二幕-①

 〇県〇市。

 伊神や泉帆が住んでいるこの場所を、尊は知らなかった。

 それは尊に限らず、ほとんどの人間に対して言えることと、泉帆は言う。

「一言でいえば、〇県〇市は怪異のひとつ……私はそう考えている」

「怪異?……ってことですか?」

「いや、多分もっと

 腕組みをして泉帆は眉間にしわを寄せる。

 場所・地域の怪異といったものは聞いたことがあるし、〇県〇市もその類かと思ったが、泉帆の態度を見る限り別種のものらしい。

「その一番の理由は、この場所の存在をほとんどの人間が知れないってところ」

「配信のコメントとかも何を言っているのか聞き取れないといったものがほとんどだった……」

「それだけじゃなく、私が例えばネットに〇県〇市の情報を書き込んだとしても、〇県〇市まるけんまるし

 それを聞いて尊は大きく身を乗り出した。

「ちょっと待ってください!だったら、俺が〇県〇市と言っても、他人からは『まるけんまるし』としか聞こえないってことですか?」

「そ」

 思わず頭を抱えてしまった。

(だから、拓也の様子がおかしかったのか……)

 自分がどれだけ必死に〇県〇市のことを話しても、拓也には「まるけんまるし」という訳の分からない言葉にしか聞こえなかったということだ。死ぬかどうかの瀬戸際の時に友人がそんなことを言い出したら、取り乱すのも無理はないだろう。

