一幕ー⑦
翌日。
尊は昼近くまで眠っていた。
「……」
昨日――拓也と先輩とその彼女と心霊スポットを訪ねた後、近くにまだ心霊スポットが無いかドライブがてら探索をし、帰宅したのは深夜2時を回っていた。
「……起きるか」
いくら休みとはいえ、ここ最近、生活習慣が乱れてきている自覚はあった。
しかし、そのおかげで良い方向に向かっている感覚もある。
〇県〇市で伊神と行った心霊スポット生配信、昨夜の心霊スポットでの肝試し。なんだかんだ、終わった後の気分は悪いものではなかった。
これまでは軽い気持ちで心霊スポットを訪れる人間の気が知れなかったが、今回の件で考えも変わった。
思い出作りや、親密な者同士の距離感を縮める役割を知らずと担っているのだろう。その効果か、尊自身の霊への恐怖感というものも大分小さくなっていた。
いや、霊はいない――そう思えるところまで来ていた。
しかし、どうしても気になることがある。ワコが見せたリアクション、それだけが引っ掛かっている。
ワコの中の人――伊神のスマホで「上運天」と表示されたあの人物が、本当の霊能力者だとすれば、事態は何も好転していないことになる。
やはり、もう一度行くべきだろう。〇県〇市に。
布団をはねのけ、尊はすぐに出かける準備を始めた。
「で、また来たってわけ?」
伊神は呆れた表情で言った。
場所は伊神の探偵事務所。伊神は椅子に座り、いきなり押しかけて来た尊を見上げていた。
「依頼主なんですから来ても良いでしょう」
「何かあったら、連絡するっつったろ」
視線を尊から目の前のノートPCに移し、伊神はマウスを動かし始めた。
「それは分かってます。今日来たのは、この前の霊能力者に会いたいからです」
「……まあ、座れよ」
伊神は出入り口側にあるソファを指し、自分もノートPCを持って移動した。
「伊神さんが送られてくる心霊写真を確認しているんですか?」
ワコのチャンネルスタッフだと分かった今、伊神がPCで行う作業は限られる。探偵業は閑古鳥だろうから、ある程度確信のある質問だった。
「そうだよー見たくもねえ写真見せられて、俺も苦労してんだわ」
視線はPCのまま、伊神は嫌そうに答えた。
「明らかに作り物ばかり。しかも、あいつはそういうのだけを選んで送ってこいって言うし」
「だけ……って、その、作り物の心霊写真だけってことですか?」
伊神は短く「そ」とだけ言った。
尊はワコのチャンネルで紹介された心霊写真を思い出してみる。確かに、言われてみれば分かりやすいものばかりだった気がする。
「逆に何も見えないような写真は絶対に送ってくるな、とも言われてる。何様って感じだよな?」
その言葉の意味を、尊はすぐには理解できなかった。
「何も見えないような心霊写真」とは?
