第15話 祈里の不思議な公転軌道

「……ご、ごめんなさい……九重君……わたし、寝ちゃって……」


 大好きな漫画の実写化だったのに、と白雪は落ち込んだ様子を見せたが、正直なところ、寝てた方がマシだったと思うぞ。

 そんな俺の感想というか愚痴はどうでもいいとして、白雪は相当疲れてたんだろう。

 昨日の夜も眠れなかったって言ってたからな。映画館の暗さと程よく耳に入ってくる言語情報は眠気を誘うものだ。


 小学生の頃は、朝会での校長先生の話とかよく寝ずに我慢して聞けてたな、と今更思う。

 今なら絶対に居眠りする自信がある。高校にそんな文化が存在しないことには感謝するばかりだ。

 楽しみにしてた映画を寝過ごすのとはわけが違うが、どっちにしたって特定の状況と条件が噛み合うと睡魔のやつはすぐに鎌首をもたげてやってくるからな。


「……いや、なんだ。その……疲れてたんだな、白雪」

「……つ、疲れてた……ですか……? 疲れてた、のかな……」

「眠れなかったって言ってただろう、なら仕方ないことだ」


 主演のあまりにもひどい棒演技のことは……覚えておくだけ無駄だから、忘れておくとしよう。

 純粋に実写化そのものが楽しみだったという白雪に、俺個人の感想で冷や水をぶっかけるのは無粋極まることだ。

 昨日上手く眠れなかったんだから仕方ない、それで済む話に違いあるまいよ。


「……こ、今度……そ、その……九重君がよ、よかったら……漫画、貸します……よ……? ね、寝ちゃったわたしが言うのも、な……なんですけど……すごく、お、面白い、ので……」

「……前向きに検討しておく」


 なんだろうな、漫画を借りること自体に抵抗はないんだが今あの「永遠の月夜で恋をする」とやらを読んでも、主人公のセリフが棒読みで再生される気しかしない。

 前向きに検討する。行けたら行く、と同じぐらいのニュアンスの言葉を口にするのは白雪を煙に巻いているようで罪悪感が湧く。

 だが、忘れようとしてもあの棒演技が脳内にちらつくのはもう一種の呪いじゃなかろうか。


 そんな、なんの益体もないことを考えながら俺たちは、白雪が立てた本日の計画表に沿う形でとりあえず食事ができそうな店を探していた。

 休日のランチタイムというだけあって、アクセスがいい場所にあるどこの店も、大体客が並んでいる。

 書き入れ時だから仕方ないんだろうが、並ぶと聞いてなんとなく億劫な気分になるのは俺だけじゃあるまい。


 その間に単語帳なり参考書なりを読んだりすることぐらいはできるのかもしれないが、あんまり夢中になっていると、順番抜かされたり最悪肩ポンされたり肘打ちされたりするからな。

 それに、一緒に昼飯を食べる約束をしてはいるが、なにを食べるかまでは決まっていない。

 その辺は全部白雪の一存に任せる、というよりは希望を叶えてやりたいところだったし、なにより俺自身、外食に明るいわけじゃないのもあるから、そうしているだけのことだ。


 相変わらず俺の左手に腕を絡めて胸を押しつけている白雪に視線を向ければ、白雪もまたどこに行くかを決めかねているようだった。

 寝起きなのもあってか物憂げな表情に赤みが差している様は客観的に見ても可愛らしい。

 だが、可愛らしいだけにもっと自覚的であってほしいというか、距離感バグってるのを意識してほしいというか。


「……ぇ……ぁ……あ、あの……」

「どうした、白雪?」

「……わ、わたしの顔に……な、なにか……つ、ついて……ますか……?」


 女子は視線に敏感だというのは、どうやら本当らしかった。

 別にそういう意図はなかったんだが、小首を傾げてどこか申し訳なさそうに俺を上目遣いで見上げてくる白雪の問いに、どう答えたものかと逡巡してしまう。

 寝起きの話題を掘り返すのも不毛だ。素直に答えてしまうのが吉と見て、俺は口を開く。


「……いや、なんというか。その、だ。可愛らしいと思っただけだ」

「……か、かわっ……!?」


 ただでさえ紅潮していた白雪の頬がかあっと一気に赤く染まっていく。

 褒められ慣れていないのか、あわあわと身振り手振りを交えて「そんなことないです」と自己主張しようとしている姿は、どことなく小動物を思わせる。

 あどけない顔立ちも相まって、余計に。


「……そ、そそそそんな……お、おおおお、恐れ、多い……です……」

「……そんなことはないと思うんだがな」

「……こ、ここここ九重君からみ、見て……そ、その……わ、わたし……か、かわ……かわいい、ですか……?」


 もしそうなら嬉しいです、と、白雪は消え入りそうな声で付け加えて俯いてしまったが、俺じゃなくても同じことを言うやつは少なくないと思うんだが果たしてどうなんだろうな。

