第一話「日本語の通じない日本人達 その1」
「祭りキター((o(´∀`)o))」
「サナダ株大暴落してるぞ!どうすんだこれ!!!」
「ワイ、ジェネリック民、高みの見物」
「なお、サナダもジェネリック作ってる模様」
「もう何を信じて良いかわかりません、誰か助けて下さい!私の薬は大丈夫ですか?」
「↑こういう質問してる奴、自分が何飲んでるかも把握してないのヤバくね?」
ゲキヤクの登場でSNSは阿鼻叫喚の大騒ぎだった。
複数の大手動画投稿サイトで、程なくゲキヤクのアカウントと、TVで流れたのと同じ映像の投稿が発見され、TVの映像をキャプチャーしたものと相まって見る間に拡散。自体を重く見たサイト側の削除とユーザーによる転載がイタチごっこを開始した。
同時に「ゲキヤクの正体ガチ考察」「ゲキヤクを救いたい」「聞け!ゲキヤク!」「ゲキヤクと厚生労働省の闇」「ゲキヤクの標的にされない薬はこれだ!」といったタイトルの動画投稿が相次いだ。
これに拍車を掛けたのが、TVや新聞等のマスメディアだった。
サナダの幹部は即日記者会見を開き「現在のところ、ゲキヤクなる者から何の要求も受けていないが、如何なる要求を受けようとも、このような企業テロに、真田薬品工業が屈する事は無い、また、弊社の医薬品製造における安全管理は世界最高水準である」という旨を強く示した上で「元来、サナプロンはこの10年で、市場の90%以上が、同成分の口腔内崩壊錠、通称OD錠に移行しており、これを機会にカプセルの生産を終了、現在流通しているものも、全て回収する」との見解を打ち出した。
また、同じく槍玉にあがった厚生労働省は風間厚生労働大臣の会見で「真田薬品工業と協力し、事態の早期収束に務める。また、ジェネリック医薬品の使用については引き続き推奨するものだが、先発品の使用が必ずしも悪意あるものとは考えない。」とした。
この2つの会見とゲキヤクのテロ予告を連日ワイドショーで取り上げては、いたずら不安を煽るか、無責任に政府や企業の批判を叫ぶコメンテーターの発言もまた、毎日地上波放送の電波に乗り、SNSで大いに拡散された。
「ですから、あなたが飲んでいる薬は、ラベプラゾールであって、ランソプラゾールではありません、別のお薬です。は?名前が似てるから不安?似てるってことは、別物だと理解してるってことですよね?これは何のためのお電話ですか?」
さてそれでは、聞こえの良い言い方をすれば最前線、悪く言えば末端の医療現場である薬局はどうなったか。
「真田製品は危ないんじゃないか?」
「先発品は危ないのか?」
「ジェネリックは偽薬なのに、何故使わなければならないのか?」という、報道から言えば順当にやってきそうな質問から
「どの薬かも知らないし、具体的になんの症状もないが、とにかく私の薬がおかしい、毒が入っている」
「お前ら薬剤師に毒を盛られた」
という、質問というよりはただ理不尽に被害者意識をぶつけるだけのようなクレームまで、患者のリアクションは様々だ。
これに加え、TVや週刊誌で根拠なく医薬品の成分名が報道されるたび「自分は今その薬を飲んでいるのか?」「似た名前の薬だが違うものなのか?」という、問い合わせの電話が来るようになった。
「はぁ、お薬の効能書きをお渡ししているのに、それと同じ内容を何度も質問してくるし、そのクセ普段はロクに話も聞かないで薬を持って帰るようなあなたが、僕の態度が悪いから本社にクレームを入れるとおっしゃるんですね、どうぞご自由になさってください。僕の名前ですか?その効能書きの隅に、ハンコが突いてあるでしょう?領収書のも同じです。はい、それで「清川 締時(きよかわ しめとき)」と読みます。ええ「シメジ」ではありません。クレーム先の電話番号?それも僕の口から聞くんですか?あなたこそ人のことを何だと思ってるんです?」
適当にあしらっても、真摯に回答しても、大体10分は捕まるような電話が平均して日に5〜6件、多い時で10件ほど鳴る。1日の業務が累積1時間滞るとなれば、通常業務に支障が出るか出ないかギリギリのラインといったところだ。それ自体は小さなストレスだが、山積すると相応の負担になる。
シメジのいる中規模チェーンの調剤併設型ドラッグストアは、さして規模の大きい店舗ではない、それでこれなら、大手の旗艦店舗は大変なことになっているだろう。それこそ、通常業務に支障が出ているところがあるかもしれない。
該当の医薬品を飲んでいるのならまだしも、「自分は今何の薬を飲んでいるのか」から説明を求める人達は、普段何を考えて薬を飲んでいるのだろうか。そして、もらった書類に目もくれずに直接薬局に問い合わせてくることに何故、何のためらいも抱かないのだろうか。
シメジは苛立っていた。いや、彼に限らず、他の多くの薬剤師が同じ感情を持っていた。
薬剤師法25の2、長ったらしい文言は割愛するが、薬剤師は患者に対し、医薬品の使用に関する適切な情報を提供し、指導を行わなけれならない。
これは今回のようなテロによる社会問題の有無に寄らない、つまりに日常、医薬品の交付時に毎回行われているのだ。
また、医薬品、医療機器等の品質、有効性および安全性の確保等に関する法律、通称薬機法の第1条の6には、「国民は医薬品の有効性と安全性に関する知識と理解を深めるよう務めなければならない」と明記されている。
つまり薬局で薬剤師がする説明を、患者は聞き流してはならないのだ。
普段薬を受け取る時の説明を、自ら「時間の無駄だ」と邪険にし、しかして不安にさらされれば、さも初めて聞く内容のように当然に再三の説明を求める。
