一幕-⑨
〇県〇市にとんぼ返りした尊は、まずは伊神の場所を探さなければならなかった。
拓也の死から2時間は経過していた。急いで来たつもりだったが、時刻は夕方ちかく。沈んでいく太陽が、余計に尊を焦らせる。
真っ先に伊神のスマホに電話してみたが、電源が入っていないようで、それをアナウンスする音声だけが流れた。それでも、駅に到着するまで何回も試してみる。
そのまま〇県〇市に着き、事務所へ行ってみる。外から事務所の窓を見ても明かりは点いていなかった。
一応事務所まで上がりノックをしてみても返事は無い。ドアノブを回すと普通に開いた。
誰もいない。
わずか数時間前に交通事故に遭ったのだから、事務所にいないことは何となく想像はしていた。尊の体から途端に力が抜ける。
なんとかドアノブを掴み、その場に踏ん張った。
ここでへたり込むと二度と立ち上がれない気がしたのだ。そもそも、そんなことをしている時間も無い。
そこで尊はふと気づいた。伊神は事故に遭い、ケガをしているのだからまずは病院を探してみるべきでは?
一筋の希望が見えた気がして、尊はすぐにこの辺りの病院を検索し、そのまま電話で伊神という男が入院していないかも訊ねる。
何件か訊きまわることになると思っていたが、一件目でヒットした。身内でなくともすんなりと教えてくれた。
ここから最も近い病院で、走って行けば10分もかからないだろう。面会時間は19時までとも言っていたので、残り一時間を切っている。
「なんだ、お前か」
何とか面会時間内に病院へとたどり着き、受付で要件を伝えると階数と部屋番号を教えられた。すぐにそこに向かうと、ベッドの上で伊神が呑気そうな顔で横になっていた。
「俺は全く問題ないんだけどな、一応、検査入院しろって――」
「伊神さん!」
病院だということも忘れて、尊は音を立てて伊神のベッドへと近づいた。
「うるせーな……!ここ、病室だぞ」
静かな声で慌てたように諫めるが、今の尊にそんなものは通用しなかった。パタパタとスリッパの音を鳴らし、伊神の横へと急ぐ。
「伊神さん、お願いします……ワコの居場所を教えてください!頼みます!」
間髪入れずにそう言うと、尊は深く頭を下げた。土下座をしろと言うのなら躊躇いなくするつもりでもいた。もはや、手段を選んでいる余裕はない。何としてもワコがどこにいるかを伊神から聞き出さないといけないのだ。
「……なんか、あったのか?」
そのただならぬ雰囲気を察し、伊神は幾分真剣な表情で尊に訊ねた。
「……あの後、友達と会ったんですけど、そいつ、俺の目の前で……」
数秒も見ていられなかった変わり果てたかつての友の姿。それがありありと尊の脳裏に描き出された。こびり付いた油汚れのように、その記憶は落ちそうにない。
「次は俺の番なんです……もうどうして良いか自分では分からないんです」
だから、お願いですから。目だけでそれを訴えかける。
「三道」
そう短く発せられた伊神の声は、これまで聞いたどれよりも落ち着いており、真剣だった。
「お前が何を見たのかは知らない。けどな、それでも俺は霊とかそんな超常的な存在を信じることはない」
「……」
伊神の言葉に何も怒りなど覚えることはなかった。この状況に至ってなお、そのように言えることが羨ましいほどだ。
「死んだ人間には何も出来ない」
そう言いながら、伊神は近くに置いてあったメモ帳にペンを走らせていく。
「何とか出来るのは、いつだって今を生きている人間だけ」
最後の言葉は尊というより、別の誰かに呟いているようにも聞こえた。そして、伊神はメモ帳から一枚を破り、それを尊に渡した。
「お前のことを解決できるのは、お前だけってことだ」
そのメモには住所が書かれていた。おそらく、これがワコの居場所なのだろう。
「……じゃあ、探偵なんていらないんじゃ?」
「うるせーバカ」
伊神は再びベッドに体を預けた。
「
「え?」
「ワコの中の人の名前だよ」
伊神の車にかかってきた相手の名前が「上運天」だったことを思い出す。すると、伊神は薄い金属カードの様な物も手渡してきた。
「これは?」
