三幕-①

 遠くからトビの鳴き声が聞こえ、山にこだまする。

(平和だねぇ)

 伊神は車にもたれかかりながら空を眺めていた。

「本当にいいんか?」

 後ろから尊と直治の会話が聞こえてくる。

「うん。当てもないし、じいちゃんや他の人を巻きこめないし」

「俺ももう少し若かったらな」

「日が暮れても戻らなかったら皆で探しに来てよ」

 申し訳なさそうな祖父に、尊は苦笑して言った。


 直治の話を聞き、八尺様について知ることができたものの根本的な解決にはならなかった。

 しかし、尊は道が開けたような気がしていた。

 八尺様が封印されたという祠を見つける。

 それしか考えられなかった。

 そのため、尊と伊神はその祠があるという山を登ることにしたのだった。


「とはいえ、登山用の装備なんか持ち合わせてねえぞ」

「大丈夫ですよ。子供でも登れるような山なんですから」

 スーツを脱ぎ車へ放り込む伊神に尊はそう言った。

 もはや記憶に無いが、直治ふくめこの辺りの子供は誰でも登ったことがあるような山だ。舗装されているわけではないが、緩やかな坂をただ登っていくだけと直治も言っていた。

「道を踏み外したりしない限り、危険は無いみたいですし」

 頂上には展望台のようなものもあるとのことだった。

「そりゃ結構。だが、それだと登る意味もねえんじゃねえのか?」

「……まぁ、そうなりますけど」

 簡単に登れる山に八尺様の祠がある。それが本当なら誰でもその祠を見つけられているはずだ。

 直治が言うには、幼少期の尊以外その祠を見つけたという人間は現れていない。

「とにかく、登ってみましょう」

 尊は歩き始め、その後ろに伊神が続く。


 約二時間後。

 2人は山頂にまで到達した。

 道中は直治が言った通り緩い坂道で、それほど苦労することはなかった。八尺様の祠を探しながらだったので、それがなければもっと速く登れていたことだろう。

「分かれ道らしいものも無かったし、ここまで一本道だったな」

 展望台の柵に体を預けながら伊神が言った。

「そう……ですね」

 心ここにあらずといった感じで尊は返事した。

 展望台から見下ろす景色は、絶景とはいえないものの長閑な風景そのもので登ったことを後悔させないものだった。

 ただ、そんなものを目的にしていない尊の心境は陰鬱であった。

(ここじゃないのか?)

 先ほど伊神が言ったように、ここまではほぼ一本道であり、祠どころか人工物など一切見かけなかった。

 道ではない、どこか斜面などにあるのだろうか?そう考えもしたが、であれば、かつての自分はどうやってそこに辿り着いたのか……。尊は堂々巡りの思考を繰り返していた。

 しかし、この辺りで登れる山などここくらいで、祖父の言葉からしても疑いようがない。

「伊神さんはここで待っていてください」

「はぁ?」

 尊の突然の言葉に、伊神は訳が分からないといった表情。

「一度降りて、もう一回ここまで登ってみます」

「好きなようにしたら良いけどよ、暗くなる前には俺もお前も下山するからな?」

 尊は頷くと、「じゃ、行ってこい」と伊神は手を振った。

 現在時刻は午後三時。再びここに戻って来る頃には日が暮れかける時間となる。どちらにせよ何度も行ったり来たりなどはできない。


 尊が伊神と別行動を取ったことに特に理由など無かった。

 単純に一人で考えたかったから。それだけである。

「……」

 来た道を戻るなか、尊は祠探しなどしていなかった。

(祠はここに来るまでに十分に注意して探した……)

 それでも見つからなかったのだから、今ここで偶然に見つけられる可能性は限りなく低い。

 だったら、別の視点から考えるべきだと結論付けたのだ。

(別の視点……)

