第12話 祈里のささやかなお願い

 読書遍歴というのは本読みとしての足跡であり履歴書みたいなものだといってたのは一体どこの誰だったか。

 そんな記憶にも引っかからないようなことはどうでもいいとして、白雪がどんな本を読むのかについては知っておかなきゃならない。

 新しめのラノベに関していえばさっぱりだから、新作以外には手を出していないと言われれば、図書館行きは残念だが断念せざるを得ないだろう。


 この街の図書館にもラノベはあるにはあるが、大体お堅い内容だったり、名作と呼ばれるものでも古かったりするからな。

 新しいもの「しか」読まないのと、新しいもの「も」読むでは天と地ほど違いがある。

 俺は逆にほとんど古いものしか読まないがな。新しいやつに興味がないわけじゃないんだが、懐事情と相談したら優先順位がいつの間にか低くなってるんだよ。


 新作だって中古ならそこそこお安く手に入るのかもしれないが、ワンコインの誘惑には逆らえない。

 百円の値札がつけられた棚を漁って名作を見つけた時の感慨深さといったら、あれは一種の宝探しみたいなもんだな。

 まあ逆に百円相応だな、と思うことも多々あるわけだがそこはそれ、中古本漁りなんてそんなもんだと思わなければやってられん。


 そんなわけで、今日の放課後はいつもと趣を変えて、俺が白雪の席を訪れることに相成ったのである。

 相変わらず猫背になって活字に夢中になっている白雪の表情は明るいとは言い難い。

 だが、時折瞳を潤ませたり、細い眉根にシワを寄せたり、割と感情が顔に出る方だということはわかった。


 俺も参考書をめくりながら、白雪がとりあえずキリのいいところまで読み終わるのを観察しながら待つ。

 いつもおどおどしていて、暗い顔をしているというのが白雪に対する大方のイメージなんだろうが、実際こうして見てみると、中々どうして感情豊かだ。なんだろうな、可愛いのはそうだが、それ以上に微笑ましい、といった感じがする。

 ふぅ、と小さく息をつくと同時に栞を挟んで、白雪はきょろきょろと周囲の様子を伺うかのように視線を彷徨わせていた。


「……ぁ、ぇ……こ、九重、君……?」

「読み終わったのか」

「……は、はい……そ、その……わたしに、なにか……?」

「いや、白雪に訊きたいことがいくつかあってな」

「……ぇ、えっと……す、スリーサイズとか……?」

「どこからその発想が出てきた?」


 なんでいきなりスリーサイズを訊かなきゃならないんだ。知り合い……いや、友達とはいえ普通に事案だぞ。

 とはいえまあ、白雪が出るところは極端に出て、引っ込むところはしっかり引っ込んでいるグラマーなのは、猫背になっていても、厚着をしていてもよくわかる。わかってどうするのかは俺も知らんが。

 相変わらず距離感と発想がバグっているのにも割と慣れてきたというか、あまり動じなくなっている自分に気づいて、これが成長か、となんとなく感慨に浸りたくなったが、成長したところで得られそうなものは生憎なにもなかった。悲しい限りだな。


「……ぇ……っと……う、上から……きゅ、きゅうじゅ……」

「言わなくていいぞ」

「……き、気にならない……です、か……?」


 瞳を潤ませながら、上目遣いで白雪は俺を見上げて言った。絶妙に返答に困るキラーパスを投げつけてきやがったな、こいつ。

 気になるかならないかでいえば……負けた気分だが、なる。だが、しかしだ。

 しかし、それを俺が知ってなにになるというんだ。お互いなにもないだろ、得することが。


「……白雪は古いラノベとか、読んだりするのか?」


 昔の偉い人は言いました、触らぬ神に祟りなしと。

 つまりはそういうことだ。

 白雪からの問いかけ、その一切合切を記憶から消去して強引に話を転換することで、俺は無理やり本題に切り込んでいった。


「……ぇ、えっと……有名なのは……昔……」

「中学校の図書館とかにも置いてあるからな」

「……は、はい……っ……それで、わたし……ら、ライトノベルの、せ、世界に……夢中に……えへ……」


 白くて目が二つあってV字アンテナが生えてる人型機動兵器が活躍する話だとか、喋る自動二輪と旅をする話だとかな。

 なんだろうな、初めて白雪とまともに通じ合えた気がする。俺も中学時代は放課後、門限のギリギリまで図書館で勉強してたその息抜きにラノベ読んだりしてたからシンパシーを感じずにはいられない。

