第28話 悪夢の小テスト
高校生にとっておよそ恐怖と憂鬱の対象になるものはなにかと問われれば、恐らく六割ぐらいの確率でこう返ってくるだろう。
テスト、あるいは試験、と。
中学までは極端な話、零点だろうとお目溢しをもらっていたが、高校じゃ赤点を取れば補習が待っている。
それも貴重な夏休みを削って、だ。
だからこそ、普段から備えておくことが重要なのだが、そこは花の高校生活、部活や遊びに邁進したいという気持ちはわからんでもない。
だからといって、勉強をほったらかしにしているとどうなるかは火を見るより明らかだ。
ヤマが当たることに一縷の望みをかけるか、そうでなければ駆け込みの一夜漬けでなんとかするか……諦めて寝るという選択肢を取るやつもいるかもしれん。
まあ、俺の方は心配ないんだがな。
なぜなら、白雪と深夜まで「永遠月」の感想戦をしていた傍らでも勉強の手は止めていなかったからだ。
止まったらそこで終わりなマグロのごとく、試験範囲という名の海……というには狭いな。生簀を泳ぎ回る。
楽しいか楽しくないかで訊かれると割と微妙だとは前に白雪へと言った記憶があるが、万全の状態でテストに挑む朝は気分がいい。
右よし、左よし、朝飯よし、復習よし。
全てを確認した上で俺は、白雪を迎えに行くための電車に乗って、一つあとの駅で降りる。
俺の方は徹夜も慣れているから大丈夫だったが、白雪は大丈夫だろうか?
ふと、疑問が脳裏をよぎる。もしかしたらまた寝坊しているのかもしれない、と考えてメッセージアプリを起動しようとした、まさにその時だった。
「……くぁ……ぁ……こ、九重、君……お……おはよう、ござい……まふ……」
相も変わらず、舌の上で溶けた綿飴が言葉の形を成したような甘い声が耳朶に触れる。
白雪だ。遅刻こそしなかったが、相当眠そうなあたり、悪いことをしてしまったかもしれない。
昨日の感想戦は三時間ぐらいは盛り上がってたから仕方ないといえば仕方ないんだが、熱が入っていたあまり、やめどきを見失っていたというのもある。
「……朝からすまんな、白雪」
「……ふぇ……? あ、えっと……なにが、ですか……?」
きょとん、と小首を傾げて、白雪は欠伸を噛み殺す。
「眠そうだから」
「……ぁ、ぇ……えっと、それなら、だ、大丈夫……です……くぁ……」
「……本当か?」
無理をしているようにしか見えないんだが。
いや、無理をさせてしまったというべきか。
どちらにせよ、俺は白雪にもう一度すまん、と添えて頭を下げた。
「……だ、大丈夫です……本当、です……わ、わたし……九重君と、『永遠月』語れたの……す、すごく……楽しかった、ですから……」
「……そう言ってくれるのは嬉しいが、無理はするなよ、白雪。今日は小テストだからな」
「……えっ……?」
「えっ」
まさか、忘れていたのか?
