第13話 あなたのメッセはどこですか

 いよいよ迎えた休日、白雪との約束の日だが、俺の方は特に問題らしい問題もなく、すんなり眠っていつも通りに起きることができた。

 遠足だとか運動会だとか、大きなイベントを前にすると眠れなくなるタイプもいるらしいが、今までの人生でなにか、その手のイベントを前に眠れなくなった記憶は生憎ない。

 人によっては修学旅行で枕が変わったから眠れなかったとかそういう話もあるらしいから、人間というのは実に多様性に富んだ、よくわからん生き物である。


 などと、どうでもいい話をどうでもいい結論で締め括って俺は、磨き終わって洗った歯ブラシを洗面台に立てた。

 今から赴くのは、別にデートってわけじゃない。

 そういうわけじゃないにしても、最低限の身だしなみぐらいは整えておくのが礼儀とまではいわんでも、やって損することじゃないことは確かだろう。


 小遣いの何割かをこっそり貯蓄していた引き出しから、必要そうな額を少し多めに見繕って詰めた財布はきっちりポケットにしまってある。

 朝食もしっかり食べて、野暮用も済ませた。これで俺の方は準備ヨシといっても今回は大丈夫だろう。

 学生鞄とは別に持っている、入学祝いとして貰ったビジネスバッグに最低限の荷物を詰めて、俺は家の鍵を閉める。


「いってきます」


 この挨拶を誰かが聞いてるわけじゃない。

 だが、なんとなくそう言った方がいい気がするから、いつも欠かさずにそうしているだけの話だ。

 別に変な背景があるわけでも……ないわけじゃないが、休日というのもまた人間のスケジュールによって変わるものだ。それだけのことだった。


 昨日の帰りに聞いた話だと、白雪は我が家の最寄り駅から一駅先の街に住んでいるらしい。

 比較的都心へのアクセスがいい割には、ひなびた感じのするこの街と違って、まさしく都心と直通のベッドタウンとでも呼ぶべき隣町に住んでるって辺り、白雪の家は結構な名家なんだろうな。

 ただ、俺の住んでるところにしろ、白雪の住んでるとこにしろ、娯楽の類を求めるなら、高校がある街まで足を伸ばさなきゃいけないのは共通事項だ。


 つまるところ、三木谷のやつが言っていたゲーセンやらカラオケやらアミューズメント施設やらも全ては高校のあるところに集約されているということだった。

 街を歩いている私服の若者に石を投げたら、結構な確率で通っている高校の生徒に当たるんじゃないだろうか。

 実行するつもりはないが、早い話、暇を持て余した学生たちが過ごすには、俺の住んでる街も白雪の住んでる街もやや窮屈だということだ。


 約束した時間からは、大体十分ぐらい前だろうか。

 腕時計が刻む時間と、念の為にスマートフォンが表示する時間の両方を照らし合わせて、合っていたな、と小さく息をつく。

 薄らぼんやりとそんなことを考えながら電車に揺られている間に、俺はいつも通り待ち合わせ場所にしている高校の最寄り駅に到着していた。


 学生なんて大体暇だというのは暴論なんだろうが、同じように目立つランドマークの近くには歳が近そうな連中がたむろしている。

 その中に、白雪の姿は見当たらなかった。

 まあ十分ほど前に来たのも時間に余裕を持たせておきたかっただけだから、なんということもないのだが。


 俺も高校生か大学生かは知らんが大多数がそうしているのに倣って、空いている手すりを背もたれにする。

 そして、鞄に詰めてきた歴史の参考書を開いて栞を挟んだ続きから読み進めていく。

 別に休日ぐらいスマホでも見て時間を潰してもいいんだろうが、見るものがないからな。


 SNSの類はやっていないしメッセージアプリに登録している連絡先は、なんの自慢にもならないが家族と藤堂と三木谷だけだ。

 三木谷が俺を呼び出す時の要件は限られているし、藤堂もたまにダル絡みをしてくることはあるが、あいつの場合休日は大体バンドの練習してるからな。

 公式アカウントの類も登録していないから本当に確認すべきことがない。こうして考えるとそれなりには虚しいが、隙間時間に勉強ができると考えれば、プラスマイナスはゼロだろう。


 参考書を閉じるまでどれぐらいの時間がかかったのかは数えていない。

 だが、参考書を閉じて再び鞄にしまい込んでも、白雪らしき姿は見当たらなかった。

 寝坊でもしたか、あるいは風邪でも引いて寝込んでいるんだろうか?