「でも、〇県〇市に認められるか気に入られたら入ることができるし、一切の情報が解禁される」

 尊はその状態だからワコの言葉が理解でき、ここに辿り着くことが出来たのだろう。

 そして、泉帆は続けてこうも言った。

「だから、この地から必要ないと判断されればここにはいられなくなる」

 許されているからこそ出入りが出来るだけで、許可が無ければ入れなくなる。その上、この地の記憶も一切消えるか書き換えられるのだという。

「それって……なんか……説明しづらいですけど、凄くないですか?」

「当たり前でしょ。私は〇県〇市を日本の都市伝説と怪異発祥の地であり、日本最大の怪異だと思ってる」

 四十八番目の都道府県――泉帆はそうも付け加えた。

「話は戻るけど、ここで伊神という男の特異性が光ってくるわけ」

 泉帆の顔にもう恐怖は無く、嬉々としてオカルト話を語るオタクのそれになっていた。

「伊神さんが?」

「言ったでしょう?あのオッサンはあらゆる霊的な現象を受け付けない。つまり」

「〇県〇市は……?」

 泉帆の言う通り、伊神がそのような特別な体質だとすれば一つの答えが導き出せる。

 〇県〇市は、霊的な存在ではない。

 ネットで語られる怪談などには、場所や地域に関する話はいくつもある。しかし、そのどれもが体験者の夢や幻覚、もしくは異世界のような存在であることがほとんどだ。

 そういったものはおそらく伊神には効かないのだろう。伊神本人はそこに行けなければ見ることも出来ないことになる。

 しかし、伊神は現に〇県〇市にいる。探偵事務所を構えるほど、この地に定着している。

 つまり、〇県〇市は日本のどこかにちゃんと存在している。そう、逆説的に導き出せるのだ。

「伊神 京介は〇県〇市に認められた。それには何か理由があるはず」

 泉帆の話は全て仮説の域を出ないものだったが、彼女自身は確信している様子だった。

 尊は伊神のことを知れたが、同時に上運天 泉帆のこともある程度理解できたように思った。

 何のことはない。泉帆は生粋のオカルトマニアの少女だ。霊という存在から一定の距離感を保っているものの、不思議なことや理解できない超常現象への好奇心は人一倍の。

 自らの目でそれらを解明、もしくは観察していたいだけなのだ。ただし、自らの身に危険が及ばない範囲で、だが。


「さて、今度は後ろの女についてだけど」

 相変わらず、女を直視することなく泉帆は話題を変えた。

「その女は〇県〇市の怪異ではないってことは分かる。あんたに憑いて来てるだけだから」

「はぁ」

「ただ、どっちが〇県〇市に選ばれたかは分からない」

 尊本人か、それか後ろの女か、もしくは両方で認められたからこそ〇県〇市に入ることが出来た……泉帆はそう話した。

「えと、それが何か関係あるんですか?」

 〇県〇市に入ることが出来たからといって、その原因を探ることが事態の解決に繋がるとは思えなかった。

「あるわよ。そいつが入ったせいで〇県〇市に異常が起こるかもしれないんだから」

 泉帆は、尊を見ながらその後ろを指した。

「さっきも言ったけど、それはかなり高位な存在なわけ。そんじょそこらの低級霊とはわけが違う」

 つまり、と泉帆は人差し指を立て、続けてこう言った。「必ず理由があってお前に憑いてきてると言える」

 そう言われて、尊は困った表情を浮かべた。

「でも、そんな理由……」

 あるとすれば最近行った心霊スポットだが、それ以前から女は夢の中に現れていた。

「だから、まずはその理由を探る」

「え?」

「その女についても調べていく」

「え、ちょっと……それって」

「なに?」

「それって、協力してくれるってことですか?」

 泉帆は不本意そうな表情で息を吐いた。

「あんたはその女をどうにかしたい、私は〇県〇市のイレギュラーを取り除きたい……利害の一致ってやつね」

 尊の体から一気に力が抜ける。「よかった……」と思わず声が漏れた。

「よかった……じゃないわよ、不法侵入までしといて。言っとくけど大変なのはここからだからね?」

 泉帆は呆れたようにそう言い、弛緩しきった尊に釘を刺した。

 尊もそれでハッとする。泉帆は後ろの女を祓うことは出来ないと言っていた。ここまでの様子を見る限り、それは嘘ではない。

 では、どうするのか?

「まずはを知る。話はそこから」

「知るったって……」

 知ってどうするのか。祓えもしないのに。

「怪異のルールは出来るだけ正確に把握しとかなきゃいけない。あんたも映画のリングくらいは観たことあるでしょ?」

「それは、もちろん」

 有名な映画だから挙げたのかもしれないが、尊にとっては未だに一番好きなホラー映画であった。

「主人公たちは貞子の呪いを解くために奔走し、最終的には貞子が落ちた井戸を見つけ、本人の遺体を供養する……」

 それで呪いは解け、主人公たちは日常に戻る……はずだった。

「結局、呪いは解けておらずバッドエンド」

 実際には主人公だけは呪いが解けていた。泉帆が言いたいのは、そこだろう。

(そうだった……俺自身、拓也に言っていたことなのに)

 焦って間違えた行動を取るのはいけない。たとえ、刻限があるものだとしても。

「でも、まぁ……あんたの後ろのは文字通り次元が違うから、そもそもルールなんて無いただの気まぐれかもだけど」

「……本当にそんな存在だと理解できたなら、もう諦めますよ」

 人類が自然災害に抗えないのと一緒だ。その時はもう身を任せるしかない、と尊は思った。


「で、どうするんですか?」

 泉帆は怪異のルールなどと言っていたが、そもそもそのようなルールをどうやって一から探るのか。

「まずは、現在わかっている情報を整理する」

 泉帆はそう言うと、近くに転がっていたタブレットを持ち、何かを書き始めた。


・大きい女

・憑いた人間の目を隠している

・ぽ、という音を発している?

・人間を瞬時に殺せるほどの力を有している


「とりあえずこんな感じか」

 ぽ、という音が聞こえるというのは、おそらく事前に伊神から聞いていた情報だろう。

「……こんな特徴を持った怪異は聞いたことがない」

 泉帆は興味深そうに、あごに手を当てて思案している様子だった。もともとオカルト関係に詳しい泉帆がそう言うのだろうから、ネットで検索しても簡単に調べられるとは思えない。

「他になにか情報はある?どんな些細な事でも良いけど」

「急に言われても……」

 泉帆はタブレットを置くと、「まあ、何か思い出したら言って」と告げ、何やら準備をし始めた。

「何かするんですか?」

「洒落頭ワコの力を使うんだよ」

 泉帆はにやりと笑みを浮かべて言った。

「今から……そうだな、21時くらいにするか」

 それだけ言われても訳が分からず、尊は「?」を浮かべて呆けているしかなかった。

「時間になったらワコの雑談生配信って枠で、怪異の正体を突き止める。うちのチャンネルに登録して生配信にまで来るリスナーなんて、相当なオカルトマニアだからね。絶対なんか分かるよ」

 泉帆は配信開始の用意をするため、別室に消えていった。

 一人だけ残された広いリビングで、尊は後ろの女について何か思い出せることがないか頭をひねることとした。

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