「あいつが住んでるマンションのキー。一応それがあれば中に入れる」
「伊神さん、キーなんて持っているんですか?」
尊は驚いた声を出す。
「チャンネルの関係者だし、あいつ出不精だから」
当たり前のように伊神はそう言うが、相当信頼されていなければこんな物は渡さないはずだ。それが自分に託されたことの意味を、尊は罪悪感と共に受け取った。
「ただ、大変なのはそこからだぞ?」
「え?」
「中に入っても部屋からロックは掛けられてるだろうし、あいつも全力でお前を拒むだろう」
「……また、何か嫌な言い方ですね」
しかし、これからやろうとしていることはストーカーのそれと大して変わらないことを思うと仕方が無いとも感じた。
「騒げばその階の住人にも知られるだろうし……最悪、お前は何もできないまま警察の世話になるだけかもしれない」
「……」
「要は時間をかけるなってことだ。強引にでも良いから、お前の要件を押し通せ」
それが出来るのも、生きている人間だけだ。伊神は最後にそう言って、尊を見送った。
ワコ(上運天)の住所をスマホで調べてみると、病院から少し離れていた。徒歩で行けない距離でもないが、それだと時間がかかりすぎるためタクシーを使って移動した。
車内で尊はワコに会った時に何を話すか、どうすれば話を聞いてくれるかを考えていた。前回は車で向かおうとしただけで電話をかけてきたくらいだ。今もおそらく尊が近づいてきていることを察知しているだろう。
ただ、向こうは尊の連絡先を知らないのでその矛先は伊神に向いているはず。その伊神も病室にいるためスマホの電源は落としているが……。
最悪、警察沙汰になる可能性もある。それを考えると気が引けたが、目的地に近づくにつれ尊の心は落ち着き始めていた。
パニックになってはいけない。多分、ワコの方が取り乱しているはずだから。
病院での伊神の言葉を思い出す。冷静になって、なおかつ自分の意見を押し通さなければならない。最悪なのは、どちらもパニックになってしまうことだ。
そんなことを考えているうちに、タクシーは目的の場所に到着した。代金を支払い、尊はワコが住んでいるというマンションの前に立った。
タワーマンション……とまではいかないが、この辺りでは最も階数が多そうに見えた。エントランスは広く大きく、シンプルでありながら重厚な印象を与える。
すっかり陽が沈んだなか、そこだけが明るい。
尊は意を決し、入り口のオートロックに近づいた。周囲から疑われぬよう、なるべく自然な感じを装ってはみたが、初めての場所のせいか上手くカードキーを掴めず落としてしまう。
なにより、犯罪ギリギリの行為を行う緊張感が凄まじかった。
「大丈夫だ、落ち着け……」
か細い声で自分に言い聞かせ、カードキーを拾う。
このタイプのオートロックは初めて見るが、カードキーで色々とタッチしてみると扉は開いた。
幸いなことにマンションの住人は誰もおらず、管理人のような人も見当たらなかった。おかげで、尊は何食わぬ顔でマンションに入ることに成功したのだった。
エレベーターに乗り、メモに書いてある部屋番号を確認する。
1001。
尊は10階へのボタンを押し、すぐに扉を閉じた。
部屋数がどれだけあるか分からないが、ワンフロアはかなり広く、廊下も窮屈な感じが無かった。薄暗く感じたものの、一定間隔で照明があり落ち着いた雰囲気を作り出している。
1001は、エレベーターから出て最初に見えた部屋だった。
尊は迷うことなく、インターホンを鳴らす。
ワコはとっくに尊の存在を感じているだろう。もうこのマンションにはいないかもしれない。祈りを込めるようにインターホンのボタンから指を離す。
「……」
2、3秒もしないうち、インターホンから返事があった。
「……立ち去りなさい……今、すぐに……!」
それは、静かな、しかし明らかに怒りと恐怖が混じった女性の声だった。
「上運天さんですよね?自分は、三道尊といいます。あなたに――」
途中まで言って、すでに室内からの通話が切れていることに気付く。
再度押して会話を試みるが、最初の言葉以降、ワコもとい上運天 泉帆からの返事は無かった。
