二幕-③

 翌日。

「まぁ、良かったんじゃねえの?解決しそうで」

 車を運転する伊神が他人事のように言った。

「それは……分からないですけど、本当に大丈夫なんですか?」

「お前のじいさんなんだろ?何が問題なんだよ」

「……そっちじゃなくて、伊神さん昨日まで入院してましたよね?体は大丈夫なんですかって話なんですが」

 尊は不安と呆れが入り混じった目で伊神を見る。伊神本人に交通事故に遭った外傷や悲壮感は一切ない。

「大丈夫もなにも、こっちは少しの打撲だけだったんだ。入院すること自体大げさなんだよ」

 伊神は視線を前にしたまま、本当に何でもないように言った。

(嘘ではないんだろうけど……)

 伊神の事故はただの交通事故ではない。おそらくは八尺様が関係している。それは、これまでの拓也たちの件と全く同一線上のもののはずだ……尊はそう考えてていた。

 なのに伊神が無事なのは、昨夜の泉帆の言葉どおり「霊的な現象を一切受け付けない」からだろう。

 しかし、それは逆に考えれば、ことに変わりはない。

「伊神さんの車に衝突した車の運転手は、何か言っていましたか?」

「ああ~、俺も事故直後に運転席まで行って確認したが、意識朦朧って感じだった。具合が悪いとかそんなレベルじゃないくらいにな」

 その後も警察関係者から話を聞いたのだろう。運転手は「何も覚えていない」としか発言しないらしい。

「……」

 昨夜、泉帆の部屋で八尺様についての情報を整理していたとき、彼女はこう推測していた。


「八尺様はあのオッサンを殺そうとした……だけど、自分の力が通用しなかったから他人を操り、交通事故という物理的な手段を取った」


 他人を操るほどの力――八尺様がどれだけの怪異かは分からないが、それくらいのことは容易に出来そうな気がした。

 拓也のようにいきなり殺されることはない。その点は伊神を頼もしく思った……が。

(八尺様は伊神さんをまだ殺そうとしているかもしれない……)

