一幕ー⑩

「どういうことですか……?」

 泉帆の言葉に、尊は驚きを隠せないでいた。

「言葉の、通りよ。あんたの後ろには、でかい女がいて、そいつが、あんたの目を両手で塞いでる……!」

 ここで尊は泉帆がだと確信した。「でかい女」とは、悪夢に出てくるあの女で間違いないだろう。

 ならば、やはり全ての元凶はあの悪夢にあるのか……。

「その女は、多分、俺がよく見る夢に出てくる女だと思います……これは一体なんなんですか?悪霊や怨霊みたいなものですか?」

 それまでは恐怖でまともに会話できなかった泉帆だが、自分がすぐさま被害を受けることが無さそうだと感じたのか、尊の質問にもいくらか答えを返してくれるようになった。

「違う」

「え?」

 泉帆はきっぱりとそう言ったが、その次の言葉に詰まっているようだった。

「……見ちゃいけないもの」

「見ちゃ、いけないもの?」



 泉帆はそう呟いた。自分自身の言葉でありながら、それが信じられないといった様子だ。

 尊もそれは同じで、全く予想していなかった答えに思考が停止してしまった。

「神様って……どういうことですか?」

「言葉通りの意味……見てはいけないもの。それがあんたの後ろにいる。だからもう良いでしょ。早くここから……いなくなってよ」

 泉帆はもう尊を見ておらず、カーテンで自分の視界を覆ってしまっている。

「それは出来ないです……もう、あなた以外に頼れる人がいない。この存在が分かる人も、これが神様だって言った人も、今まで誰もいなかったんですから」

 尊は、これまでに会った霊能力者を思い出していた。彼らは皆、良い人たちではあったが、尊の言葉を信じてはいない――どこかそんな様子があった。

「じゃあ、もう警察呼ぶから……」

 泉帆は小さくそう言い、近くにあったスマホに手を伸ばす。それを止める権利は、もちろん尊には無い。

「まだです!この女の正体を……一緒に探ってください」

 正座した状態で尊は言った。

 泉帆はというと、スマホから尊へと視線を変えて鋭く言った。

「いい加減にして!自分が何を言っているか分かってるの!?」

「分かってます」

「分かってないでしょ!」

 先ほどまで泉帆にあった恐怖や怯えは一瞬消え、無常識で無礼な侵入者への怒りを滲ませていた。

「じゃあ……どうしてこの部屋にいたんですか?」

「なに?」

「俺がここに近づいていることをあなたは感じていたはずです。なのに、何でこの部屋から出たり、始めから警察を呼んだりしていなかったんですか」

「……」

「俺もオカルト好きだし、洒落頭ワコの動画や配信は観ていたから分かるんです。あなただって、この存在について?」

 だからこそ、心霊スポット配信で間接的に尊をし、警察を呼ばずこの部屋に残った。

 恐怖は本物でも、好奇心には勝てなかったのだ。尊はそう考えた。

「伊神さんも言っていました。あなたは逃げたくても逃げられない……って」

「はぁ?」

 途端に泉帆の声が不機嫌で威圧的なものに変わった。

「なに?あのオッサン、そんなこと言ってたの?」

「え、ええ」

 はぁ~~と大きく長い溜息を吐くと、泉帆は打って変わった表情で尊を下からねめつけた。

「どうやってオートロック入った?」

「あ……伊神さんから」

 そう答えると、尊はカードキーを掲げて見せた。

「どいつもこいつも……」

 すっと立ち上がると、泉帆はふらふらとした足取りで冷蔵庫へと向かった。カーテンで隠れていていて分からなかったが、よれよれの白いTシャツと黒の短パンという格好をしていた。髪は綺麗な黒のショートだが、今はセットがやや乱れている。

