第27話 君が言っていた漫画
「……本気なのか、白雪?」
「……は、はい……っ……!」
どうやら冗談やドッキリの可能性は消滅したらしい。
いや、最初から白雪がそんなことをしてくるわけがないといえばそうなのだが、あまりにも言動が突飛すぎて俺が錯乱していたのかもしれん。
落ち着け、落ち着くんだ九重京介。
確かに女子が男子を家に呼ぶ意味はある。そしてそれがどれだけ危うく、刹那的なことであるかも理解している。それをクラスメイトの前でとか、正気の沙汰とは思えない。
だが、相手は白雪だぞ。
別に白雪に対して不満があるとかじゃない。白雪祈里という女は最初から距離感がバグっているのだ、それを前提において考えなければならない、というだけのことだ。
あくまでも俺たちは友達同士であって恋人同士じゃない。その前提を忘れちゃいけないんだよ。
後頭部の中身を鈍器でぶっ叩かれたような衝撃を感じつつも、あくまでも冷静に呼吸を整えて俺は白雪に相対する。
潤んだ大きな瞳に長い睫毛、そして控えめながらもリップグロスに彩られた薄い唇。そして、上気する頬には朱がさしていた。
「……単刀直入に訊くぞ、なぜ、なにを、どうして」
さっきの言葉から確定情報として考えられるのは、5W1Hの二つだけ、「いつ」と「どこ」の二つに限られている。
自分を家にまで誘っている女子に「なぜ」と「どうして」を訊くのは野暮だといわれればぐうの音も出ないが、少なくとも訊かないで変に気まずい空気になるとかあらぬ方向に話が飛んでいくという事故は防げる。
鈍感野郎だと罵りたければ罵るがいい、だがそもそも俺と白雪はまだ付き合ってすらいないんだからな、と、注がれる好奇の視線に心の中で正当に遺憾の意を申し立てながら、俺は白雪を真っ直ぐに見据えていた。
「……え、えっと……お、お礼……お礼が、したくて……その……昨日の……」
「……藤堂の件なら、別に気にすることじゃない」
「……だ、ダメです……親切にされたら……お、お礼をしなきゃ、って、その……それと……あの……」
まだなにかあるのか。
白雪の舌先からどんな爆弾発言が滑り出てくるのか、戦々恐々と身構えながら固唾を呑む。
身構えているときにはどうのこうのとか昔読んだ本には書いていた、その言葉を信じるのなら、死にはしないさ。社会的なそれにも適用されるかどうかはわからんが。
「……ま、前に……い、一緒に見た……え、映画の原作……『永遠月』を、おすすめ、したくて……!」
なるほど、全てに納得がいく理由だ。
盛大にずっこけたか、あるいは期待外れだったかと好奇の視線がどんどん外れていくのを感じながらも、俺は白雪らしいその理由に安堵していた。
そういえばまだ白雪に借りてなかったな。いつか読みたいとは思っていたが。
「……で、でも……そ、その……学校に、漫画を持ってくるの……こ、校則違反ですから……」
「……なるほど。それなら俺としても問題ない」
「……ほ、本当……です、か……?」
俯いていたのが一転、きらきらと目を輝かせながら、白雪は俺の手をがっしりと両手で握りしめる。
よほどその「永遠月」とやらが好きなんだな。夢中になれるくらい好きなものがあるのはいいことだ。
お礼も兼ねて、というともののついでといった風情だが、好きなものを勧めることで恩返しをしたいと考えるのもまた少しずれている白雪らしいというか。
「……ああ、俺もいつか読みたいとは思っていたからな」
「……ぁ……ありがとう、ございます……! えへ……」
可愛らしく、ふにゃりとはにかんで白雪は満足げに席へと戻っていく。
そして、何事もなかったかのようにクラスはいつもの喧騒を取り戻していた。
三木谷のやつには悪いが、あいつとクラスが別で心底よかったと思ったよ。あいつなら一週間ぐらい……いや下手したら半月ぐらいはこれをネタにして煽ってきかねないからな。
いや、この話も遅かれ早かれ三木谷にキャッチされるんだろうか?
