第22話 バンドマンは金がない

 果たして三木谷のアホが嵐のようにやってきてそのまま去っていったあと、俺と白雪を取り巻く環境に、なにか大きな変化が起きたわけじゃない。

 噂は所詮、眉唾物だとわかっているのかそれとも俺と白雪に関心がないだけなのか。

 教室のざわめきに耳を傾ける限り、恐らく後者だろうが、今はその無関心に感謝したいところだった。


 誰かが付き合ってるだとかそうでないだとか、そういう話に興じるのがいいという考えは否定しないが、噂話の種にされた当事者としてはそっとしておいてくれ、以上の言葉が出ないんだよな。

 相も変わらず四限が終わると同時に購買もしくは学食へと全力でダッシュしていく集団を横目に見ながら、俺はいつもと変わらないその光景に安堵する。

 日常というものが映画のように変わる魔法だとか、種と仕掛けだとか、そんなものは存在しない。もし、あるとするならそれは、とてつもなくゆっくりとしたものだろう。


 相変わらず俺の机に弁当を乗せた椅子を持ってくる白雪に、関心を寄せるクラスメイトはそういない。

 それを待っている俺に対しても同じだ。

 教室に残ったやつらは皆が皆、ドラマの話だとかソシャゲの話だとか、思い思いの話に花を咲かせている。


 なに、結構なことじゃないか。

 元から俺は関心を持たれるような存在じゃない。そして白雪は目立つのが苦手なタイプだろう……つまりは注目を浴びない方がありがたいってことだ。

 何事も平和が一番だ。平穏無事に日常が過ぎ去っていくことが、きっと幸せの一つの形なんだろうな。


「……お、お待たせしました……九重君……」


 そんな具合に俺は、心配が杞憂に終わったことに安堵しつつ、白雪が俺の机に弁当箱を置いて、椅子にちょこんと腰かける様子を見送っていた。

 しかし毎回毎回白雪に来てもらうのもなんだか悪い気もしてくるな。

 椅子を運ぶ程度ではあるが、クラスの端っこから端っこまでじゃ結構な移動量になるだろう。


「……今度から俺が白雪の席に行くか?」

「……ぁ、ぇ……えっと……どうして……ですか……?」

「毎回椅子持ってくるの、大変じゃないのか」


 俺からの問いかけに、白雪はきょとんと目を丸くして、可愛らしく小首を傾げる。

 そんなこと考えたこともなかった、とでも言いたげな表情が物語っている通りではあるんだろうが、つい余計な心配をしてしまう。

 悪い癖だな、と自嘲しつつふるふると頭を左右に振って遠慮する白雪に、俺は俯いた視線を戻した。


「……い、いえ……楽しみ、なので……っ……!」

「……そうか、ならいいんだが」

「……いいんです……えへ」


 それがささやかな楽しみだというのなら、当人の意向を尊重するのが道理だろう。

 なにも本人が好きでやってるなら、よほど倫理や道理に背いていなければそこに口を挟む必要は欠片もない。

 俺も机の中から風呂敷で包んだおにぎりを二つ取り出して、いつものような昼食が始まるんだと、そう思っていた時だった。


「はろーやーやー、京介! 翔から聞いたけど彼女できたって本当?」

「藤堂、お前もか」


 ブルータスに刺されたカエサルの気持ちがよくわかったよ。

 今日は学食に行かなかったのか、駄菓子棒を手にして俺の席まで椅子を運んできた藤堂が、忘れようとしていた話題を蒸し返す。

 藤堂は他人の噂話とかには関心を持たないくせに、俺に関することは三木谷経由で割と関心を示してくるんだから、長年腐れ縁を築いていても理解できない。なんでだよ。


 やはり三木谷のアホは一回、桜の木の下にでも埋めておくべきだろうかと頭を抱える俺をよそにして、藤堂は駄菓子棒と水筒の麦茶というあまりに貧相な昼食を消化していた。

 バンドやるのにはとにかく金がかかるとは聞いていたが、藤堂の金欠ぶりを見るに、そこまで過酷な世界なんだろうか。

 やってないからわからんな。白雪はフリーズを起こしたパソコンみたいに固まってるし、訊いたところで、俺と同じく縁遠い世界の話だろう。


「お赤飯炊くなら呼んでよね、箸とお茶碗持参で駆けつけるから」

「それを言うためだけにわざわざ俺の席まで来たのか、お前は」

「半分ぐらいはそうかなー」


 冷やかしが半分も占めてるのかよ。

 じゃあ残り半分はなんなんだ……と訊きたくなってくるが、恐らくそれが本題だ。

 わけのわからん、突飛な話をするのが藤堂だが、それは大体本題のために用意した前振りであることが多い……と、わかっているのは幼馴染ゆえだろう。腐れ縁の成せることだな。


「……それで、本題はなんだ」

「京介は話が早くて助かるなぁ、いやー、あっちも本題といえば本題なんだけどね?」

「それなら根も葉もない噂だ、忘れろ」


 葉っぱはともかく根っこぐらいはありそうなもんだが、そこには目をつぶるとしよう。

 憶測を呼ぶ事実はともかく、真実は一つだ。

 俺と白雪は友達同士であって、恋人同士ではない。それだけの話なんだよ、最初から最後までな。


「ふーん、京介が言うならそういうことにしとこっか」

「俺が言おうが言うまいが最初からそうだ」

「まあ、じゃあそういうことにしといて、っと。本題はねー、京介にお願いがあるんだよ」


 ぱちん、と両手を合わせて藤堂が頭を下げる。それが意味するところは、たった一つだ。


「今度のライブのチケット、買ってくれないかなー!? ノルマあと二枚なんだけどさ、中々買い手が見つかんなくて……」

「……なんとなく予想はしてたが」

「幼馴染の勘ってやつ? ありがたい限りだねぇ……いや、京介に彼女ができたって話が本当なら二枚一気に捌けると思ったんだけど、あと一枚は路上ライブでもして売り込むよ」


