第23話 ライブハウスは未知の世界

 その後、フリーズが解けた白雪に話を訊いてみたところ、案の定というかなんというか、ライブには俺と一緒に行きたいとのご所望だった。

 お願いされたことを断る理由もないし、そのつもりでチケットを買ったのも想像できるから承諾した……まではいいが、正直ライブの楽しさだとかそういうのに関してはズブの素人なんだよな。

 だから、気の利いたアドバイスだとかもできそうにない。鞄に諸々を詰め込みながら、俺は何度か足を運んだことがある藤堂のライブを思い返す。


 学生にありがちなコピーバンドじゃなく、オリジナル路線で売っているのは度胸があるし、チケットが捌けないことはたまにあるようだが、それもあったところでさっきみたいに一枚とか二枚だ。

 極端に売れないというわけじゃない辺り、藤堂たちの人気はそこそこあると見てもいいのだろう。

 それはさておくとして、あいつらが拠点にしているライブハウスに行くのなら、ここから帰り道とは反対方向の電車に乗らなきゃならないんだよな。


 それは若干億劫だったが、チケット買うだけ買ってライブには行かないというのももったいないし、なにより筋が通らない。

 そんなわけで俺は、いつも通り白雪にしがみつかれながら、ライブハウスへと向かう道を歩いていた。

 季節は過ごしやすい春だとはいえ、結構な距離を歩かされるのは確かだ。シンプルに暑い。


 それに、すれ違う人間のほぼ全員がファッションに凝ってそうな辺り、サブカルの街と呼ばれるだけのことはある。

 そんなところに野暮ったいブレザーを着た制服姿の男女が訪れるというのは、若干どころか結構場違いな感じがした。

 この、街全体がサブカルチャーの名の下、集まる人間までも虹色に光り輝いているような雰囲気はいつ訪れてもあまり慣れないし、これからも慣れることはないのだろう。


 窮屈でないかと訊かれて、首を横に振れば間違いなく嘘になる。

 だが、約束は果たされなければならないものだし、義理は通さなきゃならないものだ。

 どうせ元より俺たちは大した注目を浴びる存在じゃない、ただ単に自意識過剰になってるんだと自分に言い聞かせながら、俺は白雪を、藤堂たちが拠点にしているライブハウスへと案内していた。


「……率直に訊くが、この街はどうだ」

「……あ、あまり……え、えっと……はい……」

「……だろうな。悪い、藤堂のためとはいえ、協力させてしまって」

「……ぁ、ぇ……い、いえ、そ……そんなこと……その……わ、わたしも……九重君と……い、一緒に……なりたくて……」


 俺と一緒に、まではわかるが、なりたい、はよくわからなかった。

 これがいつも通り白雪の遠慮で、本音としてはただ俺とライブを見たかった、というだけならわかるし今の俺なら飲み込めるが、だ。

 俺と一緒になりたい。その言葉を直球で捉えるのなら、単純に、それは。


「……こ、困ってる……人が、いたら……た、助けて……あげられ、る……ような……九重君が……わたしに、してくれた、みたいな……そういう、人に……」


 憧れ、の二文字が脳裏をよぎる。

 俺の背中が誰かの憧れを背負えるような大きさかどうかは、果たして自分が一番よくわかっていることだ。その言葉は俺には重すぎる。

 白雪を助けたのだって、かなりギリギリになってのことだった。定期入れは回収できたが結果論だ、あと少し遅れていたら駅員を呼ぶ騒ぎになっていただろう。


「……そう、か……」

「……だ、ダメ……です、か……?」

「いや、白雪がもし変わりたいと思っているならそれでいい。ただ、俺にその資格があるのか……白雪の憧れを背負っていいのかどうか、わからないだけだ」


 率直に思いを口にする。

 憧れ。理解と遠い感情だと誰かはいったが、俺はそう思わない。

 理解と乖離した虚像に、自分の中で作り上げた都合のいい他人に憧れを抱くことに対するニヒリズムや悲観主義の類なんだろうが、理想を目指して歩くことさえ否定されたら、人間やっていけないだろう。


「……ぁ、ぇ、そ……その……っ……!」

「……白雪?」


 ぱたぱたと駆け足で俺の前に陣取った白雪は、眦に涙を滲ませながら、白雪にしては比較的ボリュームの大きな声で言う。


「……こ、九重君は……す、すごい……ひ、人、です……っ……! だ、だからっ……! し、資格とか……よく、わからない……ですけど……その……きっと、あります……! わたしは、九重君に、憧れてます、から……!」


 白雪が憧れてるからその資格は俺にある。

 結果論だな。だが、不思議と悪くない感じだった。

 不合理で非論理的かもしれないが、その歪さがあってこそ腑に落ちたというか、そうだな。明確な答えなんてない問いだからこそ、白雪が本音でぶつかってくれたからこそ、どことなく肩の荷が下りたような気がしたのだろう。


「……そうか、ありがとう。白雪」

「……い、いえ……そ、その……うぅ、は、恥ずかしいです……」

「……俺の腕に抱きつくのは恥ずかしくないのか」


 相変わらず基準というか距離感がバグってるな、白雪は。

 苦笑する俺に、きょとんとした表情を浮かべながらも白雪は左腕に抱きつく力を緩めようとしないし、制服とカーディガン、二重の布地に包まれて尚、それを突き上げて存在を主張する膨らみを惜しげもなく押しつけていた。

