第17話 君の昨日を知らずとも

「……微妙……です……」


 案の定というか、ドリンクバーをありったけ混ぜてきたそれを口にした白雪も、「不味くはないんだが正直普通にそれぞれ飲んだほうがいいよね」とばかりに、言葉通りの表情を作っていた。

 美味いものに美味いものを掛け合わせたらさらに美味くなる、なんていうのはよほど素材同士が噛み合っていたか、あるいは配合の割合を間違えなかっただけの話だ。

 そうだな、ハンバーグは美味い。ケーキも美味い。


 だが、人はハンバーグが乗ったケーキを食べたいと思うだろうか?

 いや、ない。

 中にはそんな変わり者もいるのかもしれないが、少なくとも俺は挑戦したくない。


「……まあ、なんだ。そういうこともある」

「……ま、前に……よ……読んだ、ライトノベルでは……ドリンクバーを……ま、混ぜて……楽しそうにしてたので……」

「ああ、うん……」


 お前の知識の出所は案の定そこだったか。

 口には出さなかったが、白雪がラノベの描写を間に受けているとすればどことなくバグった距離感にも納得がいくというものだ。

 ただ悲しいかな、ライトノベルでドリンクバーカクテルを生成して楽しんでるシーンって大体主人公と悪友が馬鹿やってるときだろ。それでヒロインとかは大体呆れてる。


 白雪と俺がそのぐらい打ち解けられるのかどうかはわからないが、今はまだお互いぎこちないのはわかっている。

 もしかしたらいつか、今日のことを笑い話にできる日が来るかもしれないし、あるいは来ないのかもしれない。

 運命なんてものは誰にもわからないものだ。もしも全てを知っていたら、そいつはきっと神様か未来人か宇宙人か超能力者の類だろうな。


 だが、ただの人間である俺たちだって、わかりあうために努力することはできる。

 だったら、やってみせろよ。やってみたら、案外なんとでもなるはずだ。

 混ぜ物を微妙な表情で啜っている白雪を見つめながら、俺はただ、自分へと言い聞かせるようにそんなことを思う。


「お待たせしました、ご注文の──」


 ちょうどいいタイミングで、料理が運ばれてきた。

 俺が注文したリーズナブルなミートドリアと、白雪が注文したのであろうカルボナーラが、出来立ての状態で配膳される。

 しかし、おにぎり以外の昼飯食べるのも久しぶりだな。どれだけ限界食生活を送ってるんだ、俺は。


 白雪はぺこり、と、背を向けて次のオーダーを消化するために背を向けた店員に頭を下げる。

 こういうところが律儀だというかなんというか、白雪の美点なんじゃないかと思う。

 他人に気を遣いすぎてるところはあるが、それでも誰かを気にかける、という発想が頭から抜け落ちているよりはずっといい。


 俺もつられて頭を下げつつ、卓の隅にあるボックスからスプーンを二つ、フォークを一つを取り出して、必要なものを各々の前に置く。


「白雪は、スプーン使うのか?」

「……ぁ、ぇ……えっと……は、はい……ありがとう、ございます……こ、九重君……」

「ならよかった」


 事後承諾という形にはなってしまったが、パスタ食べるときスプーン使うか使わないかはそれこそ人によるからな。

 俺は使わない派だが、女子も男子もその辺はあんまり関係ないはずだ。

 いただきます、と呟いてから、白雪はスプーンをガイドにして、パスタをフォークで巻き取っていく。


 美味しそうにそれを口元に運んで微かに表情を綻ばせる白雪を見ていると、言語化できない不思議な気持ちが湧いてくる。

 俺も麺類頼めばよかったのだろうか。いや、いっそピザを……なんて後悔したところで遅いものは遅いんだ、隣の芝はいつだって青く見えるものだからな。

 俺もミートドリアをスプーンで掬って一口。なんというか、安心できる味だというか、これぞ定番といわれて納得できる美味さだ、悪くない。


「……白雪は、パスタとか好きなのか」


 興味本位でそんなことを訊いてみたくなったのは、恐らくただの気まぐれだろう。

 そうでなければ、控えめながらも美味しそうに食べている白雪に触発されたからか。

 俺からの問いに、食べる手を止めると、白雪は小さく頷きながら答える。


「……は、はい……カルボナーラ……好き、です……」

「そうか……いや、大した意味はない。訊いてみたくなっただけだ」


 考えてみれば、それもそのはずだろう。そうでなければ表情を綻ばせたりなんかしない。