 それで三木谷の話を鵜呑みにしていたのか。

 目の幅涙を流して藤堂が差し出してきたチケットと、俺が財布から取り出したなけなしの二千五百円を交換して、嘆息する。

 藤堂の夢を応援してやりたい気持ちはある。だが、実際問題プラナリアでもないんだから俺が二人に分裂して二枚のチケットを買ってやることは不可能だ。


 路上ライブでどれだけの注目を集めて、かつその中からチケットを買ってくれる客を探すというのは、骨が折れるどころの話じゃないだろう。

 それでも、やるしかないと思っているのが、やめることなんて考えていないのが、藤堂がバンドマンである証なのかもしれなかった。

 幼馴染の苦労を偲びながら、いい加減俺も食事を取ろうとおにぎりに手をつけた、刹那。


「……ぁ……ぇ……ぁ、あ、あっ……あの……」


 白雪の、今にも消え入りそうな声が耳朶に触れる。

 ぷるぷると小刻みに震えながらも少しだけ手を上げて、白雪は藤堂へと視線を向ける。

 なんというか生まれたての子鹿が立とうとしているのを見ているような、そんな感じの光景だった。妙に感慨深い。


「どしたの? 白雪さんで合ってるよね?」

「……ぁ、ぇ……は、ははははい……し、白雪……白雪、い、祈里、です……その……あ、あの……ち、ちちちち、チケット……」


 相変わらず震えている指先で、白雪は藤堂が持て余していたもう一枚のチケットを指す。

 まさか、ライブを見に行きたいのだろうか。

 それともただ単に、藤堂が困っていたから助け舟を出したのだろうか。白雪ならぬ俺にはわからないが、必死に勇気を振り絞った末の行動だということだけは理解できる。


「えっ? 白雪さん、もしかしてチケット買ってくれるの?」

「……ぇ、ぁ……は、はははは、はい……」


 こくこくと、くるみ割り人形のごとく何度も首を縦に振って、白雪は藤堂の問いを肯定する。

 なにか珍しいものでも見たかのように藤堂は目を見開いていたが、正直なところ俺も似たような心境だった。

 その勇気と行動は誉れ高いかもしれないが、ライブハウスは完全に異空間だぞ、大丈夫なのか白雪。


「ありがとー、白雪さん! この恩は一生忘れないよー!」

「……ぁ、は、はい……あ、ありがとう……ございます……」


 心配する俺を置き去りにして、目を輝かせた藤堂が白雪の両手を掴む。

 慣れない相手と話した緊張からか、チケット代を払った白雪の方はもう虫の息というレベルで疲れ果てているようにも見えたが、それでもやりきった、とばかりに琥珀色の瞳には光が滾っていた。

 よく頑張ったな白雪。とりあえずはその勇気ある行動を褒めておくべきだろうと俺は無言で親指を立てるが、そこから先は別の話だ。


「京介、白雪さんと友達なんでしょ? せっかくだからライブハウスまで案内してあげなよ」

「……そのつもりだ」

「ちゃんとエスコートしてあげるんだぞー?」

「お前こそ本番で歌詞を間違えたりするなよ」

「歌詞飛んだって、ライブなんてそんなもんだから大丈夫だよ」

「なにも大丈夫な要素がないが」


 軽口を叩き合いつつ、スキップするような勢いで俺の席をあとにする藤堂の背中を見送る。

 ライブなんてそんなもんって、お前はそれでいいのかバンドマン。ツッコミどころは満載だったが、十中八九ノリと勢いで踏み倒しているのが藤堂だ。

 実際に歌詞を間違えたところで、さして動揺もしないんだろうな。


「……白雪、ありがとう」

「……え、えっと……な、なん、ですか……?」

「藤堂のチケット、買ってくれただろう」

「……そ、それは……その……と、藤堂さん……困って、いたので……」

「困っていたやつに手を差し伸べる、いいことじゃないか」

「……ぁ、ぇ……そ、その……ありがとう……ございます……」


 例えそれが偽善だと詰られたところで、やらないよりは何百倍もマシだと返せば済む話だ。

 そのために白雪が振り絞った勇気へと、俺は素直に敬意を表する。

 インディーズバンドのライブに来るのは初めてだろうから、先駆者としてうまいことなにか、楽しむための心構えだとかを伝えられたら格好の一つもつくんだろうが、生憎俺も音楽はさっぱりだからどうしようもない。


 チケットを握りしめたまま、顔を真っ赤にしてフリーズしている白雪の頭からは煙が噴き出ていそうだった。なんというか、正しくお疲れ様ってやつだな。

 そして、ライブの期日は今日の放課後か。だから藤堂は焦ってたのか。

 そんなことを頭の片隅に浮かべながらら俺はチケットを財布にしまう。


 どうやら今日は、長い放課後になりそうだった。

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