第43話 あだ名で呼んで構わない?
三木谷のアホが言っていた噂話は笑い飛ばせば済むようなことだが、俺と祈里に向けられる視線が大分変わってきたのは事実だった。
ちょっと前まで教室の片隅で勉強やってただけの男と、猫背になってライトノベルを読んでいた女が一躍時の人になったとでもいえば聞こえはいいのかもしれないが、いざ注目される側に回ると中々笑えない。
むしろ今まで通り放っておいてくれと思うのは、ただ単に俺が捻くれているだけだろうか。
そんなことをぼんやりと頭の片隅に浮かべながら、四限終わりに購買か学食へとダッシュしていく生徒を見送る。
あいつらは元気でいいな、きっとそれが学生としては正解だ。
噂話よりも目先の飯の方がどう考えても美味いというのに、なぜ人間は根も葉もない話に吸い寄せられるのか。
全く、嘆かわしい限りだ。
とはいえ人の噂も七十五日、いつしか俺と祈里が注目を浴びることもなくなっていくのだろう。そのために二ヶ月と半かかるのが割に合ってるかどうかはさておくとしてもな。
机からいつも通りにおにぎりを取り出して、とてとてと椅子の上に弁当箱を乗せた祈里が駆け寄ってくる姿を一瞥する。
「……お、お待たせ……しました……」
「別に急がなくても大丈夫だ、祈里」
「……で、でも……お昼休みは、九重君と……少しでも……長く、一緒に……いたい、ですから……」
俯きながら、頬を赤く染めて祈里が呟く。
弁当を食べさせ合ってることを除けば、祈里と俺の昼休みに特別ななにかがあるわけじゃない。
弁当の件に関しては祈里の距離感がバグっているからだということでひとまず説明をつけておくとしても、それ以外については本当に他愛もない会話をするぐらいだ。
だとしても、祈里にとってはそれがかけがえのない時間であるらしい。
面と向かってそう言われると、なんだ。非常にこうむず痒いというか、胸の奥をくすぐられたような気持ちになる。
そうか、と答えるのが精一杯だった俺を笑いたければ笑うがいい。我ながら情けない強がりだが。
「翔の話は話半分で聞いてたけどさー、京介と白雪ちゃんって実際どうなの、付き合ってるの?」
俺と祈里の間に漂う、どことなく気まずい沈黙を破ったのは、藤堂の呑気な問いかけだった。
特におちょくる様子もない、純粋な疑問としての問いかけだ。
当然の権利のように俺の机に椅子を横付けした藤堂は、また物販が好調だったのか、メロンパンの袋を開けながら小首を傾げる。
「……俺たちはあくまで友達同士だ、それ以上でもそれ未満でもない」
「……ぇ、ぁ……そ、その……は、はい……まだ……」
「ふーん、そうなんだ。翔も相変わらず適当言ってるなー」
自分から訊いておいて随分とあっさりした答えだな。
藤堂は「それもまた翔らしいんだけどね」と呟いて、もそもそとメロンパンに齧り付く。
それにしても、駄菓子棒食ってないときは大概メロンパン食ってるなこいつ。好物だか甘いものは別腹というが、菓子パンは炭水化物と糖質の塊だぞ。
「京介、今すっごい失礼なこと考えてなかった?」
「……気のせいだろう」
「本当嘘下手だよねー、まあ私はギタボやってるし? ボイトレとかでちゃんと食べた分カロリー消費してるからいいんだよ! ね、白雪ちゃん?」
「……ぇ、ぁ……そ、そうです、ね……?」
なにも知らない祈里に同意を求めるな。
しれっと多数派になろうとしている藤堂を牽制しながら、俺もまたおにぎりに手をつける。
祈里と藤堂は友達同士……ではあるが、まだその距離が近いとはいえない。そんな状況で流石にいつもの「あーん」をする気になれなかったのか、祈里もまた肩身が狭そうにカラフルな弁当をつついていた。
「それにさ、メロンパンって他の菓子パンよりでっかいじゃん? その分お得感あるよね」
「そうなのか」
菓子パンなんてほとんど食ったこともなければコンビニに立ち寄ることもそんなにないから、その辺りはさっぱりだ。
祈里も菓子パンを食べたりするんだろうか。
ふと気になったが、世の中菓子パン嫌いだって方が少数派だろうから、休みの日とかは案外食べているのかもしれないな。わかったところでなにかあるわけでもないが。
「……ぇ、えっと……わ、わたしは……く、クリーム、入ってる方が……好き、です……」
「お、白雪ちゃんはメロンの入ってないメロンパンはメロンパンじゃない派かー」
「……そ、そこまで……過激、じゃ……ないです……」
「たまにいるんだよねえ、メロン入ってないのにメロンパン名乗ってるのはけしからん! みたいな人。でもなんでメロンパンはメロンパンっていうんだろうね、京介は知ってる?」
他愛もなければ取り留めもない話題を振って、藤堂はいちごオレでメロンパンを流し込む。甘さで胸焼けしそうな組み合わせだ。
一応、メロンパンの名前の由来は知っている。
だが、メロンの入ってないメロンパンなんて認めないとかいう過激派がいることは初耳だ。菓子パン界隈もどこぞの里と山が争っているように闇が深いのか?