インターホンを押す。押す、押す、押す、押す、押す。
何度やっても無駄であることは分かっていた。自分自身の狂気も自覚していた。それでも、立ち去るという選択肢を取ることは出来なかった。
「……すみません!ドア開けさせてもらいます!」
マンションフロアであることも忘れ、尊は、なるだけ大きな声で言った。無論その返事が戻って来ることもないので、すぐにドアノブを掴んで押し引きする。
当たり前だが鍵がかかっており、何度やってもドアが開くことはない。
中の泉帆がどれだけの恐怖を感じているか。容易に想像できるが、尊も引けない。いつ自分が死ぬかという瀬戸際なのだ。
力でどうにもできるはずがなく、尊は一旦ドアから離れ、再度インターホンを鳴らそうとした。その時だった。
「ガチッ、バキッ」小さな音が続けてドアから聞こえた。
「え?」
すると、今までびくともしなかったドアがひとりでに、音もなく開いた。
その直後、室内にあるドアがバンッ!と、勢いよく開く。それと同時に遠くから「噓でしょ!?」という悲鳴が上がった。
泉帆が開けたわけでないのは明白。こんなことは尊も予想していなかったが、考え得る限り最悪の方法で室内へ上がることとなった。
部屋の主の許可なく、尊は室内へ入る。まっすぐ歩くと、先ほど開いたドアが見えた。
「……上運天さん」
ドアの先はリビングとなっており、広い空間が広がっていた。一人用のソファと、ノートPC、ヘッドセットなどの周辺機器類が視界に入る。床はカーペットが敷かれており、その上にはペットボトルなどが散乱していた。
玄関から分かっていたが、部屋の明かりはかなりきつい。眩しいくらいの光が隅々まで照らし出している。
しかし、当の泉帆の姿が見えなかった。
「出ていって!」
いきなり声がしたので、尊はそちらに顔を向けた。ベランダへ繋がるドアとカーテンが見えるが、片方のカーテンだけがひどく捻じれていた。
その捻じれたカーテンに包まるようにして、上運天 泉帆は怯えた目で尊を見上げていた。
「上運天さん」
「近寄るなって言っているのよ!」
尊がそちらに体を向けた瞬間に、甲高い声が部屋に響く。強く引っ張ったのか、ブチブチッと音を立てながらカーテンのレールがフックごと外れた。
「お願いだから……!」
泉帆は、ギュッと目を瞑ると、今度は「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と早口でつぶやき始めた。
それを見たとき、尊の罪悪感は最高潮に達した。
「……!」
それでも、尊はカーテンの方へ歩いて行き、泉帆の前で土下座して頼み込んだ。
「お願いします。もうあなたしか頼れる人がいないんです。友達や知り合いが死んで、今度は自分かもしれない……祓ってほしいなんて言いませんから……!」
ただ、助言が欲しい。何も分からないこの状況で、一つでも良いから的確な言葉が欲しかった。
「祓えるわけないでしょ!誰にだって出来ないわそんなこと!」
半狂乱のような状態だったが、ようやく泉帆の口からヒントのような言葉が出てきた。
「祓えるわけない……って、やっぱり、俺には何かが憑いているんですか?」
立て続けに起こった原因が心霊スポットだとしたら、全員に霊が取り憑くなんてことはないと思っていた。おそらく、誰も霊に取り憑かれてなどいなかったのだ。
そして、泉帆は「誰にも出来ない」とまで言った。それほどまでに強力な存在。
つまり、拓也たちが死んだのは「誰にも祓えない何か」に取り憑かれている自分に原因がある。
「俺には何が取り憑いているんですか?色んな霊能力者にも見てもらいました。でも、誰もあなたみたいなことは言わなかった。俺も……昔は霊が見えていたけど、もう何も見えないし――」
そこまで言った時、泉帆が「見えるはずないでしょ!」と尊の言葉を遮った。
「後ろにいるでかい女が、両手であんたの目をふさいでいるんだから!」
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