こんなに舐めた話があるか。
シメジが電話を切ってしばらく後、今度は弊社、中規模チェーンドラッグストアの本社からの電話が鳴った。
「はい。お疲れ様です。」
「お疲れ様です。先程、本社に苦情の電話が入りました。なんとかシメジという生意気な薬剤師が大変無礼だったとのことですが、経緯を説明して頂けますか。」
「シメジじゃねえってんだよ。」
シメジは先程の電話の内容を簡潔に説明した。
「あ、それ違いますね。なんか、処方箋の期限切れに対応してくれなかったから、抗がん剤が飲めなくて、訴えるみたいな話でしたよ?使用期限切れの薬を渡したんですか?」
「そんなわけないでしょ。それ完全に違法だし、そもそも患者に医薬品の使用期限を確認する方法なんてないですよ。」
シメジには、クレームの原因になる対応にいくつか心あたりがあった。クレームになりそうな相手は、この薬局において大抵シメジの担当だ。
「ご存知だとは思いますが、処方箋は発行日を含めて4日間を過ぎると、処方箋が有効でなくなり、ただの紙切れになります。」
「そうなんですか?」
調剤薬局を運営する立場にあって、こんな事も知らないという本社職員にも、シメジは苛立ちを隠さない。
「そうなんです。一昔前は薬局から問い合わせるだけで期限延長も出来たんですけどね、最近は厚生労働省から、処方箋の期限が切れたら発行元へ再受診を促すように指導されてるんです。」
「その説明は患者さんにはしたんですか?頭ごなしに無理だと言ったのではないですか?」
「無理の一点張りで追い返せるならそうしてますけどね、普通の人は有効期限の話をしたら帰っていきますよ。」
「対応はしないんですか?」
「具体的な罰則がないのであれば売り上げの為に法を犯せと?」
「そうではなく。」
ではどういう意味か、と言いかけたが、この時のシメジは深追いを避けた。
「それにしても、言い方というものがあるという話です。お客様も「態度が悪かった」とおっしゃってましたよ?」
クレーマーが相手に謝罪を要求する時、最もその結果を得やすい手法は「態度が悪かった」と言い張ることだ。実際に相手がどんな態度だろうと「主観的に自分が不愉快だったのだ」と言えば、否定される事は少ない。
「言い方が違えば納得したとでも?どれだけ「すいません」を重ねても粘られるだけです。電話を受けて頂いて分かる通り、僕は意に沿わないというだけで、敬語も崩さず相手を侮辱する様な言葉も使っていません。とすると、ルールを違反を毅然とお断りする態度自体が問題だという事になりますけど、それは本社の意向ですか?期限切れの処方箋を処理して、問題になった時誰が責任取るんですか?」
しかし、シメジにその手は通用しない。
電話口からは返す言葉が消えた。
質問の内容が患者個人の医療情報に紐づいているとはいえ、多くのドラッグストアでは、クレーム対応を現場に丸投げしている。
専門知識が必要である為、本社の人間では対応できない、というのが表向きの理由だが、早い話、数十店舗を抱えるチェーンドラッグストアの大規模なクレームの嵐を、本社のお客様相談窓口だけでは受け止めきれないのだ。なぜなら人件費削減のため、弊社はお客様相談窓口に、専門知識のある薬剤師を1人しか配置していない。
その上、ゲキヤクの「薬効」で問い合わせは倍増している。
そんな状況で、よりにもよってその一人の薬剤師ではなく、なんの専門知識もない一般社員が「現場の対応に非があるという答えありき」で電話をかけてくるその姿勢にこそ「現場に寄り添う」気概が足りない。シメジはその事に、患者に対するそれ以上に怒りを感じていた。
「とにかく、お客様に謝罪して下さい。」
「ついに「とにかく」ときたか、俺は一体何を謝ればいいんですか?大事な大事な抗がん剤の処方箋を期限が切れるまで放置して、どうしようもないのだからすぐに再受診すればいいものを、病院相手に体裁が悪く、医師に叱られるのが怖くて行けないから「お客様」扱いしてくれる薬局にどうにかさせようとする思惑に乗らずに断って申し訳ありませんとでも言いますか?「今後この様な事の無いようにいたします」と言いたくても、そもそも期限内に処方箋が持ち込まれないとコッチは何のアプローチもしようがないんですけどね?その結果薬が飲めなかったとして、こちらが謝罪すべき落ち度とは何ですか?」
シメジの中に患者を軽蔑する気持ちが無いといえば嘘になるが、それでも彼はこの患者が二度と同じ内容でクレームをしてくる事が無いよう、毅然とした態度を取ったに過ぎない。
「はぁ、もう結構です。何かあったらあなたが責任を取るんですね?」
「処方箋が期限内に持ち込まれなかった事も、再発行の為の再受診をしなかった事も、患者の自己責任の範疇だ」というシメジの再三の説明も、現場を知らず、法律を知らず、医療従事者ですらない本社の人間の目には、シメジの責任回避の言い訳としか映らない。
「ああもうそれでいいですよ。面倒臭い。」
責任を問えるものなら問うてみろ、という皮肉であるが、電話口の某はその言葉を聞きたかったと言わんばかりに、責任が自分にない事に言質を取った事に嬉々として畳みかける。
「さっきの方、何か人数連れてくから覚悟しとけみたいな事言ってたんで、大きなトラブルにならないように気を付けてください。」
不毛な会話を終わらせる為の手心を仇で返され、トラブルより従業員の心配をしろよ、と言うのも億劫になったので、シメジは黙って電話を切った。
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