第5話 間接キスはイレギュラー

 さて、今までの人生で友達がいなかったわけじゃないが、なってほしいと頼まれたのは生憎初めてだ。そんな相手に、なにを話せばいいんだろうな。

 昼休みを迎えた教室で、きょろきょろと周囲の様子を伺うようにして俺の席まで椅子を持ってきた白雪が可愛らしい弁当を開けるのを見ながら、ぼんやりとそんなことを考える。

 こういう時に頼りになりそうな藤堂は学食に行っちまったから、どうにもならん。初対面の相手でも怖気付くことなく話題振ってくからな、あいつは。


 バンドマンってのはコミュ力がないとやってられんとかMCがつまらんと言われるんだとかは聞いているが、ますますもって恐ろしい世界だな。

 俺もまた風呂敷に包んでいたおにぎりを机の中から取り出して、もそもそと咀嚼する。

 学食は確かに割安だが、結局かかる金考えたら自炊した方が安いんだよな。


 こういう時にまとまった量が買えて、おにぎりにすれば持ち運びも簡単な米は正義だ、浮いた金を中古の問題集とかに費やせる。


「……ぁ、あの……」

「なんだ、白雪」

「……そ、その……お、おかず……とか……」

「ああ、別にいいんだ」


 おにぎり二つという、余りにも貧相な俺の昼飯を見て心配してくれたのか、白雪はカラフルな自分の弁当箱を差し出してくるが、そこまでしてもらうのは流石に申し訳ない。

 それに、特段昼飯にこだわりがあるわけじゃないからな。

 腹が満たせればいいというかなんというか。そんな感じだから別に無理はしなくてもいいんだが、と、そんなことを伝えようとした瞬間だった。


「……そ、その……よ、よければ……」

「……いや、だから」

「……お、お友達……ですから……あ、あーん……」


 友達だろうと初手からそれは流石に距離感バグってないか。

 ぷるぷると右手を震わせながら弁当のミートボールを差し出してくる白雪を見ていると、口にこそ出なかったがそんな呟きが喉元まで出かかった。

 だが、ここで変に断ったら断ったで気まずくなるのは確定事項みたいなもんなんだよな。人の厚意を無視するやつは一生苦しむぞとは、一体誰の弁だったか。


「……」


 観念して口を開ける。

 目を閉じたのはせめてもの抵抗というかなんというか、強がりみたいなものだ。放っておいてくれ。

 箸が舌に触れたのを確認して、口を閉じてミートボールを咀嚼する。絵面は恥ずかしくても、久しぶりにまともな昼飯にありつけたような感覚だ。


「……ど、どう……ですか……?」

「……美味い」

「……なら……よかったです……手作りじゃ、ないですけど……」


 白雪はほっとしたのか、空いている左手を胸に当てながら少し遠慮がちに言った。

 目を開ければ、制服とカーディガンを着ていても、その布地を大きく突き上げる膨らみが自然と視界に入ってきてしまう。

 いや、これは事故みたいなものだ。断じて故意じゃないとだけは主張したい。


 というか、そんなことはどうでもいいんだよ。

 今時手作りかどうかを気にするような人間なんて少数派だとは思うが、冷凍食品だろうが手作りだろうが、昼飯におかずがついたのは何ヶ月ぶりだと考えればそんなのは誤差の範疇だろう。

 美味いものは美味い、それでいいじゃないか。貧乏舌だと笑いたければ笑えばいい。


「……別に、気にするようなことでもないだろ」

「……えっと……男の人は……手作りの方がいいのかな、って……でも、わたし……ダメダメですから……ご飯を詰めて、ふりかけをかけることぐらいしか……」

「……確認するが、おかずが冷凍食品なだけなんだよな?」

「……え、えっと……はい……」


 白雪は、俺の質問におずおずと首を縦に振った。

 なるほど。なら、レイアウトとか献立とかは自分で考えているってことじゃないか。

 それだけでも十分合格点どころか、自分で弁当作ってるんだから百点満点だろう。どこぞの主食が駄菓子棒なギタリストにも見習ってもらいたいもんだ。


「……凄いな、白雪は」

「……っ……そんなこと、ないです……だって……」

「前にも言ったが、俺はお前の事情だとかは知らん。ただ朝早く起きて自分で弁当作ってる……それは客観的に見ても十分凄いことだ。少しぐらいは自分を認めてやってもいいんじゃないか」