「メロンの形に似ているからそういうらしいが」
「相変わらず物知りだね、京介」
「別に大したことじゃない」
「そこは謙遜しなくていいんじゃない? そんでさ、白雪ちゃんも京介に教えてもらって百点取ったんだよね?」
私も教えてもらえば八十点は取れるかな、とか藤堂はほざいていたが、片腹痛い。
「……は、はい……」
「百点を取れたのは単純に祈里が頑張ったからだ、それにお前は中学の頃、俺に頼み込んでおいて堂々と居眠りした前科があるだろうが」
「そんなこともあったなあ……ほら、私は音楽でご飯食べてく予定だからさ」
「その前に留年したら一巻の終わりだぞ」
進級すら蹴ってロックに身を捧げるというなら凄まじい覚悟だが、楽しさだけに流されるまま音楽をやって留年からの中退を決めるコンボはあまりにも情けないぞ、幼馴染として。
「半分くらい当たってるね、耳が痛い」
「半分どころか全部当たっているだろうが」
「そんなことないしー! 赤点は全科目ギリ回避できたしー!」
なんの自慢にもなっていない。
俺と藤堂がそんな他愛もないこと極まりない会話を繰り広げている横で、祈里はおろおろと助けを求めるように視線を往復させていた。
それに、話が脱線しすぎたせいで元々なにが本筋だったのかさえわからない始末だ。そもそもお前はなんのために俺の席まで来たんだ、藤堂。
「あー、そうだ思い出した!」
「なにをだ」
「京介というか私、白雪ちゃんに用があったんだよね」
昼休みはいつもここにいるし、と付け足して、藤堂は左の掌を右の拳でぽん、と叩く。
俺はともかく、藤堂が祈里に用件というのは中々不思議というか新鮮だな。
満点カップル騒動の真相なら最初に語った通りだからそれ以上補足することはないが、果たして藤堂は祈里になにを訊くつもりなのだろうか。
「ねえ、白雪ちゃん」
「……は、はい……っ……!」
「そんなに緊張しなくていいってばー、それでえーっと、あ、そうだ。白雪ちゃんって、呼びづらくない?」
四組にも白雪さんがいるし。
などと言ってはいるが、元々お前が白雪ちゃん呼びをし始めたからだろう。
なにも考えてないような、三割くらいはなんか考えているような、そんな絶妙なアホ面を晒しながら、藤堂は祈里に問いかける。
「突然だけどさ、白雪ちゃんのことこれから『しーちゃん』って呼んでいい?」
あだ名の方が親しみやすいしね、と藤堂は親指を立てながら祈里へと、そんなことを言ってのけた。
それ自体はまあ、真っ当な提案だ。苗字とちゃん付けだと呼びづらいというか、語感が悪いところもあるだろうしな。
突然の出来事に白雪は処理落ちを起こしてフリーズしていたが、少しずつ、錆びついたブリキ人形のような挙動で俺に視線を向けてくる。助けて、といったところだろうか。
「……いいんじゃないか、藤堂と仲良くなるのも」
「そうそう、もっとフレンドリーに行こうよしーちゃん」
「……し、しーちゃん……そんな……わたし、なんかに……もったいない、です……」
「もったいなくはないぞ、祈里」
祈里は困ったように眉を八の字に歪めながら、あわあわと身振り手振りを交えて俺に助けを求めてくる。
別にあだ名の一つや二つ、蔑称や悪意のこもったものじゃなければもらっておいて損はないだろう。
それに、この機会を棒に振る方がどちらかといえばもったいない。俺は肩を竦めて、そう主張した。
「……そ、そうです、ね……し、しーちゃん……えへ……あ、あだ名で呼ばれるの……はじめて……です……」
「そうなの?」
「……い、今までは……おい、とか……お姉ちゃんじゃない方、とか……呼ばれてました、から……」
「そりゃなんとも……よしよし、これからは私がたっぷりしーちゃんを甘やかしてしんぜよう」
笑えないレベルな自虐をさらっと受け止めて流す辺り、藤堂のバンドマンとして磨いてきたコミュ力は伊達じゃないようだった。
初めてまともなあだ名をつけてもらったことを恥ずかしがりながらも、すっかりご満悦といった調子で祈里は藤堂に撫でられて、その頬を朱く染める。
まあ、なんだ。たまにはいいんじゃないか、俺以外と交流を持つのも。
どことなく嬉しそうな祈里を見る俺の目がどんな色をしているのかはわからないが、少しばかり釈然としないものを感じるのは、事実だった。祈里だけじゃ飽き足らず藤堂まで、みたいな目で野次馬に見られるのは、勘弁願いたいところだがな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます