二幕-④

「八尺様は昔からこの土地に伝わる妖怪みたいなもんだ」

 尊の祖父・直治は、目を瞑り思い出すように語り始めた。

「俺が初めに八尺様のことを聞いたのは、今から何十年前か……まだまだ鼻水たらしていた時分の頃だな」

 直治は現在70を過ぎていたはずだから、およそ60年以上は昔のことだ……と、顔には出さなかったが、尊は驚いていた。

「別に俺らの時代に流行った怪談やそんなもんでなく、それ以上の昔っから、この土地に言い伝えられている……そう聞いたわ」

 それをどう表現すれば良いか分からなかったので、当時の祖父やその友人達は八尺様を妖怪か何かだと認識していたのだと言う。

「まあ、伝説っちゅうほどのもんじゃあ無いが、言い伝えがあってな」

「言い伝え?」

 尊は思わず身を乗り出した。

「今からどれくらい昔か分からんが、少なくとも百年以上むかしにこの地に八尺様が現れ、高名な坊さんに封印されたというものだ」

「はじめて聞いたよそんなの」

 八尺様については祖父から聞いた記憶はあったものの、そこに坊さんや封印などという言葉は無かったはずだった。

「おとぎ話みたいなもんだからなぁ……だから、まぁ、俺も子供の頃に友達と一緒に探したもんだ」

「探した……って何を?」

「言うたろ?高名な坊さんに、と。そこから八尺様が封印された祠か何かがある……当時はそんな噂があったんだわ」

 伊神は相変わらずの表情で話半分に聞いている様子。対して、尊の鼓動は速まり身体が緊張するのを感じた。

「まぁ、結局そんなもんはどこにも無かったんだがな」

 直治は笑いながら言うと、茶をすすった。

「それから俺らが大人になって爺になっても、やっぱり八尺様ってのは言い伝えられていった」

「そうなると、やはり八尺様っていうのはただの……迷信ってやつでは?」

 伊神がそう言った。

「俺もそう思っていた。十三年前までは」

 昔のことを思い出しているのか、直治は遠くを見るように目を細める。

「十三年前……俺が生きてきた中で初めて、八尺様が封印された場所を見つけた人間が現れた」

 直治が尊に視線を向ける。


「それがお前だ、尊」


 薄々気付いてはいた。夢の中に祖父の家が現れるのも、祖父から八尺様の話を聞いていたことを合わせて考えてみても。

 おそらく、自分は八尺様を見たか関係する場所に行ったのだろう、と。

「八尺様の言い伝えはいくつかあってな。そのほとんどが良くないものだが、一つだけそうとも言えないものがあった」

「それは……?」

 尊が思わず口を挟んだ。

「八尺様を見つけた者は、八尺様に願いを叶えてもらえる……そういう話だ」

 泉帆は尊を初めて見た時「神様よ」と口にした。願いを叶える……それだけを聞けば、確かに神のような存在ではある。

「あの頃のお前は特にふさぎ込んでいて、ここに来てもいつも家の中にいた。だもんで、昔話聞かせるような感覚で俺が八尺様の話をしてやったっけな」

 十三年前のことを尊は思い出そうとする。しかし、そんな小さな頃の記憶などロクに覚えていなかった。ただ、八尺様のことを祖父から聞いたことだけは覚えている。

「そうしたらお前は外に出ては、よく八尺様を探し始めた。最初は元気が出て良かった……くらいにしか考えとらんかったが」

 懐かしそうな表情をしていた直治の顔が一気に曇ったことが分かった。

「いきなり、八尺様みつけた!八尺様にお願いした!と、満面の笑みを浮かべて、そりゃあ嬉しそうに話してくる」

 子供の言う事だから、と。直治も本気にはしなかった。ただ、尊の喜びようが常軌を逸しているように見えて、どこか不気味に思ったとも語る。

「それが八尺様の容姿や声なんかについても話し始めたところで、マズイことになったかもしれんと思った」

 直治は尊に、八尺様という名称と「願い事を叶えてくれる」ということは教えていたが、どのような見た目なのかなどは伏せて話していたのだ。

「それでこの辺りで八尺様について知っている連中を全員集めて相談した。孫が八尺様に魅入られたかもしれん、と」

 訥々と語る祖父の話を聞きながら、尊は当時のことを思い出そうとしていた。が、自分がそのような発言をしていたことも、大人たちがどのように動いていたのかは全く覚えていなかった。

