第42話 これが噂の満点カップル?

「よう、京介!」

「出たな三木谷」


 教室に到着するなり、ニヤケ顔の三木谷が俺の肩をぽん、と叩く。

 露骨にニヤけてはいるが、妙に爽やかなのが微妙に腹立たしいな。これがイケメンの特権というやつか。

 濡れ鼠になっていた祈里にせめてなにか髪ぐらいは拭けるものがないかとハンカチを手渡して、ブレザーを被ったまま席に向かうよう、無言で促す。三木谷の話なんて、どうせまた怪しい噂話だろうからな。


「相変わらず人を妖怪みたいに扱うな、京介は」

「噂話をばら撒く妖怪の類だろう、お前は」

「失礼だな、俺は既に燃えてる噂話に乗っかるのが好きなのであってだな、火のないところに煙を立てるなんて三流ゴシップ記者みたいなのは好みじゃないんだよ」


 それはそれで別な方向でタチが悪くないか。

 既に燃えている話題で暖を取るのが趣味という割に、こいつが交友関係を広く維持できてるのはなんなんだろうな。コミュ力の差なのか、それとも世間は案外似たような趣向の持ち主が多いのか。

 乙女心もさっぱりだが、誰それが付き合っただの別れただのとか、そんな話もまた同様にわからない。それでも三木谷みたいに追いかけてやまないやつがいる辺り、確かに需要はあるんだろうが。


「お前の信条はわかった、それで今日はなんの話だ」

「おいおい、とぼけるつもりか京介?」


 わざとらしく肩を竦めて、三木谷はふっ、と俺の言葉を笑い飛ばした。

 とぼけるもなにも、なにか噂になるようなことをした記憶など俺にはない。恋愛ごとなら尚更だ。

 心当たりがあるとするならこの前の中間試験、最難関の国語で満点を取ったことだが、別に皆が驚くような話じゃないだろう。


 世界を沸かせるファンタジスタがハットトリックを決めたとか、投手も野手もやれる選手が八面六臂の大活躍をしたとかならまだわかるが、学年主席が百点を取ったって、盛り上がる要素なんてどこにもない。

 嫌味に聞こえるかもしれないが、そんなものだ。

 いるのかどうかすらわからない、勉強によっぽど、スポーツ観戦をするサポーターのごとくのめり込んでいる奇特なやつを除けば、だが。


「とぼけるもなにも、俺はなにもしていないんだが」

「見苦しいぜ京介……俺は知ってるぞ、お前がこの前の中間テスト、それも国語で百点を取ったことを!」

「大体のやつは知ってると思うが」


 戸村だったか西村だったか忘れたが、とにかくあの国語教師が満点だった人間の話を口にすれば、それは周知の事実になるだろうよ。

 難しい試験の話題で盛り上がるのは解いた人間がすごいとかそういうポジティブなものじゃない。直球で問題を作ったやつに──つまるところ教師に対する憎しみの類だ。

 事実、国語のテストが返却されてからの昼休みは阿鼻叫喚だったからな。


 その場に藁人形と五寸釘があれば迷わず打ちつけているであろう純然たる恨みに、丑の刻が正午じゃなくてよかったと心の底から思ったよ。


「ははっ、甘いな京介! 百点を取ったのはお前だけじゃない……そう、百点は二人いるんだ!」

「そうだな」


 大袈裟な姿勢を取って放たれた三木谷の言葉に、祈里の細くなだらかな肩がぴくり、と跳ねる。

 すまない、祈里。巻き込まれ事故をもらったようで悪いが、三木谷はこういうやつなんだ。

 そして祈里が満点を取ったのは事実なのだから、存分に誇ればいいだけのことでもある。おかげで白雪希美に一泡吹かせることができたわけなのだから。


「国語のテストで満点は二人、それも一組に二人だけ……お前と、そう、妹ちゃんの二人だけ! これが意味するところをわからないお前じゃないだろ、京介!?」

「いや、さっぱりわからんが」

「そこはわかっといてくれよ! あー、なんだ……つまりだ! 京介、お前と妹ちゃんは今話題沸騰の満点カップルだってことなんだよ!」


 な、なんだって──とでも言えばいいのか。

 なんだその超理論は。百点取った人間同士がカップルとして扱われるなら進学校の主席クラスは全員が全員付き合ってるということになるぞ。

 火のないところに煙は立たないというが、燃えるには随分と小さな火種を全力で煽り立てているようにしか聞こえないぞ、三木谷。


 満点カップルなる珍妙な単語を耳にした祈里は、俺が貸していたブレザーをより深く被って机に突っ伏す。顔は見えないが、きっとそこに朱が差していることは安易に想像できる。