ワコのようなチャンネルにはそういったイタズラ目当ての物も多く送られてくるのだろうか。尊はひとまずそう納得することにした。
「実は昨日、高校の友達とその先輩とで心霊スポットに行ったんです」
尊のその言葉に伊神はちら、と視線を上げる。ただ、特に大きなリアクションをとることもなく「で?」とだけ返した。
「伊神さんも言ってたじゃないですか。霊なんていない、気持ちの問題だって」
「言ったな」
「実際、僕もそう思えるようになりました。心霊スポットに行ったところで何も起こりませんでしたし」
「良い事じゃねえか」
伊神はノートPCを閉じ、尊と目を合わせた。
その表情は清々しく、そのまま「じゃあ、これで依頼達成だな」と言いそうな雰囲気すらあった。
「だから、ワコに……伊神さんの知り合いの霊能力者に会わせてほしいんです」
「なんでそうなるんだよ」
やはり、この話題になると伊神の反応は芳しくない。
「だって、今のところネガティブな反応を示しているの、その人だけじゃないですか」
伊神も拓也も先輩も、全員霊に対しては否定的な人達ばかりだ。ただワコだけが、見ず知らずの尊の存在を感じ取り、かつ霊の存在をほのめかしている。
「別に会わせたくないわけじゃない。俺だってさっさと対面してもらってスッキリしてもらいてえよ」
伊神は腕を組むと、ソファに体重を預けて天井を見上げた。その表情から伊神も苦労している様子が窺える。
「ただ、お前が近づいただけで察知されるし嫌がるのは体験済みだろ?」
「……そうですけど、なんか傷つく言い方ですね」
「あの生配信以降、こっちから連絡しても何も返してこねえ」
霊のことを信じていない伊神からしても、ワコからの返事や指示が無ければ次の行動に移りづらいのだろう。特に、伊神の現在の主な収入がワコのチャンネルの収益から出ていることを考えると、その立場も複雑に思える。
「それでもワコに会いたいんですよ。僕も色々な霊能力者の人に見てもらいましたけど、ここまで反応したのはワコだけです」
中でも「近づいただけでその存在が分かる」というのは、その力が本物である証拠ともいえる。
「だから引っ掛かるんです。伊神さんみたいに霊を否定しきれない理由がそれです」
「まぁ……最悪、自宅に突撃もできるが」
「突撃、って……でも、その前に逃げられるでしょう」
伊神の言う「突撃」とは、そのまま強引に自宅を訪れることであろうが、近づくだけで察知されてしまうのであれば、到着するはるか前にその場を離れられるだろう。
「あー、それはない。あいつ極度の引きこもりだから」
伊神は面白そうにと笑った。
「霊が見えるだの何だの言ってるが、自分に危険が及ぶようなことは一切しないし近づけない。そのくせ、外の世界には関わろうともしない」
逃げたくても逃げられねえんだよ、あいつは。そう締めくくると、伊神はため息をついた。ちらっと腕時計を見て時刻を確認する。
「良い機会だし行くかー」
「行く……って、ワコの所へですか?」
「それ以外どこがあるんだよ」
そう言って伊神は立ち上がり、近くにあったジャケットを掴んだ。
「お前の霊問題も、あいつの引きこもりも、一石二鳥で片付けられるかもしれねえだろ」
「大丈夫なんですか、それ」
ワコに会いたいと言ったのは尊だが、不本意な形での対面はしたくないというのが本音だった。ただ、そう綺麗ごとも言っていられないのも事実だ。
「ああ、そういやあよ」
ジャケットを羽織り、車のキーを手に持った伊神が唐突に言った。
「お前が来て以降、事務所で物が飛んだりすることなくなったわ」
「そう、ですか」
尊は、反射的に事務所全体を眺めた。
パッと見た感じ一昨日来た時と変わらなかったが、言われてみればこの前よりも散らかっていない……気がした。
伊神は事務所から少し離れたガレージに車を停めている。尊は事務所が入っているビルの前で伊神が来るのを待っていた。
ワコの所へ行けるのは嬉しいが、拒否反応を示されるのは確実だった。そんな状態でまともに自分の霊視を行ってくれるだろうか……考えれば考えるほど憂鬱な気持ちになってくる。
時刻を確認するためスマホを取り出した。
「拓也?」
家を出てからスマホをずっと触っていなかったことに気付く。画面には拓也からの着信履歴があった。