「そんなことは初めてだったんで、集まってみたは良いものの、誰も何も言えんかったがな」

 実害が出たわけでもなかったため、もう少し様子を見るのが良いという意見もあったと言う。

「ただなぁ……やっぱり不気味だったわけよ。俺らも小さいころから聞かされてきた話だからな。尊がいたずらで言っているという可能性を残していたとしても、みんな一笑に付すことができんかった」

 直治は、腕を組んで悩まし気な表情で虚空を見つめた。

「すると八尺様が出た時の対処法みたいなもんを近所の婆さんが知っているっつってな。婆さん自身も曖昧な記憶でしかないということだったが、俺からすれば藁にもすがる思いで話を聞いた」

 その婆さんいわく。

 八尺様に魅入られた人間が出たら四隅に盛り塩をした部屋に一晩隔離する。夜が明けるまでは誰もその部屋に入ってはいけないし声をかけてもならない。

 魅入られた人間も何があっても部屋の扉を開けない。

 夜が明けるとできるだけ人数の乗れる車に、魅入られた人間を囲むような形で乗り込む。

 その際も、魅入られた人間は目を閉じ下を向きけっして面を上げてはならない。

「あとは八尺様が来れる範囲外まで運べば良い……確か、そういう方法だった」

「範囲、外って?」

 尊も初めて聞く情報ばかりだが、その部分だけは特に気になった。直治は「うん」と頷く。

「八尺様はこの土地に、なんつうか……縛られているって話でな。自分からはこの辺りから一定の範囲までしか移動できんのよ」

 つまり、かつて直治たちが行ったことは、八尺様が憑いて来れないところまで尊を送り届けるというものだった。

「それで、八尺様は……?」

 尊がおそるおそる訊ねた。自らに起こった出来事だというのに一切の記憶が無い。

「どうもうこうも、お前がここにおるのが答えだ。車で無事に送り届けた後は、何もなかった。しばらくここに来るのは控えた方が良い、そんな忠告くらいしか出来なかったが」

 直治は一息つくように茶を飲んだ。

「……」

 尊は頭の中で考える。

 祖父の言うように、尊が八尺様に魅入られた時、この辺りの人は協力して八尺様から逃がしてくれたのだろう。

 事実、ここまで無事に生きてこれたのだから。

 しかし、では、何故今ごろになって八尺様の影響が表れ始めたのだろうか。夢自体は昔から見ていたが……。

「あれ以来、八尺様が出たとも見た奴が現れたとも聞いておらん」

 直治はそう締めくくると尊をまっすぐに見た。

「どうして今ごろになって気になる?」

「馬鹿げた話ではありますがね、祖父君。尊くんは、その八尺様に取り憑かれている……そう言うんですよ」

 黙っていた伊神が呆れたようにそう言った。

「本当か?」

 直治は驚愕の表情を浮かべて尊に訊ねた。

「分からない……でも、それしか考えられないんだ」

 夢のこと、「ぽ、ぽ、ぽ」という異音、周りで次々と人が死んでいること、尊はそれらのことを震えた声で説明していく。

「……あんたも、それで?」

 話を聞き終えた直治は伊神を見やった。

「ええ。私自身は八尺様といった存在や、それがこの事件に関与しているなどという話は、到底信じられませんがね」

 伊神は肩をすくめてそう言った。

「まあ、あんたの言う事はもっともだ。しかしな……」

 そこで言葉を区切ると、直治は悲しそうな目で伊神に言った。

「この世界には、言葉で説明できんことや科学で証明できんことが確かにある」

 祖父の言葉に尊は冷や汗をかく。

 その言葉は伊神には禁句といっていい。

 対する伊神は、真剣な眼差しを向けてこう返した。

「……死んだ人間にも、同じことが言えますかい?」

 直治は黙って俯くと首を振った。

 それは、単純に否定を意味するものではなかった。

 直治の表情や雰囲気からは、どこか、諦めのようなものが漂っていた。

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