第26話 うぇるかむまいほーむ
藤堂たちのライブを聴いた翌日、白雪はスマートフォンと俺を交互に見てはどこか恍惚とした笑みを浮かべていた。
俺以外にも友達の連絡先が増えたのは、やはり嬉しかったのだろう。連絡先の数なんて競うものでも数えるものでもないとは思うが、気になるのがお年頃というものだ。
藤堂も藤堂で浮かれていたな。昨日の夜にあいつからメッセージアプリで久々にダル絡みされたことを思い出しつつ、欠伸を噛み殺す。
「……ぇ、ぁ……あの……こ、九重君……」
「……どうした、白雪?」
「……もしかして……寝てない……です、か……?」
わかってしまうか。
よく見ているな、と感心する一方で、藤堂からのダル絡みを引き受けながら勉強も並行していればそれもそうかと納得もする。
一睡もしていないわけじゃないんだが、いいとこ四時間とかそこら辺だろう。別に寝てないアピールでマウント取りたいわけでもないがな。
「……よくわかったな。昨日はあまり寝てない」
「……そ、その……わ、わた、わた、し……こ、九重君の、お、お友達、です……から……っ……!」
「……ありがとうな」
白雪は顔を真っ赤にしながら、誰かが聞いているわけでもないのに、まるで牽制でもするかのようなアピールをする。
前にも思ったが、小動物の威嚇みたいだな、と思うのは失礼なんだろうか。
繋いだ手を握り直して胸元に抱き寄せる仕草も、なんだかハムスターがもらったヒマワリの種を後生大事に抱えているのを連想させる。
それはそれとして手首が谷間に埋もれてるんだよな。なにとはいわないが。
友達アピールはまだ恥ずかしそうなのに、そういうところに抵抗がないというか多分気づいてないのが白雪らしいと苦笑する。
俺と白雪の噂は恐らく、白雪希美の影に隠れてこそいるが、結構広まっているのかもしれない。突き刺さる冷ややかな視線や好奇の目に、それをひしひしと感じた。
白雪は繊細なようで案外図太いというか……いや、違うな。自意識過剰発言かもしれないが、多分俺以外が目に入っていないんだと思う。
俺たちを見据える視線は、なにも興味だとか冷やかしに限ったものじゃない。
妬みだとか僻みだとか、そういうあまりよろしくないものも含まれていることは確かだ。
そいつら全員に逐一、俺と白雪の関係性とその真相を説いて回る気はないから、害が及ばない限りは放っておくがな。
逆に言い訳だと取られて逆ギレされてもお互いに面倒だろう。触らぬ神に祟りなし、沈黙は金、君子危うきに近寄らず。
表す言葉はなんでもいいが、つまりはそういうことだった。
白雪は基本的に下駄箱へと到着するまで、絡めた指を意地でも離そうとしない。
少しでも長い時間手を繋いでいたり、あるいは左腕に抱きついていたりしたいのだろう。
乙女心というのは複雑怪奇にして解を持たない方程式のようなものだが、それぐらいはなんとなくわかってきた。目下の問題はまず、俺と白雪はまだ付き合ってるわけじゃないことなんだが。
「おはよー! 京介、白雪ちゃん!」
底抜けに能天気な声が聞こえたのは、下駄箱近くで名残惜しそうに手を解いた白雪と、各々の上履きを取りに行こうとした時だった。
今日もギターケースを背負った藤堂が、俺たちの肩を後ろから抱き寄せる。
昨日の夜にあれだけダル絡みしてきたのに、随分と元気そうだなお前は。
ツッコむ気力もないまま、俺は項垂れる。
白雪も白雪でびくり、と一瞬背筋を強張らせていたが、相手が藤堂だと気づくと、少しだけ警戒を緩めていた。
ぎこちなく、ブリキ人形が首を回すような仕草で藤堂に視線を送る白雪に、俺は少しだけ安心していたのかもしれない。
白雪を見たとき、ほっ、となにかが胸の底にすとんと落ちる感覚があったのは確かだからだ。
それがなんなのかは自分でもわからない。
ただ、もう白雪の友達は俺だけじゃないんだよな、ということを考えてしまう……ただそれだけのことだ。あるいは、他愛もない感傷ともいうな。
「……お、おおおおおはようご、ごごごごございます……っ……!」
「なんかバグったゲームのキャラみたいな喋り方になってるけど大丈夫? 白雪ちゃん? それにしたって京介は朝からテンション低いなあ、もっとバイブス上げてこ?」
「……朝っぱらからなにをどう上げろというんだ、藤堂」
勉強できるから嬉しいだろうと勘違いされているのかもしれんが、俺は参考書と教科書と問題集があれば無人島でも生活できるようなタイプじゃないぞ。