 よく考えたら白雪の連絡先を知らないから、メッセージを送ることも電話をかけることもできないのはこういう時に不便だな。

 そして白雪の交友関係が極めて狭いことを考えると、藤堂に連絡先を訊いても答えが返ってくるのは望み薄といったところだろう。

 だから、先に連絡先を交換しておく必要があったんだな。なに見てヨシっていったんだ、今朝の俺は。


 自分の失態を晒した気分はどうだと問われれば、それはもういいはずはないだろう。

 いや、別に俺一人が待ちぼうけを喰らうというだけなら構わないんだが、万が一にも白雪の方になにかあったらと思うと心配だ。

 腕時計に視線を落とせば、待ち合わせの時間からはもう既に三十分ほどが経過していた。


「……ご、ごめんなさい……こ、九重君……!」


 その声が聞こえたのは、ちょうど一縷の望みをかけて藤堂に連絡先を訊くか、とスマートフォンを財布と反対方向のポケットから取り出そうとしたときだった。

 楚々とした服装に身を包んだ白雪が、ぱたぱたと駆け寄ってくる。

 風邪をひいて寝込んだわけじゃなかったようでなによりだ。そうなれば遅刻ぐらい、些細な問題だろう。


「……いや、問題ない。遅れても間に合うように予定を組んでるからな」

「……そ、そう……なんですか……? でも、ご、ごめんなさい……わたし、き……昨日から、ずっと……た、楽しみで……眠れ、なくて……」


 それで寝坊したというわけか。

 どうやら白雪は遠足の前夜に眠れなくなるタイプのようだ。

 俺と出かけるのをそこまで楽しみにしてくれていると思うと、いきなりなにか、ハードルが急激に上がったような気がしたが、映画を見て食事をして本を読むだけの、なんでもない休日にそんな障壁があるわけがないから錯覚の類だろう。


「……お、怒って……ない、ですか……?」

「いや、むしろ安心している。風邪でもひいたのか心配だったからな」

「……ぁ、ぇ……えっと……ご、ごめんなさい……ありがとう、ございます……」

「謝るようなことじゃない。それよりも色々と不便だから、連絡先ぐらい交換しておかないか」


 今のうちに、と、俺は白雪にそう催促した。

 善は急げという通り、またなにかあってからじゃ遅いからな。不幸な行き違いなんてものはないに越したことはない。

 改めてポケットからスマートフォンを取り出して、ろくに起動もしていない分アップデートに時間を取られつつも、なんとかメッセージアプリを立ち上げて、白雪のQRコードから辿る形で連絡先を交換する。


「……え、えへ……こ、九重君の……連絡先……えへへ……」

「……そんなにありがたいものでもないと思うが」


 スマートフォンに追加された連絡先と俺の顔を交互に見て、えへえへと頬を全力で緩めている白雪が一体なにをありがたがっているのかは謎だったが、楽しそうだからよしとしておこうじゃないか。

 こういうのに水を差すのは野暮だからな。

 社会通念だとか倫理だとかによっぽど背いてない限り、当人が楽しければそれでいいんだよ。それにしたって三木谷がやってる白雪希美告白ダービーはアホだと思うが。


「……ご、ごめんなさい……わ、わたしのメッセージアプリに……家族以外の、れ、連絡先が増えたの……は、初めてで……」

「……俺も似たようなもんだ」

「……い、一緒……ですね……お揃い……えへへ」


 今は藤堂と三木谷のことには触れないでおこう。

 テストと称してメッセージを送って、届いたものに既読がついたことを確認して、白雪はすっかり上機嫌だ。

 微笑ましいな、全く。アプリを落として再びポケットにスマートフォンをねじ込む傍ら、気づけば俺もつられて口元が緩んでいた。


「……それじゃあ、行くか」

「……は、はい……っ、きょ、今日は……よろしく、お願いします……っ……!」

「……そんなに畏まらなくてもいいんだが」


 ぺこり、と腰を折って頭を下げた白雪の妙な律儀さというか丁寧さに苦笑しつつ、俺はいつも通りに、一人でいるときよりもゆっくりと歩き出す。

 白雪が左腕に抱きついてくるのはもうお決まりになっていた。多分そこが白雪のベストポジションなんだろう。

 休日の学生なんて大概浮かれてるもんだが、俺たちも周りから見ればそう映るんだろうか、なんてことを考えながら、俺は白雪と共に、事前に地図アプリで場所を確認していた映画館へと向かうのだった。

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