第16話 ドリンクバーはカクテルを作る機械ではない

 混んでいる割にはすんなりと入店できてすぐに席も用意されたのは、ちょっとした幸運だったのかもしれない。

 俺と白雪は、向かい合って食べるタイプの小さな席に案内され、腰掛けていた。

 狭いとはいっても詰めれば四人ぐらい座れなくもないから、各々の隣に鞄を置いておけるのもちょうどいい。貴重品の類は入れていないが、足元とかに置くと置き引きされないかと心配なんだよな。


 そんなことを考えながら向かい合った白雪に視線を戻せば、まだ微かに赤みが差した顔で、控えめながら上機嫌そうに笑っていた。


「……楽しいか、白雪?」


 映画で寝落ちしてしまった後悔を引きずってないかと心配だったが、その様子はなさそうだ。

 今日はダメでも、日を改めて観に行けばいいからな。もっとも、あれの二周目を味わいたいかと訊かれると、俺の方で拒否反応じみたものが出てくるというかなんというか。

 その辺は白雪から原作漫画を借りて読めば多少マシになるんだろう……などと考えたが、余計にひどくなりそうな気もして、肩を竦める。


「……ぇ、ぁ……は、はい……っ……! わたし、お友達とい、一緒に……ファミレスにくるの……はじめて、ですから……えへ……」

「そうか……俺もあんまり記憶にないな」


 ごくごく稀に藤堂がライブ終わったあとの打ち上げと称して連行されたときぐらいか?

 そのときなにを食ってなにをやっていたかは生憎記憶に残っちゃいないが、多分ひたすら飯だけを食う地蔵かもしくはbotになってたんだろうな。

 ありがたい存在である地蔵と、組まれたプログラム通りに走るだけのbotを同列に並べたことに脳内で侘びつつ、白雪の言葉にそう返す。


「……ぁ、そ、その……こ、九重君……」

「どうした、白雪?」

「……ち、ちゅ……注文、決まりました、か……?」


 ちゅ、のあとに妙な間があったのは多分いつも通り言い回しに引っ掛かりがあっただけだろう。

 テストを見たことはないから成績の良し悪しは判断できないが、三週間近くの付き合いでわかったのは、喋り方こそおどおどしていても、決して白雪は頭の回転が遅い方ではないということだった。

 多分、脳内でその時々にふさわしい言い回しなのかどうかを逐一確認しながら喋っているタイプなのだろう。


 傷つけないように、傷つかないように。

 よくいえば心優しく、悪くいえば臆病。

 それが今俺の知る、白雪祈里という少女だった。


「……いや、まだだ。白雪は逆に決まったのか?」

「……わ、わたしも……一つは、決まったんですけど……もう一つが……」

「ふむ?」


 セットメニューにでも悩んでいるんだろうか。俺もぼちぼち二つあるグランドメニューの片方を手に取りながら、首を傾げる。

 この手のファミレスに来たことは数えるほどしかなくとも、俺の基準は単純明快である。

 値段だ。多少選り好みもしないといえば嘘になるが、とりあえず単品メニューがある中で安いやつに最初から絞り込んでおく。


「……そうすれば手間が省ける」

「……ぇ……えっと……?」

「……いやすまん、独り言だ。俺の方は決まったが、白雪はどうだ?」


 どうやら心の声が漏れ出ていたらしい。

 小首を傾げて困惑している白雪に、照れ隠しのごとく咳払いをしてからそう答えて、メニューを閉じる。

 ドリンクバーをつけるかどうかは微妙に迷ったが、さっき映画館でコーラ頼んだから単品でいい……という消極的な考えのもと、俺は頼める主食としてはほぼ最安値なドリアの商品コードを注文シートに記入した。