夢が、追いかけるべき目標があるから、そのための手段として勉強をやっているだけだ。
前も似たような問答を白雪としたことがあるが、無人島に流されるんなら普通に濾過器とかを持っていく。楽しくやってる節はあるにはあるが、そこまでのめり込んでるつもりもない。
「白雪ちゃんがCD買ってくれたおかげで今日の昼ごはんはメロンパンだよ! ありがとね、白雪ちゃん!」
「……い、いいいいえ、こ、こちらこそ……い、いい音楽を……あ、あああありがとう、ございます……」
無視かよ。俺からの問いを華麗にスルーして、藤堂は目を輝かせながら白雪の手をがっしりと握りしめた。
それでも買うのはメロンパンなんだな。いやもっと他にあるだろ、選択肢が。
一枚二千五百円という価格が適正なのかそうでないのかはわからんが、それでももう少し食事のグレード引き上げてもよさそうなものだが。
「その顔はさては『またメロンパンか』と思ってる顔だなー? 京介ー?」
「……正解だ、お前こそもう少しQOLを上げていけ」
「それなら心配なし! 今日はちゃんといちごオレもつけちゃった!」
お値段なんと奮発して大体五百円前後、とアバウトな計算を藤堂は提示してくるが、奮発してそれなのかと少しだけ悲しくなってくるからやめろ。
バンドマン金なさすぎだろ。それとも藤堂だけの問題なのか?
もっとも、最近は白雪からおかずを分けてもらっているとはいえ、おにぎり二つで生活している俺に言われたくないだろうが。
「それじゃあね、京介、白雪ちゃん! 教室で会おう!」
「すぐそこだろ」
「そうともいうね!」
「そうとしかいわんが?」
他愛もない問答を一方的に打ち切るなり、藤堂は下駄箱にローファーを収納して、上履きに履き替えてダッシュで教室に向かっていく。
今日の一限になにか特別な授業が入っているわけでもなければ、俺たちが遅刻寸前というわけでもない。
つまるところあいつもあいつでテンションが上がりっぱなしなのだろう。
「……い、行っちゃいました、ね……」
「……階段上がればすぐ会えるぞ」
「……そ、それは……確か、に……」
CDが売れるというのは、やはりバンドマンとしては相当嬉しい部類に入るんだろうな。
前にサブスクの審査が通らなかったと膨れっ面になっていた藤堂のことを思い返しながら、俺も上履きに履き替えて階段を上る。
そんな幼馴染の姿にどことなく頬が緩んでいたのだろうか。気づけば白雪が少しだけ不満げに頬を膨らませて、左腕にしがみついていた。
「……むぅ……」
「……言っておくが、別に俺と藤堂は特別な関係ってわけじゃないからな」
「……わかって、ます……むぅ……」
絶対わかってないな。
膨れっ面のままの白雪と共に、俺は教室の扉を開ける。
案の定というかなんというか、今日も教室は俺たち以外を中心に回っているから、男女が二人でくっついて登校してきても、特段注目を浴びることはない。
女子グループの中心になった藤堂が他愛もない世間話に花を咲かせている。ソシャゲをハムスターしているやつがいる。昨日の野球の結果で一喜一憂しているやつがいる。
この一塊のようでいて雑多な空間から、俺と白雪は隔絶されているのかもしれない。
だが、変に注目を浴びるよりはよほどいい。常に陽の光を浴びていなければ萎れてしまう花もあれば、日陰に咲く花もある。
それでいいじゃないか。なに一つ問題はない。
かつて誰かが、そう歌っていたように。
そんなことを茫洋と頭の片隅に浮かべつつ、学生鞄から教科書類を取り出していた、刹那。
「……ぁ、ぇ……こ、九重、君……!」
「なんだ、白雪?」
先ほどまで膨れっ面だった白雪が、今度はしおらしく俯きながら呼びかけてくる。
反省とかなら別にする必要はないぞ。
ジェラシーに至る心理はわからないが、そういうものだと割り切ってるからな、と答えようとしたときだった。
「……き、今日……わ、わたしのお家に、来てくれますか……!」
ぴしり、と空気がひび割れる音が聞こえた。
なにを言ってるんだと、俺も一瞬我が耳を疑ったさ。
だが、白雪の目を見ればわかる。いや、意図やその発言に至った経緯はわからないが、少なくとも。
この瞬間、白雪は紛れもなく本気だった。
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