第29話 「勉強会」をしよう

 人事を尽くして天命を待つとはいったが、付け焼き刃はそれに含まれない。

 わかってはいたが残酷な事実だった。

 捻くれた国語教師が出した悪夢の小テストが返却されたときの教室といったらそれはもう阿鼻叫喚の一言に尽きる。


「一応言っとくがお前ら、中間テストも出題形式は変えないからしっかり対策しておけよー」


 などと呑気に宣って教室をあとにした、いつも微妙にくたびれたスーツを着ている国語教師に注がれる視線のドス黒さといったらない。

 俺は参加したことなど一度もないからこれで例えていいのかはわからんが、さながら四限終わりの購買学食戦争のようだった。

 それぐらい殺伐とした生徒たちの目を飄々と受け流している国語教師も食えない男だな。微妙な意地の悪さ以外は尊敬してもいいかもしれないな。


「……こ、九重……君……」

「……どうした……いや、よく頑張ったな、白雪」


 ふらふらと、力のない足取りで俺の席までやってきた白雪はこの世の終わりみたいな表情をしていた。

 まあ、その、なんだ。

 本当に申し訳ない。その一言に尽きる。


 一体どんな点数が記されているのかと、俺は戦々恐々とした面持ちで白雪が手に持っていた解答用紙を裏返すのを待つ。

 そこに並んでいるのが例え二桁を割っていたとしても驚きはしない。ただ受け止めて、次への糧にすればいい。

 それが大人の特権というわけではないが、起きてしまった出来事は変えられない以上、どこかで受け止めて折り合いつけとかなきゃいけないんだよ。


 覚悟はしたが、固唾を飲む。

 白雪が解答用紙をおずおずと裏返す。

 果たして、そこに記されていたものは。


「……え、えへ……六十二点……でし、た……」


 一瞬、椅子から転げ落ちそうになった。

 白雪が我が目を疑うような顔をしていた理由は点数が絶望的だったんじゃなく、信じられないレベルで上振れたからといったところだろうか。

 六十二点。及第点ギリギリといった点数ではあるが、それでも合格は合格に違いない、一夜漬けを通り越した一朝漬けでよくここまで頑張れたものだと、素直に感動する。


「……よかったな、白雪。そしてすまん、普通に勉強してたらもっと点数良かっただろうに」


 夜更かし感想戦についての責任は全面的に俺のものだ。

 その時間を勉強に充てていれば、多分八十点台後半ぐらいは取れたんじゃないだろうか?

 予想は予想でしかないが、やはりどうしてももったいない、という気持ちと申し訳ない、という気持ちが湧き起こってくる。


「……ぇ、えっと……そ、その……ち、違うん、です……九重君……」

「……ふむ?」


 頭を下げた俺に対して、白雪は慌てた様子でそう弁解した。

 違うといわれても、なにが違うというのか。

 困惑する。ミスリードを誘うような問題ではあったが、細かくノートを取っておけば、そしてそれを復習していれば十分に対応できる範囲だったはずだ。


「……わ、わたし……ご、五十点台超えたの……は……初めて……で……」

「……うん?」

「……ご、五十点台超えたの……初めて……です……」


 白雪は恥ずかしそうに頬を染めてぼそりと、今にも消え入りそうな声でそう呟いた。

 まさか。今まで五十点超えたことがないようなタイプが解ける問題じゃなかったぞ。

 俺に遠慮して話を盛っているのか……と一瞬疑いかけたが、そもそも白雪は嘘をつくのが極端に苦手で、嫌うタイプのはずだ。


 なら、それは紛れもなく真実ということになる。

 五十点台を超えたことがなかった人間がまさか朝にちょっと勉強しただけで自己ベストを更新するだなんてあり得ないといいたいところだが、現にこうして、目の前に実例がいるんだから認めざるを得ないだろう。

 確かに力は貸せるだけ貸したが、それで自己ベストを更新できるということは、白雪の中には相当な才能が眠っているんじゃなかろうか。ただただ、俺は目を丸くするしかなかった。


