第4話 恋人になってくれますか?

 クラスにおける、いわゆる仲良しグループの形成には初動が全てらしい。

 趣味だとか価値観が合うかどうかを手探りの会話で見極めて、あるいは自分がどういうキャラクターなのかを印象づけることで人目を引く。

 そうすることであとは自然に交友関係が築かれるとかなんとか、そんな話だが──今となっては、どうでもいい話だ。


 そもそも学校に通っている身分である俺たちの本分は、勉強をすること。前にもいったが、本来であればただそれしかない。

 自席に座って、中古で買った数学の問題集を昨日の夜の復習から、一つ一つ丁寧に紐解いていく。

 昨日は三木谷のせいで大分悪目立ちしてしまったが、噂の真相が知れれば、わざわざ俺に注目してくるような物好きもいない。


 虚しいかって? まさか。

 誰にも注目されないってのは好都合だ。心置きなく勉強に没頭できるからな。

 私立の進学校に通えるような金がなく、塾や家庭教師に頼るのも同じく期待できない中で国立大学を、その中でも最難関として名高い東都大学を目指しているのなら、申し訳ないがここでの授業でやる分だけじゃとても足りない。


 だから、一分一秒が惜しいんだ。

 大分読み込まれたりアンダーラインが引かれてあってボロボロな答えと照らし合わせて、合っているかどうかを確認。

 百パーセント、解き方も含めて正解だった。


 とりあえず、朝やるのはこんなもんだろう。

 凝り固まった肩を解しながら、俺は小さく欠伸をした。

 確かに一分一秒は惜しいが、根を詰めすぎて授業中に集中力を切らしてギブアップ、なんてのは情けなさすぎる。


 もちろん、夜に授業でやる範囲の予習もしているし、正直にいってしまえば、高校に入ってすぐに教えられる範囲なんて基礎中の基礎だ。

 簡単という言葉で片付けることすらおこがましいレベルなのはわかりきっている。

 だが、基礎を疎かにするやつは、大体どこかでボロが出る。そして妙なプライドを発揮して、一からやり直すようなこともせずに転落していくんだ。


 だからこそ、物事に関してはなにに関しても、それこそ仲良しグループを作るにしても勉強にしても、最初が肝心だと相場が決まっている。

 それを証明するかのように、ぐるりと俯瞰した教室の真ん中では、ギターケースを背負った藤堂が、早速作ったのであろう友人と思しき連中と雑談に興じていた。

 バンドやってるってのは男女問わず結構気を引くワードだからな。それに元から藤堂は人好きのする性格だ、人気者になるのも頷ける。


 俺がとっくに諦めたものが、捨てたものがすぐ近くにあったとしても、やはりそこに虚しさを感じるようなことはない。

 一人になることを極端に嫌うやつが多数派なだけで、一人でいることに抵抗がないやつだっている。

 少数派、マイノリティだから世間からは概ね黙殺されているだけのことだ。日陰の隅っこ暮らしだって、案外悪くないもんだってのにな。


 除け者。余り物。はみ出しもの。

 多数派はいつだって、自分たち以外の存在へ、なにも考えずにレッテルを貼り付ける。

 昨日の「姉じゃない方」という三木谷の失言と、少しだけささくれ立った感情を思い返しながら、茫洋と壁掛け時計を見ながら一限までの残り時間を過ごしていた時だった。


 とん、とんと肩を誰かに恐る恐る叩かれたような、そうじゃなければなにかが軽く触れたような感覚がする。

 初日こそ学年主席ということで、昨日は白雪希美とやらの噂で変に注目されたが、俺を呼び止める物好きなんてクラスにもう残っちゃいないだろうに、わざわざなんの用だ。

 カラオケやら合コンの数合わせを呼ぼうとしているんなら秒で断ってやろうと決意を固めて振り返れば、そこに立っていたのは。


「……ぁ、あの……そ、その……こ、九重……九重、京介くん……ですよね……? そ、その……ぉ、お時間、いいですか……?」


 腰まで届くほど長い亜麻色の髪に、シミひとつなく透き通るような雪肌。

 美しく伸びた、あるいは伸ばされた髪を彩るように三日月型の髪飾りが蛍光灯の光を反射して僅かに光沢を放つ。

 困ったような顔をして、大きな琥珀色の瞳を潤ませているその女子には、見覚えがあった。確か、昨日定期入れを拾って渡した、そして三木谷のやつが言っていた。


「……構わない、時間ならまだある」

「……あ、ありがとう……ございます……その……わ、わたし……わたし、は……」

「……白雪祈里。違うか」

「……は、はい……白雪……白雪、祈里です……」


 不名誉な覚え方で申し訳ない限りだが、どうやら名前は合っていたらしい。

 白雪祈里。三木谷曰く、「白雪姉妹の姉じゃない方」だったか。

 ひどい言われようだ。その白雪希美がどれだけの完璧超人なのかは知らんが、まるでおまけみたいな扱われ方をされる謂れなんてないだろうに。


 とはいえ、俺一人が憤ったところでなにかが変わるわけでもない。それに、無責任に同情するのも、哀れむのだって場合によっては失礼に当たる。

 沈黙は金、か。

 確かに名言かもしれないが、美しく輝く金を巡る歴史の裏には人類の欲望とドス黒い思惑が絡まった背景があるように、綺麗に見えるものだって、表面的な事象をなぞっているにすぎないことだってあるだろう。


「……それで、なんの用だ」


 そんな益体もないことを考えているのも失礼だろうと思考を中断して、俺は白雪祈里に問いかける。

 話しかけてきたってことは、十中八九用事があるってことで間違いないだろう。

 藤堂なら呼んでみただけー、とかほざくかもしれないが、見た感じ、白雪祈里はそんなタマじゃない。


「……ご、ごめんなさい……」

「なんで謝るんだ」

「……そ、その……昨日は……わたしの、せいで……でも、お話しする勇気が、なくて……その……」

「……定期の件か、別に気にしなくていい」


 迷惑をかけたとでも思ってるんだろうか。

 だとしたら全然そんなことはないから、安心してほしい限りだ。

 あれは俺が気まぐれを起こしてやったことにすぎない。感謝されるような謂れもなければ、堂々と胸を張って誇れるようなことでもない。


 それなのにわざわざ俺の席まで足を伸ばしてくるとは、随分折り目正しいな。

 ……待てよ、俺の席まで?