国語の担当教師が口を酸っぱくして今日の日付に小テストやるから範囲の復習をやっとけよ、だとか、今回の小テストは難しいぞ、とかそんなことを言っていたのを覚えている。
だが、白雪はそうじゃなかったようだ。
話を聞いていなかったというよりは単純に忘れていただけ、の可能性が高そうなものだが、どっちにしてもリアクションを見るに、対策していない確率の方が大きい。
小テストでわざわざ難しい問題をチョイスしてくる担当教師も意地が悪いが、逆にいえば範囲さえ押さえておけば解けるようなレベルではあるということだ。
というか小テストでそのレベルを超えた問題なんざ出されても困る。俺は意地でも解くが。
「……ぁ、あの……その……え、えっと……」
「……無対策、か?」
「……は、はい……か、完全に……わ、忘れて……ました……ごめん、なさい……」
しょぼん、と完全に気落ちした様子で白雪はうなだれた。無理もない、俺だって対策なしで試験に挑めといわれたらそこそこ緊張する。
自分の話はともかくとしておこう。
問題は、白雪が実際どのくらい勉強ができるのかはわからないことだ。
地頭はそこまで悪くないと思うんだが、姉こと白雪希美と比べたらダメダメだ、みたいな話を聞いた記憶はある。
ただ、噂が真実なら白雪希美は入試で女子の中では一番の点数を取ったような女だ。
そんな相手と張り合うこと自体がまず間違っているといえばそうではある。それに、比較対象が外れ値なら、推測する材料にもならない。
「……一夜漬けどころか付け焼き刃もいいところだが、テストが始まるまで、少し俺のノートを見ていくか?」
「……い、いいん……です、か……?」
「俺にも責任の一端があるからな」
「……ぁ、ありがとう……ございます……っ……!」
感想戦を提案した手前、少しでも悪あがきをする手伝いぐらいはやってのけなければ筋が通らないというものだろう。
俺と白雪は珍しく手を繋がず、一冊のノートを二人で読むという形で電車に乗り込んでいく。
当然、俺が白雪の盾になれるような構図で、だ。がたごとと揺られながら、ノートを白雪に見せ続ける。
そして駅から降りて高校に行くまでの通学路でも、一限に控えたテストまでの時間ギリギリまで、範囲を網羅したノートを白雪は熱心に覗き込んでいた。
果たしてこの付け焼き刃がどこまで通用するのかはわからない。だが、俺の見立てが正しければ、白雪はそこまで壊滅的な成績じゃないはずだ。
ライトノベルが「読書」に分類されるのかと訊けば一部の界隈が紛糾することだろうが、俺は肯定派だった。ラノベにしろなんにしろ、活字に触れ続けるというのは真っ当な強みになるからな。
だから、白雪もこの小テストを乗り切ってくれるはずだろう。
そう信じて、今打てる全ての手を尽くして、俺は担当教師がどれだけ意地の悪い問題を出したものかと裏返しになっていたテスト用紙をひっくり返す。
──なるほど、そうきたか。
国語の担当教師が用意した意地の悪いトラップは、読解問題に対して選択肢を用意するのではなく、記述式で答えろ、というものだった。
極論、選択式なら大体四択で、問題の答えがわからなくても適当に丸さえつけていれば四分の一の確率で正解は引き当てられる。
だが、記述式はその偶然を完全に否定するものだ。一応、ある程度ポイントを抑えておけば三角という形で部分点はもらえるだろうが、完全に求められた答えを出さなければ丸はつかない。
一夜漬けと付け焼き刃を完全に潰しにきているが、まさか小テストでそこまで評点を厳しくするとは思えない。
ある程度、七割ぐらいは抑えていれば丸がもらえるだろうという前提のもと、俺は時折頭を抱えている白雪をちらりと、バレない程度に横目で伺いながら問題を解いていく。
ああ、そうだな。予想通りだ。
テストに出る範囲についての解釈はノートに書き写してある。
教師が黒板に書かないこともキーワードを拾ってメモしておくのがポイントだ。
だからこれは読解でありながら、俺にとっては実質暗記問題みたいなものだった。
解答欄を迷いなく、すらすらと文字列で埋め尽くす。
一言一句丸暗記しているわけじゃないが、解釈のキーワードになるものはメモしてあるからあとはそれらを繋げるように文章を組み立てればいいだけのことだ。
そんな風情で、セルフチェックまで大体十五分。大幅に時間が余った形だ。
抜けなし、ズレなし、漏れなし。
全てヨシ、と確認した上で俺は問題用紙兼解答用紙を裏返して、机に突っ伏す。
人事は尽くしたなら、あとは大人しく天命を待つ他にない。
昔の偉い人かどうかは知らんが、誰かがそういったように、白雪がこの最悪な状況の中でも最善の結果を導き出せることを祈りながら、俺はしばらくの間、まどろみに身を任せる。
白雪、あとは頼むぞ。落ち着いて考えれば、事前知識がなくても部分点ぐらいは取れる問題のはずだ。
信じる、あるいは祈ることしかできないのがもどかしいが、きっと白雪なりの最善を尽くしてくれることだろう。その結果がどうなるかについては、また別の問題ではあるが。
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