 それは尊自身にも言えることで、そんな2人が今車に乗っているのである。いつどこから車がぶつかってくるかと考えると、尊は気が気でなかった。

「お前のじいちゃんちってあとどれくらいだ?」

「あと、2時間くらいです」

 尊はスマホで地図を開き確認する。

 2人はいま尊の父方の祖父の家に向かっていた。〇県〇市からだと車で3時間弱のところで、昨夜の間に急遽決定した。

 伊神の車は事故のせいで使い物にならなくなったため、レンタカーを借りている。

「なんだったっけ?その……ナントカ様?」

「八尺様です」

「その八尺様とお前のじいちゃんちが本当に関係あるのか?」

「じいちゃんというか……まだ詳しくは……」

 伊神は「そうか」とだけ言うと、しばらく運転に集中する。

 その間、尊は昨夜のことを思い出していた。


「あんた……何か知っているの?」

 泉帆は、尊の様子を見て訝しげにそう訊ねた。

「……八尺様は、多分……昔、聞いたことがあるんです」

 まだ曖昧なその記憶をけっしてこぼさないように、尊は慎重に過去の糸を手繰っていく。

「まだガキの頃、じいちゃんの家に遊びに行ったとき……」

 思えば、悪夢はいつも祖父の家を映していた。なぜ今までそれを疑問に思わなかったのか。そこまで来ると、記憶の一部が鮮明によみがえってきた。

「そうだ……!確かじいちゃんに教えてもらったんだ、八尺様のこと」

「それ本当?」

 泉帆も驚いたように身を乗り出してくる。

「いつ?どこで?なんで?」

「なんで……?」

 祖父から八尺様について聞いたのは確かだ。しかし、なぜそんなことを教えられたのだろうか?そこまではまだ尊も思い出せなかった。

「……まあ、いいわ」

 泉帆は足と腕を組み、尊を真っ直ぐに捉えて言った。

「明日そこに行ってくればいいじゃん」

「え?」

「最大の手がかりじゃない。ネットなんかで情報探すよりも、あんたのおじいちゃんに直接聞いたほうが良いに決まってるし。で?おじいちゃんはまだ存命?」

「ええ……」

 齢70を過ぎた今もまだまだ元気いっぱいの祖父の顔を思い出す。確か最後に会ったのは去年末だったな、そういったことが尊の頭を過る。

「じゃあ、明日会いに行って八尺様のこと聞いてきなよ」

 泉帆は何でもないようにそう提案した。

 八尺様を知っているのであれば、祖父に会って詳しく聞くのは筋が通っているが、どうにも尊は即答できずにいた。

「もうフラグでしょ。子供の頃におじいちゃんに聞いた怪異が取り憑いたんだったら、その解決策もおじいちゃんが知ってるに決まってる」


 結局は泉帆に押し切られる形で今に至る。まさか、伊神が同行してくれるとは思わなかったが。

「伊神さんは、上運天さんに言われて?」

 特に話すこともなかったので、ふと気になったことを尊は訊ねた。

「そう。あいつ、俺が入院してること知ってたくせに明日お前に付いて行け、って電話でうるさくて」

 伊神はうんざりしたような顔であったが、泉帆の自宅の鍵を渡した反面、断れなかったのだろう。

 時折そのような会話と沈黙を挟みながら、尊と伊神は目的地に到着した。

「しかし……ガチの田舎じゃねえか」

 車を降りた伊神は周囲の風景を見てそう言った。

 尊の祖父の家は山の中にあり、途中からは道とも言えない道を登り進んだ。久しぶりに訪れたこともあって、尊もレンタカーが滑り落ちないか心配したくらいだった。

「おお、尊!ほんまに来たんか」

 しわがれているが、張りのある大きな声が響いた。尊の祖父、直治が農作業姿のまま二人を出迎えた。

「じいちゃん」

 前日に電話で伝えた時も、だいぶ驚いた様子であった。ただ、実際に孫を前にした祖父は嬉しさの方が強いようで、満面の笑みを浮かべていた。

 尊も来るまでは緊張していたが、歓迎されているのが分かるとホッとした。同時に全身から力が抜けてしまう。それほど、家族の顔は安心するものなのだなと実感する。

「おう、疲れたろ?早くウチ入れ。そっちのあんたも」

 直治は後ろに控えていた伊神にも声を掛け手招きをする。

 伊神はというと、ぺこりと軽くお辞儀をすると二人の方へ歩いてきた。それを見ていた尊は、妙な違和感を覚えた。

 一瞬だけ伊神の視線が真剣なものに変わった……ように見えたのだ。おそらく、自分か祖父に視線を送っていたとき。

「おら、行くんだろ?」

 そんな尊の背中を叩き、伊神は先を歩き出した。


「いきなりこっちに来ると聞いた時は驚いたが……本当に来るとはな」

 家に上がると、直治は2人を居間に座らせお茶の準備をし始めた。

「お構いなく」

 伊神がそう声を上げる横で、尊は久しぶりの祖父の家を眺める。

(変わってないな……じいちゃんも、この家も)

 最後にここに来たのはいつだったか。そんなことを考えていると、直治が人数分の湯呑を盆に載せ居間へ入ってきた。

「それで?今日は何の用で来たんだ?そちらは?」

 直治が伊神に目をやる。

「挨拶が遅れました、私、探偵をやっています伊神と申します」

 営業スマイルを浮かべながら、伊神は名刺を直治に渡した。

「探偵?」

 名刺から今度は尊に顔を向けた。

 いきなり孫が探偵を連れてやって来たとなれば不審に思うのは無理もない。

「ええ、実は尊くんから依頼がありまして……」

 伊神はどこか芝居がかった表情と声で言った。尊は自分からここに来た経緯を話そうとするも、伊神に手で制された。

 すると、そのまま伊神は直治に話し始める。

 相変わらずの表情と口調ではあるが、さすがに元刑事だけあって要点のみをまとめた説明は信憑性と説得力があった。自分が話していたらもっと長く冗長なものになったろうと尊は感心する。

 ただ、ここに来た一番の目的である八尺様に関するところだけは話しづらそうであった。伊神としては未だに霊などの存在を信じているわけではなく、今回の件も八尺様が関係しているとも思っていない。

 無論、自分が事故に遭ったこともただの偶然くらいにしか考えていないだろう。

「じいちゃん、八尺様って知ってるだろ?」

 横入りしてきた尊に、伊神は不満そうに鋭い視線を向けた。一瞬ひるむが、伊神に任せていては永遠にそちらに話が行かないと思い、強引に話題を本筋に乗せることにした。

「八尺様……」

 そう呟くと、直治は目を細めて尊を見つめた。

「これはまた、懐かしい名前が出てきたな」

 直接の尊への答えにはなっていなかったものの、「懐かしい」というからには八尺様について何かを知っていると言っていることと同じだった。尊は前のめりになって訊ねた。

「昔、俺に教えてくれたよな?八尺様ってどんなのだったっけ?」

 直治は、尊の様子がおかしくなったことに気付いたようだったが、そこに触れることはなく後を続けた。

「八尺様ってのは、この地域に昔から伝わる妖怪みたいなもんだ」

「妖怪……」

 伊神が眉をひそめた。

「まぁ、厳密にはちょっと違うがな」

 直治は笑いながら湯呑の茶を飲むと、そこから八尺様について二人に語り始めるのだった。

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