 ただなんとなく、白雪らしい……といったら変だが、それっぽい気がした。

 チーズとベーコン、そしてトッピングの温泉卵が添えられた全体的に白いそれが、なんとなく白雪の淡い雰囲気とマッチしているような。ただ、それだけだ。


 微笑ましくカルボナーラを頬張る白雪を横目に、俺もまたドリアを口に運ぶ。

 チーズとミートソースが米に絡み合って美味いな。実に文化的な味わいだ。

 おにぎりだって嫌いじゃあないが、流石に毎日同じものを食ってると飽きがくるものなんだな、と、違うものを食べているときにふと自覚させられる。


「……こ、九重君も……」

「白雪?」

「……そ、その……こ、九重君も……た、食べます……か……?」


 巻き取ったパスタを俺に差し出しながら、頬を赤らめた白雪が問いかけてくる。

 炭水化物のアテに炭水化物を食べるのか、とあらぬ方向に思考が飛んでいったのは、現実逃避というやつだろう。

 いや、ほとんど俺たちに注目する人間がいない学校ならともかく、ここは公衆の面前だぞ。この前とはわけが違うんだ。


 だが、白雪の親切を無下にするのも躊躇われる。

 人の厚意を無視するやつはどうのこうのというのもそうだが、今日は白雪に付き合うと決めている以上、それが約束のようなものである以上、果たされなければならないんだ。

 覚悟を決めろ、腹を括れ。どの道、距離感がバグってる白雪と一緒に飯を食べるという時点で予想できたことでもある。


「……あ、あーん……」


 公衆の面前であることは白雪も多少自覚しているのか、少しだけ声を控えめにして囁きかけてきた。

 変なところには配慮が行き届いているんだな、本当に。肝心なところでは遠慮の二文字をぶっちぎってアクセルベタ踏みだが。

 口に含んで咀嚼したカルボナーラは、まあ店で出してるものだから、当然の如く美味かった。


 そしてこうなると、白雪が止まらないことは承知の上である。

 今度は自分の番だとばかりに、ドリアと俺の間で視線を往復させながら、上目遣いでこっちを見てくる。意図的なのかそうじゃないのかはわからんが、なんというか反則だろうそれは。

 一緒に飯を食べさせ合うのが果たして「仲良くなる」というミッションの実現に貢献するのかはわからんが、俺だけ知らんぷりをするわけにもいくまい。


「……あーん」

「あ、あーん……」


 控えめに口を開いた白雪が、ドリアを掬って差し出したスプーンに食いつく。

 薄い唇と、遠慮がちに伏せられた目を彩るばさばさと長い睫毛。傍から見れば絶世の美少女とバカップル紛いの行為をしている俺の背中に突き刺さる視線は決してあたたかいものではないだろう。

 ただまあ、ファミレスに一組や二組、バカップルがいたところで気にするだけ無駄だといわれればそれもその通り、俺が過剰に意識しすぎなだけで、店はいつも通りに回っているのかもしれない。


「……おいしい、です……こ、九重君と……食べるご飯……えへ……ずっと……ずっと夢だったんです……お、お友達と……こうして……一緒に、ファミレスで……ご、ご飯食べるの……」


 ぽろぽろと涙をこぼしながら、白雪が呟く。

 笑顔を作ろうとして失敗したような、そんな表情だった。

 白雪の過去を俺は知らないし、まだそれを知る資格もないと思っている。


 人の心に踏み込むのには資格がいる。話したくもないことを無理に聞き出したところで、お互いなんの得にもならないのは自明の理だろう。

 だから俺は、白雪が話したいと思うまでは、話していいと判断するまでは、決してなにも訊かないと決めていた。

 その分だけ、今の白雪を見ればいいし、知ればいい。昨日のことを知らなくたって、今日と明日のことぐらいは話せるからな。


「……なら一つ、叶ったじゃないか」

「……は、はい……っ……ぁ……ありがとう、ございます……こ、九重君がいてくれたから、わたし……」

「……お互い様だ」


 困ったときは、特にな。

 あの時、どうして駆け出していたのかはまだ自分の中でもはっきりとしない。

 だとしても、よかったんじゃないかと思える時があるだけで、それだけできっと、俺のやったことに意味はあるんじゃないかと、そう思えたひとときだった。

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