 最近は慣れてきたとはいえ、意識するとどぎまぎするところがないでもない。


 いかんな、心頭滅却だ。

 俺たちはあくまで友達同士、そうだろう。

 それに友情を持つ相手に憧れることだってよくある話だ、そう考えれば白雪の言葉にも不思議なところはないはずだ。


「……え、えっと……じゃあ……手、繋ぎ……ます、か……?」

「白雪の好きな方でいい」

「……え、えっと……ま、迷い、ます……な、なら……もう少し、このまま……」


 俺の左腕に頬を擦り寄せながら、白雪がどこか蕩けたような調子で呟く。

 すっかりご満悦といったところだったが、本題はまだこれからだ。

 右手に持ったスマートフォンで一応、ライブハウスの場所を確認しながらゆっくりと歩く。一応まだ、藤堂から買ったチケットに書いてある出番の時間までは余裕がある。


「……白雪、店に入る前に一つだけ言っておくことがある」

「……ぁ……は、はい……な、なんでしょう……?」

「……ライブハウスは別世界だ」


 あと少し歩けば特徴的な地下への階段に辿り着くが、俺は足を止めてそう言い含めた。

 藤堂たちが拠点にしているのはハコ……会場としての規模はそこまで大きなライブハウスではないが、それでも客層は普段からインディーズバンドの音楽を熱心に聴きにきている人間だ。

 その雰囲気と独特なノリについていけるかが試される場所、それがライブハウスだ。俺は全然ついていけないで置物になってたがな。


「……こ、心して……か、かかります……っ……!」

「……よし」


 白雪も腹を括ったようだ。

 ようやくといった風情で地下……なのか地上に含まれるのかはわからんが、とにかく階段を下って、「Estrella」と書かれた看板を確認する。

 星、か。藤堂が目指す場所であり、俺たちにとっては日常から遠く異質な世界という意味では、確かにその通りかもしれない。


「いらっしゃいませー、今日はどのバンド見にきましたかー?」


 受付に立っていた語尾が間延びした感じの女子が、俺たちにそう問いかけてくる。

 名前は覚えていないが、その顔には見覚えがあった。

 確か藤堂たちのバンドでベーシストをやってる女子……で、合ってたはずだ。だからなんだって話でもあるがな。


「『ロッキン・メイデン』を」

「ありがとうございまーす、私たちの出番まではもう少しあるんでお待ちくださいー、ドリンクはあちらで注文お願いしますねー」

「……ありがとうございます、行くぞ白雪」

「……は、はい……」


 ライブハウス特有の、ダークな雰囲気がよく似合う気怠さを纏った、ベーシストの何某とのやりとりを終えて、俺たちは誘導された通りにドリンクを売っているカウンターまで向かう。

 一杯大体五百円、レート的には映画館と同じだと思っていい。

 つまり、割高だということだ。チケット代と合わせて大体三千円が飛ぶ計算になる。


 こんなことになっている理由は、名目上ライブハウスは飲食店扱いで営業していて……そうだな、映画館と同じ理屈で割高なドリンクを売っているからだとは藤堂からの受け売りだ。


「……まあ、そういうことだ」

「……な、なるほど……です……」

「……さて、そろそろ始まりそうだな」


 そんな蘊蓄はどうでもいいとして、藤堂たちの出番は最初から数えて二番目だった。

 MCとかで微妙に時間がずれたりこそするが、基本的にバンドがパフォーマンスできる時間は決まっている。

 俺たちは人だかりを避けるように最後尾に立って、藤堂たちが舞台に上がるのを待つ。


「……確か、腕を組むんだったか?」

「……う、腕……です、か……?」

「……いや、藤堂のやつが、後ろで腕組んで聴いていれば『わかった感』が出るとか言っていたから、なんとなくな」


 通ぶりたいわけじゃないが、最前列で置物やってるよりは有意義だろう。

 俺が腕を組むと、白雪もそれを真似して、豊満な胸を支えるように腕を組んだ。

 なんというか、やめておこう。色々と危ないから素直に置物に戻るとしようじゃないか。


「……う、腕……組まなくて、いいんですか……?」

「……よく考えたらわかってる感とか、無理に出す必要ないからな」

「……そ、そう……ですか……」


 極めて私的な理由をそれっぽく捏造したことに少しの罪悪感を覚えたが、方便ということにしておきたい。

 そんな私欲と煩悩にまみれた結論で括った思考を記憶のゴミ箱に投げ捨てたのとほぼ時を同じくして、藤堂たちがステージに登壇する。

 ギターケースを普段から背負ってる藤堂は当たり前だとしても、さっき受付にいた女子はやはりベーシストで合っていたか。


『どうもー! 私たち、「ロッキン・メイデン」です! 今日は一曲目からかっ飛ばしていくから、全力でついてきてね!』


 ──それじゃあ、ワンツー。

 藤堂がつま先で床を二度叩くのを合図にして、エレキギターの尖ったサウンドと、それを支えるベースの重厚な音壁、そしてあまりに激しくともリズムを決して乱さないドラム、音の調和を担当するシンセサイザーの四重奏が、俺たちの鼓膜を震わせる。

 圧巻のサウンドだった。申し訳ないが、先にパフォーマンスしていたバンドよりも、よっぽど印象に残る。


 どの道、腕なんか組んでいる余裕はなかったかもしれないな。

 藤堂のやつ、また一つレベルを上げやがった。

 前に聴いたときよりも遥かに上達が感じられるその音色を全身で受け止めながら、俺はほくそ笑む。


 白雪もまた、大きな瞳をきらきらと輝かせながらそのパフォーマンスに見入っていた。

 客層からして異世界のような場所だが、こういう体験ができるのは悪くない。

 そして俺たちは、すっかり藤堂たちの演奏にのめり込んでいた。尖り切った、ソリッドな音の中にいるというのに、それが不思議と心地よかった。

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