第3話 姉じゃない方

「京介はもやし味の駄菓子棒とさ、駄菓子棒味のもやしってどっちがお得だと思う?」


 教室に入るなり、わざわざ俺の机にやってきた赤毛の女生徒が、いきなり訳のわからない問いを投げかけてくる。

 背負ってるギターケースが物語っている通り、こいつは軽音学部の所属──じゃない。そもそもうちの学校に軽音部はない。

 だからってわけじゃないが、学外でバンドを組んで活動している自称未来のロックスターこと、藤堂とうどう優花ゆうか。俺の数少ない知り合いで、小学校からの腐れ縁だ。


 なんの因果か小学校も中学も高校も、ずっと一緒のクラスだったからといって、俺とこいつの間に浮ついた話があるわけでもない。

 この一周回って独特な気がしてくるセンスを発揮する会話の相手になったり、たまにせがまれてライブを観に行く程度の関係性、要するにただの幼馴染だ。

 バンドというのはどうにも売れるまでには莫大な金がかかるらしい。なんでもチケットにはノルマが存在していて、未達分は自腹を切らされるとか。恐ろしい世界だな。


「……どっちでも大して変わらんし、駄菓子棒味のもやしなんてものはない」

「ちなみに私は駄菓子棒味のもやし派だよ!」

「当然のように存在しないものの話をするな」


 だから当然の如く、ただでさえ金欠になりがちな学生にとってバンド活動というのは過酷なものだ。

 駄菓子棒の話を振ってきたのも、それがもっぱら藤堂の主食だからだろう。

 せめてもう少しいいもん食えと思わんでもないが、口に出したら「じゃあ奢って」と返されるのは火を見るよりも明らかだから黙っておく。


 沈黙は金。雄弁は銀。

 いい言葉だよ、全くもってその通りだ。

 だが、なんだかんだで腐れ縁だ。奢れるもんなら奢ってやるのもやぶさかではないが、一度奢ればつけ上がるのも目に見えてるし、俺だって貧乏学生なことには変わりないからな。


「美味しいんだけどねー、駄菓子棒。でも流石に主食にしてると飽きがくるよ」

「だろうな」

「そんなわけで今日は奮発してメロンパン買ってきちゃった! お値段実に駄菓子棒十本分!」

「……なんでもかんでも駄菓子棒で換算するのは虚しくないのか」


 俺も人にいえた義理じゃないが、なんでもかんでも安いものと比較して価値換算してるとQOLが目減りしていくぞ。

 とはいえ、藤堂の家は結構な金持ちだったはずなんだが。

 それだけバンド活動に金がかかるのか、こいつに散財癖があるのかはわからんし、訊くつもりもないがな。


 いきなり教室のドアが勢いよく開け放たれたのは、そんな具合になんの中身も取り留めもない会話を藤堂と交わしていた時だった。

 やかましいな、朝っぱらから一体なんの騒ぎだ。

 まさか誰かが入学早々生活指導にでも捕まったんじゃあるまいな、とドアの方を見れば、そこにいたのもまた、見覚えのある顔だった。


「聞いたぞ京介! お前あの白雪しらゆき希美のぞみを助けたんだってな!」

「……藪から棒になんの話だ」

「お前が干物になって久しいから心配してたが、まさか白雪希美にワンチャン狙うだけの度胸が残ってたなんてなー、本当に驚きだぜ」

「だから、なんの話だ三木谷」


 いきなり教室に乗り込んできて訳のわからない話を始めたこの金髪男もまた、俺の数少ない知り合いにして、高校でのクラスは違えど、小学校から中学、高校と同じ学舎に通っている腐れ縁の一人だ。

 名前は、三木谷みきたにかけるといった。

 多少空気が読めないというか、こんな具合に唐突に意味のわからんことを言ったりするところやら、怪しげな噂話へ積極的に首を突っ込んだりするところはあるが、まあ概ねイケメンと呼べるような見てくれのおかげである程度は許されている。