「……そ、その……こ、九重君……」

「……どうした、白雪」


 鳩が豆鉄砲を食ったどころか機銃斉射を喰らったような表情をしているであろう俺に、解答用紙で真っ赤になった顔を隠すようにしながら白雪は呼びかけてくる。


「……そ、その……ぁ……あの……えっと……よ、よければ、で……いいん、です……けど……」

「ああ」

「……わ、わたしに……お、お勉強を……教えてくれます、か……?」


 それぐらいならお安い御用だが、本当にいいのか。

 俺は別に大それたことをしたわけじゃない。ただノートの中からテストに出そうな範囲や解釈、キーワードをピックアップして白雪に教えていただけだ。

 だから、自己ベストを掴んだのは、他でもない白雪自身の頑張りがあったからに他ならない。それだけは間違いないだろう。


「……構わないが、俺でいいのか?」


 こういってしまえばなんだが、俺のやり方なんて自己流もいいところだぞ。

 ノートは隅々まで取るようにしているが、参考書や問題集は基本的に中古品でやりくりしているだけだ。そうするしかないからな。

 だから、本当に正しいやり方で教えてほしいなら、それこそ餅は餅屋で塾や家庭教師に頼るのが最善だとは思う。


「……こ、九重君が……いい、です……九重君じゃなきゃ……い、嫌……です……」

「……ふむ、ならわかった」


 だが、白雪がそれでいいというなら、その願いを無下にすることはできまい。

 友達同士、困っているのなら助け合う。

 約束を守ることのように、それはごく当たり前のことだ。一人の、人間として。


「善は急げというからな。今日の放課後から……そうだな、図書室で構わないか?」

「……は、はい……っ……! よ、よろしく……お願い、します……っ……!」

「……任された以上は全力を尽くすが、あまり期待するなよ」


 果たして俺の中に人へものを教える才能があるのかどうかなんてわからない。

 俺の勉学は、歩んできた道は常に一人だった。一人で簡単な問題集から始めて、壁にぶち当たったらそれを爪に血が滲んでもなんとかよじ登ってきたような、歪な旅路だ。

 そうすれば頭がよくなるなんて、口が裂けてもいえないし、白雪に同じような道を歩んでほしいとも思わない。それでも、俺は。


 俺は、白雪の力になりたい。

 罪悪感だとか、責任だとか、そういうものだけじゃなく、ただ己に課せられた使命であるかのように、願われたことを果たしたい、その祈りに応えたいという気持ちが、ふつふつと心の奥から湧き上がってくるのだ。

 なら、やってみせるしかない。俺にものを教える才能があろうがなかろうが──やってみせれば、なんとでもなるはずだ。


 そう自分に言い聞かせながら、俺は白雪からの頼みを、願いを承諾する。


「……こ、九重君、は……」

「ああ」

「……な、何点……だった、んですか……?」


 参考までに訊いておきたいとばかりに白雪がおずおずと小さく手を挙げて問いかけてくる。

 何点と言われてもな。

 机の中から折り畳んだ解答用紙を取り出して、俺は白雪に提示する。


「……ひゃ、百点……満点……」

「……別に自慢することでもない」

「……で、でも……す、凄い……です……」


 純粋な憧れの目を向けられるのはいつぶりかわからんが、ただ眩しい。

 きらきらと目を輝かせている白雪の純粋さというかなんというか、そういうものに俺は照れ臭さを感じているのかもしれないな。

 たかが小テストで……といったら爆散していったクラスメイトにもなんとなく申し訳がないからそう口に出すことはしないが、傾向と対策さえ抑えておけば百点満点とはいかずとも八割は固いはずだ。


「……わ、わたしも……九重君、みたいに……なれます、か……?」

「……なれるさ、きっとな」

「……えへ……」


 なにかを期待するように白雪がはにかむ。

 根拠も保証もどこにもないのに、そう答えてしまったのは早計だったかと思うところはあったが、気にしたところで仕方あるまい。

 ならば白雪がそうなれるように、望むように未来へ舵を取るだけのことだ。交わされた約束は、果たされなきゃいけないからな。

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