 そういう誤解を受けるのが一概に嬉しくない、という話でもない辺り、乙女心なるものは複雑怪奇だと唸るしかない。

 噂はどうだか知らないが、俺たちは付き合っているわけじゃない。あくまでも友達同士だ……と、説明したところでわかってもらえる気もしないので、適当に乗っかっておくことにする。


「なにか証拠でもあるのか」

「なけりゃ調べてるよ、その根拠はだな……お前と妹ちゃんが図書室で勉強してたことだ!」

「……それは確かに事実だが」


 友達同士で勉強会なんて、別に珍しくもなんともないだろう。

 多分白雪希美と祈里を間違えた人間の噂話に尾鰭がついて、それをファクトチェックした結果が三木谷の話ということになるんだろうが、前提からしてそもそも間違っている。

 つまるところ不正解だ、と言いたいところだったが、それを遮って三木谷は腕を組みながら「みなまで言うな」とばかりに深く頷く。


「俺はな、京介……感動してるんだよ」

「情緒が不安定すぎるな。保健室に行くか、三木谷?」

「すっかり干物になったお前が今や彼女持ち……そして満点カップルになるまで親密に勉強を教え合うなんて青春してることにな」


 俺の話を当然の権利のようにスルーして、訳知り顔の三木谷はそう語った。

 干物といわれればその通りだが、大袈裟すぎるだろう。噂を拡大解釈しすぎだ。

 大体、俺の青春なんてどうでもいいだろう。東都大学の門を叩くまでは勉強一筋だと決めているし、これまでもこれからも、それが揺らぐことはない。


「……仮にお前の言い分を聞くとしてだ、それは噂話に過ぎないんだろう」


 百歩どころか一億歩ぐらい譲歩して満点カップルであるという前提を認めてやるとしても、噂は噂だ。出所だってわからなければ、真偽だって確かめようがない。

 いやこの噂は明確に偽だが。当事者の俺がいってるんだから間違いないだろう。

 それでも尚譲歩して、噂話には少なからず証拠があるという体で話を進めても、結局のところ当事者の俺たちが「そうだ」と言わない限り、それは状況証拠でしかない。


 疑わしきは罰せず。

 法治国家の決まりに則るならそれは有効な証拠として認められないんだ、それをわかるんだよ、三木谷。

 肩を落として溜息をつく俺に、三木谷はどこまでも爽やかな笑顔を浮かべたまま親指を立ててみせる。


「俺は応援してるぜ、お前と妹ちゃん……満点カップルの行く末をな」

「だからカップルじゃないと言っているだろうが」

「そっちの方が面白いだろ?」


 仮に嘘だったとしても、踊る阿呆に見る阿呆だからな、と、得意げに白い歯を見せながら笑って、三木谷は一組の教室をあとにする。

 三流ゴシップ記者とは違うとか言っていたが、やっていることはあまり変わらない気がしてきた。

 その方が面白いからという理由で火の粉をかけられてみろ。当事者としては逆上するか、それを通り越して呆れるかしかないというのに。


 相手が付き合いの長い俺だからまだいいものの、三木谷がいつか好奇心に負けて怪しい噂話に手を出さないかと心配になってくる。

 その辺のリスク管理は弁えてるとは言っていたが、リスクのついでにプライバシーとかも弁えててもらえるとありがたかったんだがな。

 そんな具合に呆れ半分で肩を竦めて、俺は腐れ縁の親友が上機嫌な様子で去っていくのを見送りながら、再び小さく溜息をつく。


「……ま、満点……カップル……えへ……」


 祈里もさぞかし呆れているだろうと思ったら、さっきと変わらずブレザーを被ったままえへえへと控えめに笑っていた。それでいいのか。

 そして、話の一部始終を聞いていたクラスメイトの視線が背中に遠慮なく突き刺さるのを感じつつ、俺は再び溜息をつく。

 そういえば白雪希美に俺と祈里が百点を取ったという噂……というか情報を流したのも三木谷だったな。あの野郎には一度くらいは鰻重うなじゅうでも奢ってもらわないと割に合わない気がしてきた。


 それに、人の噂もなんとやら、だ。

 事実は一つしかないが、真実は心の数だけ存在するとは誰の言葉だったか。誰でもいいか。

 だが、まあ、なんだ。祈里が満足そうにしてるなら、多分それでいいんだろう。


 朝っぱらからすっかり疲れ込んで肩を落としながら、俺は薄らぼんやりとそんなことを頭の片隅に浮かべることしかできなかった。

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