第6話 パウダースノーの微笑み

「やたらと疲れた……」


 教科書類を学生鞄に収めて、ぽつりと呟く。結局、昼飯を食い終わったあとも気が休まらなかった。

 心頭滅却して勉強に集中することはできなくもなかったが、授業中も時折白雪からの視線を感じるというか、確実に見られてる気がして否が応でも思い出してしまうというかなんというか。

 時間は一秒たりとも無駄にしたくないんだが、これは一体どういうことだと自分を俯瞰する自分が憤死しそうなぐらい、白雪にペースを乱されている。こんなことでは東都大学進学は夢のまた夢だ。


 しっかりしろ、と自分を鼓舞するが、元々友達になってくれ、という白雪からの申し出を受けたのは俺なんだから、この責任はどのみち俺自身に帰結するのだ。

 つまりは白雪の天然っぷりを考慮できていなかった、自業自得って話に尽きる。

 窓の外でサッカー部が練習しているのをしばらく茫洋と眺めながら俺は小さく溜息をつく。


 三木谷のやつが上級生を全抜きして華麗にシュートを決めると、野太い声と黄色い声が混ざった歓声が聞こえてくる。まだ仮入部期間だってのに飛ばしてんな、あいつ。

 噂好きで面食いな欠点こそあるが、三木谷のサッカーに関する才能と情熱は本物だ。それがなんでこんな公立高校に進学したのか、今でもわからない。

 だが、一人で全国にこの高校を引っ張っていくとかなんとか合格発表の時に息巻いてたから、頑張ってほしいもんだ。一応友人として応援してるぞ。


 そんな具合にぼんやりしている内に、教室からは人もすっかり掃けていった。

 藤堂のやつは拠点にしてるライブハウスにでも向かったんだろう。そうなるといつも通り俺は一人の帰り道……とはいかないんだな、これが。

 後ろを振り返れば案の定、白雪が俺の半歩後ろでおどおどしながらもスタンバイしていた。間接キス事件を起こしても尚俺と一緒に帰ろうと思うのは、繊細なようで図太いのかそうでないのか。


「白雪」

「……は、はい……っ……」

「そう身構えないでくれ……一緒に帰るか?」

「……はい……っ……!」


 緊張しているのか、言葉をやや詰まらせながらも白雪は微かな笑みを浮かべて、その提案を待っていたとばかりに首を縦に振った。

 一緒に帰るぐらいなら、昼間のような事故も起きないだろう。

 あの時は友達付き合いの定義が行方不明になりかけたが、これぐらいなら健全な範囲だといえる。


「……そ、その……九重君……」

「どうした、白雪」

「……こ、九重君は、部活とか……」

「ああ……帰宅部だよ、時間がもったいないからな」


 部活やらバンドに青春をかけるのもまた人生だ。

 それは藤堂や三木谷にとっては間違いなく必要な時間に違いない。それを否定するほど、根性が腐っていないとは思いたいところだ。

 だが、俺にとっては不要で無用な時間であることに変わりはない。なにかに打ち込むのなら勉強だと、もう決めているからな。


 いい大学に入れば将来が確約されてる、なんて考えは遥か昔のものだってことは百も承知だ。

 それでも俺には、成し遂げたいことがある。高校では絶対にできない、東都大学以外で妥協することはできない、言い換えるなら夢とでも呼ぶべきものが。

 だから、立ち止まってる時間すら惜しいんだ。鞄を手に提げて、俺は歩き出す。


「……そ、その……」

「なんだ」

「……へ、変なこと訊いたら、ごめんなさい……その……お勉強、好き、なんですか……?」


 スマホの代わりに単語帳に目線を落としながら教室をあとにした俺へと、白雪がおどおどしながら問いかけてきた。

 好き、か。

 そう訊かれると難しいな。得意か得意でないかでいえば得意に分類されるが、好きかどうかなんて、考えたこともなかった。


「……わからん」

「……わからない……ですか……?」

「……やりたいことがあるからやってるだけだ。だから、好きかどうかはわからない」


 もしも一日中、誰にも邪魔されることなく勉強できる権利なんてものが与えられたら、それなりには嬉しいが、それが一週間とかになると少し悩み始めるような、そんな程度だ。

 まあ、実際に一週間勉強に集中できる権利を貰えるなら多分貰うんだろうがな。

 効率の問題とか、パフォーマンスの問題も絡んでくることは確かだが、基本的にやればやっただけ差がつくのが勉強というものに違いはない。


「……で、でも……その……好きだから、こそ……」

「好きこそものの上手なれ、か?」

「……は、はい……ご、ごめんなさい……わたし、思い浮かばなくて……」

「……別に気にするようなことじゃない。そうだな、そういう意味じゃ、好きなのかもしれないな」


 勉強が楽しいか楽しくないかでいったら、間違いなく楽しくはない。むしろ、つらいぐらいだ。

 筋トレの沼に腰を通り越して肩まで浸かった連中は、最終的に「地面から重いものを持ち上げることほど楽しいことはない」とか言い出すらしいが、別に数学の文章問題を解くことほど楽しいことはこの世にない、なんて俺は思えないし、これから言い出す予定もない。