「はい」

 そう言って、泉帆は尊にミネラルウォーターを投げ渡した。

「えっあ、すいません」

 泉帆は既にキャップを開け、ごくごくと喉を鳴らしていた。喉が渇いていたというよりは、自らを落ち着けるために飲んでいるようだ。

「あの……上運天さん?」

 泉帆は目線だけを尊に向けた(正しくは尊の顔より下に)。恐怖心は消えたようだが、怒りは消えていないことが容易に分かる目だった。

「もう怖くないんですか?俺の後ろの、存在」

「怖いよ。ただ、こっちから何もしなければ無害なタイプっぽいから」

「そうなんですか?」

「だから知らないって。私らが理解できる存在じゃないのそれは」

 わずかに視線を逸らし、泉帆はペットボトルを持ったまま尊の背後を指さす。

「相変わらず私はあんたには近づかないし、後ろのそれを直視もしない。でも、さっきあんたが言ったように、それの正体には興味がある……」

 泉帆は恥ずかしそうに言うと、冷蔵庫を閉じて近くの椅子に座った。

「でも、それ以上にあのオッサンに今はむかついてる」

「伊神さんですか……」

「お前にもだけどな?」

「……」

 尊は何も言えず、数秒、室内が無音となる。

「あんた、あのオッサンのこと何か聞いた?」

「探偵ってことくらいしか分かっていないですけど」

 それも泉帆――ワコからの情報が無ければ知ることさえなかった。そういえば、何故ワコは伊神の探偵事務所を紹介などしていたのだろうと、尊はふと疑問に思った。

「こっちだけ勝手に言われるのも腹立つから教えるけど、あいつ、元刑事なんだよ」

「ええ?」

 泉帆は意地悪そうな表情で言った。思いもかけない言葉に、尊も気の抜けた声を発する。

って知ってる?」

「……知ってるも何も、オカルト好きで知らない人はいないでしょう」

 特に未解決事件・都市伝説界隈で有名な事件の名前であるが、それを抜きにしても一度は聞いたことがあるという人がほとんどだろう。

 今から六年前、牛首病院の入院患者と病院関係者が立て続けに死亡したことが事件の発端だったという。

 その後、警察が捜査を開始するも、捜査に参加していた警官一名が死亡、その後は同時に二名が死亡した。

 その死の連鎖は止まらず、結果、警察と病院関係者と入院患者のべ三十三人が犠牲になった。

 それだけでも大事件だが、その後の警察の発表は多くの人を驚愕させた。

……警察が公に幽霊の存在を認めたうえに、事件をそれで解決扱い。リアルタイムで見てたけど、あれはテンション上がったなー」

 はじめて泉帆は尊の前で嬉しそうな表情を浮かべていた。

 無論、当時の警察の発表に納得がいかない者は数多く、連日ニュースでも報道された。それでも発表は覆らず、今に至る。

「でも、あの事件に関わった警察関係者には唯一、生き残りがいた」

「事件の捜査に参加していた人は全員死んだ……そう言われていますけど」

 今なおこの事件の考察は繰り広げられているが、そんな情報を尊は見たことも聞いたこともなかった。

「それがあの伊神ってオッサン」

 伊神の名前が耳に入った瞬間、尊は驚くと同時に納得もしていた。交通事故に遭っても冷静に現場を処理していた姿は、確かに元刑事と言われても違和感はない。

「どうして伊神さんだけ助かって、探偵なんて……」

「気付いているか分からないけど、あのオッサンは

 泉帆の表情は楽しそうだったが、尊はまだ言葉の意味を理解できないでいた。それを見た泉帆は人差し指を立てて説明しはじめる。

「つまり、呪いの類や悪霊・怨霊・祟り、ってこと」

「……まだよく分かってないけど、だからあの事件で生き残った?」

 泉帆は「そう」と首を縦に小さく振った。

「オッサンの同僚や部下が何人も死んだにも関わらず、警察って組織は幽霊っていう目に見えない不確実なものを犯人と認めた――それに納得がいかなくて警察を辞めて、今は廃業間近の探偵なんてやってるってわけ」

 尊はそれを聞いて、初めて伊神という男が理解できた思いだった。心霊を専門にしているのも、亡くなった仲間へのせめてもの償いだろうか。

「でも、それが報われることは絶対に無い」

 泉帆はきっぱりとそう言った。有無を言わせない言い方は、本物の霊能力者ならではと尊は感じた。

「あの事件の原因が本当に霊だとしたら、あのオッサンは絶対に事件を解決できない。滑稽でしょう?霊に干渉されないから生き残れたのに、それが故に職も人生も棒に振るんだから」

 歪んだ笑みを浮かべて泉帆は言うと、「囚われているのはあっちの方よ」と呟くのだった。

 泉帆の言っていることは理解できたが、そうだとすると分からない点も出てくる。

「じゃあ、どうして動画とかでいつも伊神さんの探偵事務所を紹介していたんですか?」

 動画だとほとんどの人間が聞き取れなかった〇県〇市の情報。泉帆はいつも〇県〇市と伊神探偵事務所はセットで口にしていたはずだ。

「そんなの決まってるじゃない」

 泉帆は面白くて仕方ないといった表情。

「マジでヤバいのが来た時の緩衝材だからよ、あのオッサンは」

「緩衝材?」

「あのね?小さい頃から霊感なんて持っている人間は、自然と自身を霊から守る術を身に付けるの」

 それは尊も耳にしたことがある。「霊とは目を合わせてはいけない」などもそれと同様のことだろう。

「私の場合は、霊から全く干渉されない人間を間に挟むことで安全を確保している……それだけ」

 尊は、ここでようやく合点がいった。ワコが動画や配信で紹介する心霊写真は全て無害な物(または作り物)だ。その判断を伊神にさせていたのは、「伊神が目に見える心霊写真であれば偽物」で「伊神が見えなければ本物」といった感じで判断していたのだ。

 話が本当なら、伊神は霊を見ることも出来ないからだ。

「分かるでしょう?私だってあんなオッサンと好き好んでVtuberなんてやらないわよ。でも、 なわけ」

「特別?伊神さんが?」

 経歴だけを見れば確かに特殊だ。オカルト好きであれば色々と聞きたい人物でもある。

 しかし、泉帆の言葉と表情はそれ以上の興味を伊神に抱いているようだった。

 不思議そうな尊の顔を見て、泉帆は驚きの声を上げる。

「まさか、あんたここがどういう場所か分かっていないの?」

「どういう……って〇県〇市でしょう」

 確かに聞いたこともない土地だったが、日本では珍しくない街並みだし、電車で来れたこともあり尊の〇県〇市への疑問は薄らいでいた。

「なら、知っておきなさい。あんたも、その後ろの女も無関係じゃなくなるから」

 泉帆は相変わらず楽しそうな顔をしていたが、今までは見せなかった凄みが表れていた。

 この部屋に上がり込んできた無礼者を、否が応でも巻き込んでやる。

 そんな、邪悪とも純粋なる好奇心ともとれるオーラが見えるようだった。

「それじゃあ始めましょう、楽しい楽しいオカ話を」

 目を細め、本当に楽しそうに、泉帆は微笑み頭を少し傾けた。さらりとした黒髪が揺れ、泉帆の目元を隠す。

 それを見た時、尊はゾッとした。

 これから、さらなる深淵に引きずり込まれる。それが何かは分からなかったが、尊にはもうどうすることもできなかった。

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