 それは一旦置いておくとしても、白雪が新しいものしか読まないタイプじゃないと確認できたのは幸いだった。これで図書館を遊びに行く先の候補から外さずに済む。


「中学校の図書館か……懐かしいな」

「……わ、わたし……そ、その……九重君、みたいに……あ、頭……よくないですけど……ひ、ひとりぼっちだったわたしに……ゆ、勇気をくれたのが……本の世界だったんです……」

「……そうか」

「……本が……ら、ライトノベルがあったから……ひとりぼっちでも、寂しくなかった……って、言うと、う、嘘になっちゃいますね……で、でも……ず、ずっとひとりでいるよりは……ずっとよかった、です……」


 ひとりぼっち。白雪の舌先が紡ぎ出した言葉には、確かな悲しみが滲んでいた。

 困ったように涙を浮かべながら笑う白雪が抱えている寂寥を俺がどこまで汲み取れるかはわからない。

 なぜなら俺もまた、ほとんどひとりぼっちだったことには変わりなかったが、俺は別に一人でいることを苦痛だと感じたことはないからだ。


 そういう意味では、友達と一緒に遊ぶというのは、白雪の中じゃ相当重いことなんだろう。

 なんとなくではあるが、過去の断片を聞いたことで察せられる。俺たちは相似形であっても合同じゃない。

 だからこそ、この前藤堂と話していたとき、白雪は泣いていたんだな。俺にとって白雪は数少ない友達の一人だが、白雪にとってはきっと、俺が。


「……白雪は、今度の休日に行きたい場所とかあったりするか?」


 そう問いかけていたのは、半ば勢いに任せてのことだった。

 自分の中にじわり、と滲んだ言語化できない衝動に突き動かされて、言葉が考えを追い抜いて走る。

 懐事情のことだとか、勉強のことだとか、今まで考えて組もうとしていた計画をばらばらにぶち壊して、気づけば俺は、白雪に全ての判断を委ねていたのだ。


「……ぁ、ぇ……えっと……そ、そう……ですね……ど、どこに行くか……決めて、なかった……です、よね……」

「……ああ」


 ──だから、白雪が行きたいところに行こう。

 腹を括って俺は、そう提言した。

 正気に立ち返れば、後悔がなかったとはいえない。だがここで俺が、俺の事情で出かける先を決めてしまった方がもっと後悔すると、根拠も理屈もないが、感情がそう告げていた。


「……ぇ、わ、わたし……わたし、が……」

「……どこでもいい。ゲーセンでもカラオケでもなんでも、白雪が行きたいと思ったところに行くことにした」


 元々は俺の落ち度だからな。

 なんで付け加えるのは言い訳くさくて情けないから喉の辺りに留めておいて、俺は白雪の丸く大きな瞳を真っ直ぐに覗き込む。

 ばさばさとした長い睫毛に飾られた琥珀色が映し出した俺の表情は、なんとかいつもの仏頂面から崩れないままで済んでいたようだった。


「……ぁ……ぇ、えっと……」

「……」

「……ぇ、映画……映画とか……一緒に見て……い、一緒に……お、お昼ご飯を食べて……それから、その……一緒に……図書館で、ほ、本を読みたい……です……」


 ──九重君と、一緒に。

 照れ隠しに目線を逸らしながら、今にも消え入りそうな声で白雪が呟く。だが、その雪肌は耳まで真っ赤に染まっていた。

 ずっとそうしたかったのかもしれない。俺じゃない誰かと、あるいは誰でもいいけど俺がいい、ぐらいの理由なのかもしれない。


 だが、一度約束を守ると決めた、白雪が行きたい場所へ行くと口に出したのが他でもない俺であるなら、それはなにを差し置いても守られなければならないことなのだ。

 映画館に昼飯に、か。

 例えそれで結構な額の金が飛んでいくとしても、不思議と後悔はなかった……といえば嘘になるんだろうが、気分は不思議と晴れやかでさえあった。


「……ああ、わかった。映画館と昼飯と図書館だな」

「……は、はい……っ……」

「それじゃあ、そうしよう」


 金の心配なんてのはあとからすればいい。それに、普段からいざという時のために何割かは貯蓄に回してるからな、それを切り崩せばいいだけだ。

 すっかり夕暮れに染まった空を一瞥して、俺はそこに何度目かの明日を迎えた景色を思い浮かべる。

 立ち上がった白雪と歩調を合わせて、家路に着く。少しだけ知った昨日を手土産にして、明日への微かな期待を抱きながら。

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