 だって、の先に続けようとした言葉を遮って、俺は俯いてしまった白雪にそう提案する。

 自分で自分が信頼できないなら、他人の言葉を……とも、そう簡単にはいかないんだろうな。

 恐らくは今までずっと「姉じゃない方」呼ばわりされてきたんだ、露骨にがっかりされるみたいなこともきっと山ほど経験してるはずだ。


 ただ、せっかく友達になったんだ。

 友達の言葉ぐらいは信用してほしいものだ、と考えるのもまたエゴというか、距離感バグった考え方かもしれないな。

 ただ、その辺りに上手く折り合いをつけられれば、白雪も、もう少し笑顔が見られたりするんだろうか。


 別にそれが悪いってわけじゃないが、今のところ困惑してたり泣いたりしてるところしか見ていないような気がするからな。

 泣いてるよりは笑ってる方がいいってのも大概身勝手な理屈だが、誰かがつらそうにしているのなら、少しは力になりたいと思うのもまた人の情けというものだろう。

 それが例え、些細なことにすぎないとしても。


「……こ、九重君が……そう言ってくれる、なら……いいのかな……」

「構わないと思う」

「……わたし、頑張った……がんばってた、のかな……えへ……」


 微かにはにかんで、白雪は丸く大きな瞳から涙をこぼす。

 泣き笑いとはいえ、笑顔は笑顔か。

 しかし、不思議な感覚だ。友達付き合いなんてのは藤堂と三木谷ぐらいしかなかったのに、その二人と百八十度違う白雪とのやり取りがどこか懐かしいような気がするのは。


 ──それは、きっと。

 かつての出来事を思い返しながら、俺の人生の中で決して忘れることのできない時間を記憶の宝石箱からそっと取り出すようにしながら、リフレインに浸る。

 ああ、そうか。似てるんだな、白雪は。


 ごしごしと袖口で涙を拭っていた白雪に視線を向ければ、ふぅ、と小さく息をついて、再び弁当に箸をつけようとしている姿が目に映る。

 ちょっと待て。なにをしようとしてるんだお前は。

 静止するよりも早く、白雪は残っていたミートボールを口に運ぶ。よりにもよって、俺が口をつけたのと同じ箸で。


「おま……っ……!」

「え、えっ……? どうか、しましたか……?」

「……箸、洗わなくてよかったのか?」


 例え友達だろうと男女は男女だろう。

 野郎が口をつけた箸をそのままにして食事を続けるのはいくらなんでもこう、あまりよろしいものじゃないんじゃないのか。

 俺からの問いかけに、しばらく呆然と固まっていた白雪は、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にして、小さく俯いてしまう。


「……っ……!」


 肌が白いから、余計に真っ赤になってるのがよくわかるというかなんというか。

 責任の一端を担ってる人間が抱くには不謹慎だが、そんなことを考えてしまうのはきっと現実逃避の表れだろう。

 野次馬どもの視線が背中に突き刺さるが、俺は悪くないと言い張るにはいくらなんでも無理がある。針の筵とはこのことをいうに違いない。


「……わ、わた……わたし……九重君と、か、かかか、間接……き……」

「白雪、ステイだ。やめておけ、それ以上は」


 事実は事実かもしれないが、教室中に周知しないでくれ。まあ、どうせもう手遅れなんだろうが。

 全く、三木谷と別なクラスで心底よかったと思うよ。あいつがこの光景を見ていたら、軽く一週間はその話題を擦ってくるだろうからな。

 だが、噂話というのは風邪のように広がっていくものだ。火のないところに煙は立たないというか、俺自身が出火元である以上、あいつの耳に入るのも時間の問題だ。


 そう考えると少しばかり憂鬱な気分になる。

 白雪も堪ったもんじゃないだろう、とちらりと横目で様子を伺えば、細い眉を八の字に歪めて、顔を真っ赤にしていたのは相変わらずだったが、どことなく口元が緩んでいるような、そんな印象があった。

 多分、気のせいだとは思うんだが。


「……か、間接……間接、き、き、キス……こ、九重君と……わ、わたしが……わたし、なんかが……」


 友達付き合いとはなんぞや。

 完全に一人の世界に入ってうわごとのようにそんなことを呟いている白雪を見ながら、俺は改めて脳内辞書からその定義を探す。

 わからない。唯一わかることがあるとするなら、今回の事態は明らかに要件定義からすればイレギュラーで、その範囲を逸脱しているということぐらいだった。

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