 それでも、続けられているというのは、白雪が言った通りに、どこかで「好きだ」という気持ちがなければやってられない以上、間違っていないのかもしれなかった。


 ゆっくりとした白雪の歩調に合わせて歩く校舎に目も向けず、ただ単語帳と向き合い続けるのも……そうだな、多少は新鮮かもしれないが、楽しくはないな。

 単語帳を学生鞄にしまい込んで、俺はそれっきり黙ってしまった白雪へと向き直った。

 改めて客観的に見ると、白雪はやっぱり美少女だといって差し支えない容姿をしている。ほどほどに低い背丈と、綺麗な亜麻色の長髪に、潤んだ大きくて丸い琥珀色の瞳。


 どの記号を切り取っても完成された美、がつくレベルだと思う。姉は読者モデルをやってるらしいが、白雪も問題なく同じことができそうだ。

 ただ、極端に自信がなさげなことを除けばの話ではあるが。

 とはいえ、人の心に踏み入るのには資格がいる。だから、俺がその問題に触れるのはタブーなんだろうな。


「白雪は、なにか好きなこととかあるのか」


 それ以前に、俺は白雪のことをなにも知らない。だからこうして、尋ねることにした。

 頼まれて友達になったからそれで友達関係が成立しましたはい終わり、というのは味気ないし、なにより薄情だろう。

 白雪がなにを思って俺を選んだのかはわからない。それを知りたいわけじゃないが、せっかく友達になったのなら、少しは相手のことを知っておきたいと思うのも、また自然な感情なんじゃないだろうか。


「……好きな、こと……」

「ああ、俺ばかり喋っててもつまらないだろ」

「……べ、別に……そんなこと……ない、です……わ、わたし……なんの取り柄もないです、から……九重君は……すごいなぁって、思って……」

「好きに上手いも下手も関係ないと俺は思う」


 自嘲モードに入った白雪を引っ張り上げるように、俺は確信を持ってそう言った。

 上手いか下手かで物事を考えていたらキリがない。例えばさっき、上級生すら全抜きしてシュートを決めてた三木谷だって、バロンドールを取ったような選手と比べればサッカーが上手いとはとてもいえないだろう。

 それでもあいつはサッカーが好きだから、今日の今日まで時間を燃やして捧げてきたってだけの話だ。


「……上手いも下手も、関係ない……」

「ああ、こう言っちゃなんだが、藤堂のやってるバンドだって学生の中じゃ上手い方なんだろうが、プロと比べればまだまだだ。上と比べてたらキリがない……勉強で上を目指してる俺が言っても、説得力はないだろうが」


 ただ、白雪が好きだと思うことを知ってみたかった。

 好奇心程度の……単なる、よくある会話だ。

 それこそ、友達同士で言い合うような。


「……わ、わたし、は……お、お料理、とか……お散歩、とか……読書、とか……好き、です……」

「そうか」

「……は、はい……読書っていっても……ライトノベルとか、ですけど……」

「いいじゃないか」


 なんとなく、白雪らしいなと、そう思った。

 ラノベは俺も割と読む方だから共通項だな。

 とはいえ、中古で売ってる昔のか、図書館で借りた多少お堅いやつが大半だから、最新の話題にはついていけないんだが。


「……いいん、ですね……」

「ああ、悪くない」

「……き、きらきら、してなくても……」

「世の中皆がキラキラしてなきゃいけなかったら、眩しすぎて歩いてられん」

「……ふふ……っ……」


 何気なく飛ばした冗談に、白雪が笑う。

 柔らかい、それこそ苗字のように積もったパウダースノーにも似た、儚さを含んだ綺麗な笑顔だった。

 知らないことを一つ知れた。それだけでも、友達付き合いは一歩前進したはずだ。


 加えて、共通項と笑顔が見られたなら満点といったところだろうか。

 まだまだ互いに手探り状態な友達関係だし、事故もあれどそれでも一歩ずつ、歩くように前へと進めているのは、多分好ましいことなのかもしれないな。

 根拠はないが、そう思えた。きっと、今はそれで、十分だった。

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