 そう思い至ったとき、尊は昨夜のことを思い出していた。


 上運天 泉帆の自宅に強引に侵入し、洒落頭 ワコの配信が終了したあとも尊はしばらく泉帆の部屋にいた。

「八尺様って怪異についてはこっちも調べておく」

「ありがとうございます」

「いや、こっちは単純に趣味だから」

 泉帆はそっけなくそう言うと、ゲーミングチェアに背中を預けそのままクルクルと回り始めた。

「しっかし、問題は現地に行ってからかもね」

 尊の祖父を訪問することは既に決定した後で、泉帆はそのことを気にしているようであった。

「でも、手がかりはもうそれしか無いし」

「だから問題なんでしょ」

 泉帆は呆れたような声を出した。ゲーミングチェアは動きを止めていたが、尊には背を向けている。あえて泉帆がそうしたのかもしれないが。

「もし、そこに何も無かった場合、本当に詰みかもしれない」

 PCのモニターを見ながらそう言った。

「あんたのおじいちゃんが八尺様への明確な対抗手段、もしくは、祓い方を知っているのならベストだけど」

「……」

 言われて尊も考えてみるが、祖父にそのような知識があるようには思えなかった。そもそも、泉帆でさえ恐れるような存在を霊感の無い祖父がどうにかできるだろうか?

「もし、どうしようもなくなったら……」

 独り言のように泉帆は呟く。

「どうしようもなくなったら……?」

「自分でどうにかするしかないでしょ」

「俺が?」

 思わず高い声を上げ泉帆を見る。相変わらず、泉帆は尊に背を向けたままだった。

「あのおっさんが何とかしてくれるとでも?」

 何か言おうと思っても言葉が出なかった。

 元々は伊神にこの問題を解決してもらいに○県○市に来たはずだが……。

「……本当は、みんな見えていたはずなのに」

「え?」

「子供の頃に見えていたものが、どうして見えなくなると思う?」

「それは、霊がってこと?」

 泉帆は少しだけ体を尊の方へと向けた。

「それもだけど、もっといろんなもの」

 どうして?尊は自問してみる。

 なぜ?泉帆は突然こんな質問をする。

 しかし、よく聞く話ではある。子供ほど霊や神秘的な存在を感じやすいというのは。

「あんたのおじいさんが解決策を持っていなかったら、その力に頼るしかないよ」

 泉帆が言う"その力"とは、いわゆる霊感と呼ばれるものだろう。かつては尊も霊が見えていた人間だ。しかし、今はもう見えることはない……そのはずなのだが。

「そうすれば」

 泉帆は体をまっすぐ尊へと向けた。

「文字通り、世界が変わるから」


 あの時の泉帆の顔を尊は今でもはっきりと思い出せる。笑っていたのだ。八尺様への畏怖はあるものの、それを忘れてしまうくらいの何かを、あの時の泉帆は感じていたのだろう。

「幽霊が見えるようになれって言うのか……」

 気づけば山に入る最初の道にまで戻っていた。尊は少し休憩するため、近くにあった岩に腰かける。

「……」

 尊は、霊や霊感といったものは信じている。しかし、それは選ばれた人間にしか理解できないものだと思っている。

「……そういうことか」

 祖父の話によると、八尺様はとある僧に封印されたという。無論、その僧は相当な霊感・霊能力を有していたことだろう。

 であれば、常人には見えないものが見えていたはずだ。

 見える・見えないというのは何も霊に限った話ではない。

 もしも、常人にはがあるのだとしたら?

 そう考えれば誰も八尺様の祠を見つけられないことも説明できる。

 尊は幼い頃、霊が見えていた。その力で祠が存在する場所を見つけたのではないか?確信めいた仮定が、尊の頭に浮かぶ。

 尊は立ち上がると、再び山道を歩き始める。

(祠を見つけるには、俺自身が霊を見える……昔の様な状態にならなければならないんだ)


「本当は、みんな見えていたはずなのに」


 ふたたび泉帆の言葉が思い出される。

(俺が霊を見なくなったのは、成長したからじゃない。だ)

 おそらく、その影響のせいで八尺様は今なお尊に取り憑いている。

(だったら……もう一度お願いすれば)

 昔とは逆。「霊が見えるようにしてください」と八尺様に頼めば、祠の場所も分かるはず。

 願うべき八尺様は後ろにいる。なにより、泉帆が初めて尊を見た時「両目を隠している」とも言っていた。今になってようやく理解する。

 八尺様は、子供の頃の尊の願いを叶え続けているだけなのだ。

 この呪いにも近い契約を解除するためにも、尊はかつての力を取り戻し、祠を探し出さなければならない。確固たる意志をもって、尊は願った。

「八尺様おねがいします。俺を、もう一度、ようにしてください」

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