 俺の反応が予想外だったのか、あわあわと二の句が告げずに戸惑っている白雪祈里を一瞥してから、クラスメイトの数を数えてみれば。


「……もしかして、同じクラスだったのか?」

「……ぇ、ぁ……は、はい……い、一応……ごめんなさい……」


 同級生の顔と名前を覚える気なんて欠片もないとはいえ、なにかこう、縁があった相手と同じクラスだったことすら忘れていたのはなんだか申し訳なくなってくる。

 有り体にいえば、とんでもなく気まずい。

 白雪祈里も話題に困っているのかそれとも単純に俺が朴念仁だったことに呆れているのかは知らないが、さっきからその視線は忙しなく空中を行ったり来たりを繰り返していた。


「……ぁ、あ……あの……」

「……なんだ」


 ようやく言葉が見つかったのか、深呼吸して息を整えつつ、白雪祈里は舌先を必死に回転させる。


「……お、お願い、です……その……」


 頼み事か。

 覚えていなかった負い目もある、なら一つや二つ聞くのもある種のケジメというやつだろう。

 ああ、と短く承諾を返すと、白雪祈里はごくり、と固唾を呑み込んで、続く言葉をしどろもどろになりながら紡ぎ出す。


「……どうか……わ、わたしの……こ、恋人に、なって、ください……!」


 ──お願い、します。

 ぺこりと腰を折って、白雪祈里は頭を下げた。

 恋人。予想もしていなかった言葉に、鳩が豆鉄砲どころかマシンガンを喰らったような顔をしてたんだろうな、今の俺は。


「……正気か?」

「……ぇ、ぁ……は、はい……っ……!」


 思わず、そんな不躾な問いが漏れ出る程度に、俺は混乱していた。

 あるいはなんかの冗談という可能性も検討したが、どうにも胸の前で両の拳を固めて頻りに頷いているところから察するに、白雪祈里の中では至極真面目な話だったらしい。

 ぷるぷると震えながら頬を赤らめている彼女に視線を向けて、数秒ほど考え込んでから、今返せる精一杯の答えを伝える。


「……なら、その、なんだ。せめてだな……友達からとか」

「……ぁ、ぇ……は、はい……それなら、やり直させてください……」

「……構わない」


 初手から恋人がどうこうとか何を言ってるんだこいつは、と思うところはあったが、ここまで必死だということは、こいつなりになにか切実な理由があったのだろう。

 まあ、それを考慮すれば……いや、考慮しても流石にそれはかなり距離感バグってないか、お前。

 困惑する俺をよそに、すぅ、はぁ、と呼吸を整えて、白雪祈里が口を開く。


「……お、お願いします……こ、九重、君……ど、どうか……わたしの……その……お、お友達に、なって、ください……」


 さっきの恋人云々は今は忘れておくとして、今の今まで人付き合いの類はほとんど拒んで……というよりは避けてきたせいで、友達と呼べるような存在は藤堂と三木谷の二人だけだが、その申し出を受けるということは、そこに白雪祈里が加わるということだ。

 だが、断言しよう。俺は人付き合いが上手い方だなんて欠片も思っていなければ、藤堂たちとの付き合いが続いてるのも、あいつらが物好きだからに他なるまい。

 だから、正直にいえば白雪祈里と上手く友達付き合いができるかどうかは自信がない。それでも。


「……ああ、構わない」

「ぇ、ぁ……え、えっと……わたし……その……お姉ちゃんじゃ、ないです、よ……? 本当に……いい、んですか……?」

「……お前はお前だろ、なんで姉が出てくる」

「……だって……わたし……わたしなんて……余り物、ですから……」


 自嘲しながらはにかんだ白雪祈里の瞳にじわり、と涙が滲む。

 余り物、か。そんな言葉が自分の口から出てくる程度には、白雪姉妹の姉じゃない方、と呼ばれ続けてきたのだろう。

 それだけ深い心の傷を俺が癒せるかどうかなんてわからない。それでも。だとしても。


「正直、お前の抱えてる事情はわからん、だが……余り物だろうがなんだろうが関係ない、白雪。俺はお前の……白雪祈里の友達になる」

「……っ……!」


 俺にできることが、尽きたわけじゃないだろう。

 最低限だとしても、それでなにかが変わるわけじゃなくても、願われた通りに友達になることぐらいはできる。

 そこから先がどうなるかはわからん。それでもだ、今この場でノーを突きつけるほどの畜生に落ちぶれたつもりはない。


「……ありがとう……ありがとうございます、こ、九重くん……」


 感謝されるほどのことでもないんだがな。

 ぽろぽろと涙をこぼし続ける白雪から僅かに視線を逸らして、俺はそう、口には出さずに呟いた。

 示し合わせたかのように、授業開始の予鈴がスピーカーから響く。顔を真っ赤にしながらそそくさと席に戻る白雪を一瞬だけ振り返って、俺は机から教科書類を取り出すのだった。

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