 検証したわけじゃないからわからんし、うちの高校では白雪希美なる、未だ会ったこともない白雪の姉の話で持ちきりだから余計にな。

 ただ、俺自身の主観でよければ間違いなくそう断言できる。そんなところだった。


 実際、今日の白雪は妙に気合の入った服装をしている。淡い色使いのカーディガンと、補色になるように組み合わさったトップスに楚々としたプリーツスカート。

 ファッションには決して明るくないが、その色使いと組み立てが、白雪という素材を引き立てているのに間違いないことは一目瞭然だ。

 いや、むしろ白雪ならある程度どんな服でも着こなせるんじゃなかろうか。あくまでも主観に基づく憶測でしかないが。


「ああ、よく似合ってると思う」

「……っ……!」


 左腕に抱きつく力が強まるのに比例してなにか柔らかく、あたたかいものが押しつぶされる形で変形する感触の生々しさというかなんというかを振り払うように、俺は映画の棒演技を思い返して平常心を保つ。

 四十点ぐらいの映画でも役に立つことはあるもんだな、案外。主役の演技で六十点減点されるだけで、本当は名作なのかもしれんが。

 どうしてそんなキャスティングがまかり通るのかなんて、悲しいことに「その方が売れるから」の一言に尽きるんだよな。


 ええい、拝金主義者のスポンサーどもめ。

 ブルジョワたちへの怒りで煩悩を振り払いつつも、その傍ら、あとで白雪にちゃんと漫画借りて読んだ方がいいんだろうな、という罪悪感じみたものを抱く。

 どことなく気まずいというかぎこちない雰囲気を抱えていた俺たちだったが、それをかき消すように、くぅ、と小さく腹の虫が暴れ出した音が耳朶に触れる。


「……ぁ、ぇ……えっと……その……」

「……昼飯時だから、その、なんだ。仕方ない」

「……ご、ごめんなさい……は、はしたない、ですよね……お、お昼……食べなきゃ……」


 さっきからずっと顔を真っ赤にしていて、暑くないのか心配になってくるな。

 誤魔化すようにきょろきょろと周囲に視線を往復させて、白雪は食事処を探す。

 小洒落たカフェとか結構高くつきそうなイタリアンだとかは、駅の近くにあるメインストリートということで割とすぐに見つかったが、案の定とでもいうべきかそういう類のところは満員御礼だ。


 白雪もあまり人混みの類は得意ではなさそうなのもあって、そういうところは意図的に選択肢から外しているように見えた。

 だからこそ、それを避けるように歩いていたのだが、歩く時間が長ければ長いほど白雪に抱きつかれている時間はそれに比例するんだよな。

 傍から見れば完全にバカップルのそれにしか見えないんだろうが、俺たちはあくまでも友達同士なんだ、それだけは真実を伝えたかったんだ。誰に向けてかは知らないが。


「……ぁ、ぇ……えっと、こ、九重君……その……ここ……」


 そして白雪が候補として見つけたものは、手頃なイタリアンとして有名なファミレスだった。

 確かにここならキャパシティも広いだろうし、変に気取ってないのもあって入りやすい。

 見た感じ集団の客が多いのはネックかもしれんがそこはそれ、土日である以上仕方あるまい、どこかで妥協するのは案外大事なことだ。


「……そうだな、ちょうどいい。ここにするか」

「……は、はい……っ……! よ、よろしく……お願いします……っ……!」


 そんなに畏まる必要もないと思うんだが。

 相変わらず距離感が近かったり遠かったりする謎の公転軌道を描いている白雪がぺこり、と頭を下げるのに苦笑しつつ、ファミレスへと歩き出す。

 いい加減、俺の腹の虫もそろそろ不平不満を喚き立ててきそうだったからな。本当に、ちょうどいいところだった。

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