あいつは無駄にアンテナの感度が高い男だ、どこから仕入れてきたんだよってレベルで眉唾物な情報にも精通しているから侮れん。
できることなら高嶺の花を貫いている白雪希美を追いかけ続けてくれと願いつつ、俺もまたホームルームの準備を進める。
なんだかんだで放課後に気になっていた漫画が読めることを、心のどこかでは楽しみにしながら。
◇◆◇
「……え、えっと……ふ、不束者ですが、よ、よろしく……お願いします……っ……!」
「……ここが教室じゃなくてよかったよ」
「……?」
「……いや、なんでもない。お邪魔します」
白雪の家は、俺の最寄りの一つ手前から大体徒歩十分ぐらいのところに聳え立っていた。
ベッドタウンの一軒家だ、こぢんまりとしたそれでも結構な金がかかりそうだったが、白雪宅はおよそ豪邸とは呼べずとも、庭付きで二階建ての一軒家といえば、結構なハイクラス物件であることがわかる。
作りも新しいから最近建てられたか建て直されたかなんだろうが、それはどうでもいいから置いておこう。
ぺこり、と頭を下げて、誤解を招きそうな言葉と共に白雪は俺を恐らくは自室へと案内する。
「……ぇ、えっと……に、二階に……わ、わたしと……お、お姉ちゃんの、部屋が……ある、ので……」
「……そうか、白雪希美もいるのか?」
「……お、お姉ちゃんは……今日は……さ、撮影の、帰りに……お、お友達と……遊んで……くる、って……そ、それに……お父さんも、お母さんも、遅くなるって……だ、だから……」
俺を家に呼んだというわけか。
いや、それにしても他人が聞いたら百二十パーセント誤解か曲解されかねない発言だな。本当にここが教室じゃなくて助かった。
白雪の中では確かに全て整然と理屈が通っているし、最初から誤解されるような方向の話なんて望んじゃいないんだろうが、発言というのは総じて一人歩きするからな。
「ど、どうぞ……っ……!」
「……お邪魔します」
そんな具合に益体の欠片もないことを考えているうちに案内された白雪の部屋は、整然と片付けられて、清潔感のある空間に仕上がっていた。
ベッドには名前はわからんがなんかのゲームで話題になっていたゆるキャラのでかいぬいぐるみが鎮座していて、なんとなくそれも白雪らしいと思う。抱いて寝たりとかしてるんだろうか。
どっちでもいいといわれればその通りだが。
「……い、今……の、飲み物とか……色々……持ってきます、ね……! ま、漫画は……ほ、本棚にある……ので……ご自由に……」
「……気を遣わせて、すまないな」
「い、いえ……そんなこと……し、失礼しましゅっ……」
噛んだな。
盛大に顔を赤く染めて、白雪は一階へと降りていく。本棚を自由に漁っていいとは許可が降りたが、女子の部屋にある私物を勝手に使うのもなんとなく気が引ける。
ただ、読めと言われて読まないのもそれはそれで筋が通らない。なるべく綺麗に読もうと決意を固めて、俺は本棚から「永遠の月夜で恋をする」と背表紙に書かれた作品を手に取った。
結論から言おう。めちゃくちゃハマった。
白雪が台所から麦茶を持ってきてくれたが、それがぬるくなるまですっかり読み込んでしまった始末だ。
あの俳優の棒演技はなんだったんだよと叫びたくはなったが、その印象を上書きして余りあるぐらいには面白い漫画だった。
「……ど、どう……でした、か……?」
「……いや、面白い。普通に感動した」
「……そ、そう……ですよ、ね……! あ、ありがとう、ございます……! つ、月夜ちゃんと竹林君の関係が……すごく、丁寧に書かれてて……!」
いつの間にか全巻読み終えていた俺の顔を覗き込んで、白雪が興奮した様子で語る。
映画じゃコメディシーンを強化することで補っていた、じれったい二人の関係性が白雪のいう通りかなりエンタメ的でいて、かつ感動的なストーリーに仕上がっていたのは脱帽ものだ。
このまま白雪と感想戦と洒落込むのも悪くはないが、時計を確認すれば、もう結構な時間だった。
「すまないな、白雪……そろそろ時間も時間だ」
「……そ、そうですよ、ね……ご、ごめんなさい……熱く……な、なりすぎちゃって……」
しょんぼりと項垂れる白雪を見ていると罪悪感に襲われるが、俺だって本当は感想戦をしたいところなのだ、だから。
「……深夜でよければ、メッセージアプリで感想を言い合わないか」
「……ぇ、えっと……いい、んですか……?」
「構わない、夜更かしは得意だからな」
そう俺は提案する。
なに、深夜までメッセージアプリでやり取りをするなんて、藤堂からのダル絡みで慣れている。このぐらいは朝飯前だ。
ぱあっと表情を明るくして、何度も頷く白雪の姿は、やはりというかなんというか小動物を連想させた。
「……や、約束……です、よ……?」
「ああ、約束だ」
二人で漫画を、「永遠月」を本棚に戻すと、俺たちはそんな些細で大きな約束を交わす。
ずっとこの夜が続けばいいのに、と、天文学部に所属している設定のヒロイン、「四方坂月夜」が口にしていた言葉がふと、脳裏をよぎった。
夜。約束の時間。
ずっと夜なら、月しか自分たちを見ていないから素直になれる──そんなモノローグだったか。
その辺りの解釈も含めて話し込みたいところだな、と、微かな期待を胸に抱いて、己のうちから湧き出る熱に突き動かされるまま、俺は家路につく。
それはなんだかんだで俺も、白雪との時間を楽しみにしているということの証明なのかもしれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます