいいだけだからな。

 祈里の発想に、俺は心の底から感謝する。


「祈里は賢いな」

「……そ、そんなこと……ない、です……でも……ら、ライトノベルだと……空き教室を……つ、使うのって……定番、ですから……」

「……そういえばそうだな」


 空き教室に屋上。ライトノベルでは定番でも、今どきは使える方が珍しいが、俺たちの学校はその辺がザルだ。

 それでいいのか、とも思うところはある。

 ただ、背に腹はかえられん。罪悪感はあれど、今はこの状況を有効活用させてもらうとしよう。

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