「白雪希美?」

「……知ってるのか、藤堂」

「知ってるもなにも、超有名人じゃん!」


 藤堂はよっぽど驚いたのか、三木谷の言葉に目を丸くする。


「そんな白雪希美に京介がワンチャン狙ってたんだぜ、優花! 今夜は赤飯だな!」

「晩ご飯はお赤飯かー、翔の家にお茶碗持って乗り込むとしますか!」


 そんな幼馴染二人組は、当事者である俺を置き去りにして知らん話に花を咲かせていた。

 だから、白雪希美なる人物はどこの誰なんだ。超有名人だのとなんだのといわれたって知らんものは知らん。

 大体俺たちは入学して三日だってのに、超有名人もなにもあるものか、と、半ば呆れたように、勝手に盛り上がっている三木谷へと視線を向けて溜息をつく。


「えっ? 京介、本当に知らないの?」

「知らん」

「照れ隠しとかしなくていいんだぜ、俺らの仲だろ?」

「だから知らんものは知らん。誰だ、その白雪希美というのは」

「マジか……」


 流石に俺が冗談を言っているとは思わなかったのか、三木谷は盛り上がっていたのが一転、憐れむような目で俺を見つめてくる。

 なんで勝手に一人で盛り上がって一人で盛り下がってんだ、こいつは。というかなんで俺が憐れまれなきゃいけないんだ。

 と、若干抗議の意を込めて三木谷を睨んだが、どこか失望したような目で俺を見ているのは、どういうわけか東堂も同じだった。


「白雪希美って、私でも知ってるくらい有名な雑誌で読者モデルもやってるし、なんか知らないけど、噂じゃ入試でも女子で一番の成績だったらしいよ? 首席は京介だったけどさー」

「そういや入学式でスピーチ読んでたの京介だったな」

「ああ……」


 そういやそんなこともあったな。

 そんな話はともかくとして、白雪希美という人物について多少わかったことがあるとするなら、読者モデルをやってるってことぐらいか。

 女子で成績トップがどうのこうのというのは尾鰭がついた噂の可能性もあるだろうから一旦脇に置いておくとしても、そんなやつと関わり合った記憶は欠片もない。


 そもそも、俺がその白雪希美を助けたどうこうって話はどこから出てきたんだ。確かに駅で誰かの定期を拾った記憶はあるが。


「そもそもその話はどこから出てきたんだ」


 まあいい。知らなければ、訊けばいい話だ。

 直球を投げつける形で、俺は三木谷に問いかける。


「話の出所か? 四組のやつが確かにお前が駅で白雪希美を助けてるとこを見たって言ってたんだけど」

「……駅で?」

「おっ、なんか覚えある感じ?」

「……ああ、確かに誰かが落とした定期入れを拾った記憶はある」

「そいつの特徴は?」


 三木谷が問い返す。ふむ、特徴か。

 その特徴が白雪希美と合致していれば、俺がそいつを助けたという噂話は真実なんだろう。

 それに、よく考えたら定期入れとセットになっていた学生証に書いてあった名字も「白雪」だったような気がする。


「……長い亜麻色の髪だった。そういえば学生証の名字も白雪、だったような気がしないでもない」

「マジか、ビンゴじゃん!?」


 そうなのか。なら、駅で泣いていたあの女子が白雪希美なんだろうか。

 失礼かもしれないが、良くも悪くも目立つことでやっかみを受けるであろう読者モデルをやれるほどメンタルが強いとは思えなかったが。

 首を捻ってふむ、と小さく唸った俺の態度がいまいち煮え切らなかったからか、三木谷は追加で更に問いをぶつけてくる。


「なんかイマイチな感じだな、京介? もうほぼ百パーでビンゴだと思うけど、他に特徴とかあったりしねーの?」

「……そうだな……髪飾りをしてた気がする。三日月型の」

「ああ、そっちか……」


 露骨に声のトーンが下がったな。

 三木谷はそう言って、残念そうに肩を竦めた。

 そっちもどっちも、俺は事情もなにも知らんから、ただ首を傾げる他にない。なにかまずいことでもあったのか?


「そっちは白雪祈里。白雪希美じゃねー方……まあ妹だな、双子の。通称、『白雪姉妹の姉じゃない方』だよ」

「ちょっとー、その言い方は失礼じゃないの、翔ー?」

「いやそりゃそうだけどさあ……あの京介がまさかって思ってたからこう……なんか姉じゃない方でガッカリっていうか……」

「だから失礼でしょうが!」

「痛ってえ!?」


 聞き役に徹していた藤堂から怒りの空手チョップを脳天に食らった三木谷は、悶絶しながらフローリングの床を転げ回る。

 自業自得だな。駅で助けた白雪が希美じゃなくて祈里とやら……まあ人違いだとわかったのはいいとしても、「姉じゃない方」って言い回しはどうにも喉に小骨が刺さったような違和感を抱かざるを得ない。

 白雪希美の名前が出たことで、俺の背中に集まっていた好奇の視線も、人違いだとわかったことでさあっと、潮が引くようにばらけていくのを感じる。現金なやつらだ。


 しかし、姉じゃない方、か。

 白雪希美とやらが読者モデルの有名人なのはいいとしても、まるでそのおまけみたいに扱われているようで、どうにも好きになれない……と、いうよりは。


「……嫌な言い回しだな」


 明確な嫌悪をぼそりと呟いて、俺は三木谷のアホが藤堂の手で教室から引き摺り出されていく様を一瞥して、自作の単語帳に視線を落とす。

 白雪祈里。駅で助けた、袖が擦り合う程度の縁しかない、知り合いとも呼べない存在だが、彼女もとんだ災難だな。

 駅で聞いた涙交じりの甘い声音を思い返しながら、俺は小さく溜息をつく。どこかで聞いたような泣き声が聞こえた気がしたのは、きっと朝の残響かなにかだろう。

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