「……わ、わたしは……え、えっと……」

「別に焦って考えなくてもいいぞ」


 俺の注文方法はQOLをダダ下がりさせるからな。無礼講といいつつ飯となると財布を気にしている自分が我ながら情けない。


「……だ、大丈夫です……えっと、か、紙……」

「ああ、すまん」

「……あ、ありがとう……ございます……」


 白雪は俺から注文シートとペンを受け取ると、可愛らしい丸文字で商品コードを二つ、俺が頼んだドリアの下に追加する。

 なるほど、白雪はドリンクバーも頼むのか。

 ここは確か、水がセルフサービスだったはずだから、ついでに持ってきてもらおう。二人で席を外すのは不安だしな。


「……ボタン押すか?」


 そんなことを考えつつ、どことなくそわそわしている様子の白雪に、俺は問いかける。


「……ぇ、ぁ……は、はい……ご、ごめんなさい……こ、子供っぽくて……」


 ボタンを押したいのかと思っていたが、俯きながら顔を真っ赤にしつつ、頭から蒸気を噴き出している白雪を見るに、ビンゴだったらしい。

 まあ、なんだ。気持ちはわかるぞ。

 バスの降車ボタンとかついつい押したくなるものだからな。


「別に子供っぽくてもいいんじゃないか」

「……そ、そう……なん、ですか……?」

「人間誰しも大人やってるわけじゃないからな、大人だから真っ当だってわけじゃない」


 それにまだ──白雪の誕生日は知らんが──同級生である以上ほぼ同い年だと考えてもいい。

 要するに、まだ十五か十六の子供なんだよ、俺たちはな。

 つまり、子供っぽくても余裕でセーフだ。多少は大人としての振る舞いが求められる年頃なのは承知の上だが、ファミレスのボタン一つで目くじら立てるやつもいるまいよ。


「……あ、ありがとう、ございます……九重君……えいっ……」


 白雪がおずおずと手を伸ばして、かちり、と音がするまで注文ボタンを押し込んでから約一分。

 書き入れ時にしては早くやってきた店員に注文シートを手渡して、あとは待つだけといったところか。

 思い出した。前に藤堂たちと来たときは妙に難しい間違い探しで四苦八苦していたな……まだ残っているのか、あれは?


 グランドメニューの前に挟まっているラミネート加工された紙を一枚取り出せば、そこには確かに絵柄こそ変わっていたが、間違い探しが載っていた。


「……ぁ、ぇ……えっと……九重君……」

「どうした、白雪」

「……あ、あの……わ、わたし……ドリンクバー、取ってきます……」

「なら、ついでに水を頼めるか? 二人で席を外すと、ないとは思うが荷物が危険だからな。見張りは任せろ」

「……は、はい……っ……!」


 白昼堂々、ファミレスで置き引きをしでかす輩なんてこの日本にそうそういるまい……と思いたいところだが、絶対にないともいい切れないから困りものだ。

 ぱたぱたと駆け足気味に歩く白雪を見送って、俺は間違い探しと白雪の鞄の間で視線を往復させる。

 相変わらずファミレスの間違い探しにしては難易度高いな。子供がやるもんじゃないだろこれ。


「……お、お待たせ……しました……っ……」


 なんてことを考えている間に、白雪はドリンクバーと水の入ったグラスを持って戻ってきた。

 見つけられたのは八個中、六個といったところか。残り二つどこだよ本当に。

 製作者の挑戦に敗れたことは不服に思うところはあったが、友達と飯を食いにきているというのに、間違い探しガチ勢になるのもなにか違うから素直に諦めておく。


「……ぁ、ぇ……そ、それ……間違い探し、ですか……?」

「ああ、まあ……六個しか見つけられなかったが」

「……で、でも……凄い、です……わたし……四個ぐらいしか……」

「別に普通じゃないか? 製作者が難易度跳ね上げてるからな……」


 解答を見ると、そこまで見るかってとこまで見なきゃいけないレベルだから仕方ない。

 白雪から水を受け取りつつ、腰掛けるのを待って口をつける。

 うむ、水だな。変わったところもなにもない。


 白雪が注いできたドリンクバーの色はなんというか妙に濁っていた。

 純正なコーラじゃなく、明らかに混ぜ物が入っている色だ。なにが入ってるかまでは見た目から判別なんて無理だが、複数をちゃんぽんにしたのは確かだろう。

 白雪よ、お前もそっち側だったか。


 前に藤堂がドリンクバーを混ぜるだけ混ぜたよくわからんカクテルを作って爆笑してたのを思い出す。

 ファミレスに来ると、一人か二人は絶対にドリンクバーを配合したがるやつが出てくるよな。

 そう断言できるほど、ファミレス通いをしたわけじゃないが。


「……ぁ、ぇ……そ、その……こ、九重君……」

「なんだ、白雪」

「……そ、その……こ、これ……飲みます、か……?」


 そう問いかけるなり、白雪はストローの刺さったドリンクバーカクテルを差し出してくる。

 なんというか、断るのもあれだが飲みたいのかそうでないのか極めて微妙だな。

 コーラがベースになってる以上、コーヒーとか紅茶とかを入れない限りはよほどのハズレはないと思うが。


「……ああ、まあ、せっかくだが……いいのか白雪?」

「……ぇ……えっと……なにが、ですか……?」

「……これ、お前が既に口つけてるだろ」


 また間接キス案件だぞ。

 そんな具合に問いかけてみると、白雪はまた顔を真っ赤にしてふい、と視線を逸らす。

 そして、ぎこちない動きで首を元のポジションに持ってくると。


「……ぁ、ぇ……は、はい……こ、九重君、なら……わ、わたし……」


 白雪は頬を染めてそう囁く。ええい、ままよ。

 反応したらしたでなにかこう、周りに変な意味で注目されかねないというか既に大分手遅れなのかもしれないが、俺は白雪が差し出してきた混ぜ物を一口啜る。

 まあ、なんだ、その。


 元がコーラだから極端に不味くはないという見立ては間違っちゃいなかったが、やっぱりドリンクバーはカクテルを作る機械じゃないと確信できるような、そんな味だった。

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