最後の履歴は僅か3分前だったが、一切気付けなかった。また、その通知数が尋常でなく、尊は胸騒ぎを覚えた。
伊神はまだ来そうになかったので、慌てて拓也に電話をする。
すると、すぐに繋がり「尊か!」と拓也の声が響いた。
「どうし――」
「お前、無事か!?」
尊の言葉を遮るように拓也が声を被せてきた。声色からも慌てていることが感じ取れる。さらに、どうやら走りながら電話をしているようだった。乱暴に地面を蹴る靴音と、人の声や車の通過する音が交互に聞こえてくる。
「なんだよ……どうしたんだよ?」
「どうしたもこうしたもあるかよ!」
拓也は走るのを止めたらしく、少しだけ声が聞き取りやすくなった。呼吸を整えるため、そこから少しの間が空く。
「……先輩、死んだって」
「は?」
スマホの向こう側から、拓也の「はっ、はっ、はっ」という荒く短い息遣いが聞こえてくる。
「死んだ?」
反芻してみるが、頭が思考を停止してしまい、何も頭に浮かんでこなかった。代わりに、尊の心臓の鼓動が速くなる。
「……俺もまだ詳しくは知らない。親がそういう話してて、実際に先輩の家行ったら警察官が何人もいて――」
いくらか拓也は落ち着きを取り戻してきているようだったが、まだ話を簡潔にまとめられるほど頭は回らない様子であった。
「警察って……犯人は?」
尊の質問に、拓也はしばらく間を空けて答える。
「犯人は……分からない。でも、現場で聞いただけだけど……」
拓也はまた言葉に詰まる。ただ、今度のそれは息切れなどによるものではなく、何か恐ろしいものを口にするためらいのように感じられた。
「とても、人間にできる殺され方じゃなかったって……」
「え?」
「俺も見たわけじゃねえけど、先輩、自分の部屋で殺されていたみたいで、壁に貼りついていたって……」
「壁?なにいってんだよ、さっきから……」
「知るかよ!ただ、お前も分かるだろ?先輩が死んだ理由!」
拓也はまた声を荒げた。ただ、尊は別のことが気になった。
(死んだ、理由?)
「殺された理由」ではなく「死んだ理由」と拓也が言ったことは、言い間違いなどではない。確かに何らかの意思があった。
「……心霊スポットに行ったから?」
拓也に対してではなく、思わず口をついて出てきたその言葉は、あまりにも現実味が無かった。
どうにか気持ちを落ちつけようと、尊は視界をさまよわせる。すると、近くまで来ていた伊神の車が目に入った。
(そうだ……伊神さんなら)
何か……何かは分からないが、伊神であれば的確なアドバイスをくれる。知らず知らずのうち、尊は伊神に問題を押し付けようとしていることに気付いていない。
伊神なら、いや、ワコなら……思考がブレてまとまらない。
「それ以外ないだろ!」
拓也の言葉に、現実へと引き戻された。
「いや……いや、ちょっと待ってくれよ。じゃあ、どうして俺やお前は無事なんだよ?俺なんて一昨日も別の心スポに行ったんだぞ……」
「だったら他に何が考えられるんだよ!」
拓也の言い分は確かに理解できるが、だとしたら自分が無事な理由は何なのか。本当に先輩がおかしな死に方をしたと言うのであれば、その点をはっきりしておかないといけない気がした。
心霊スポットに行って祟られるというのはよく聞くものの、それ一発で死が確定してしまうのであれば誰も近づかないはずだ。
何より、尊は〇県〇市と合わせて連日心霊スポットを訪れている。順番的にも先輩より尊が先の方が辻褄は合う。
(それに、伊神さんだって――)
事故物件を事務所に構え、心霊スポットにも一緒に行った伊神が無事なのだ。
視線を伊神の車に向ける。目の前の交差点にまで来ており、今は赤信号で停止していた。
「お前、今すぐ合流できるか?」
「いや……」
尊自身すぐに当事者の一人である拓也とは合流したかった。しかし、伊神に事情を話しておく必要もあるし、このままワコのところへ行った方が解決の糸口が見つかる可能性が高いように思えた。
「すぐ折り返すから――」
信号が青へと変わり、伊神の車が動き出した。尊は、通話を切るつもりで耳から離す。
「え」
どんっ!という短く重い、大きな音が尊の耳に飛び込んできた。
その方向を見ると、先ほどまで伊神が乗っていた車が反対車線を越えてガードレールにまで突っ込んでいた。車体後部がへこみ、その周りからは細く煙も出ている。
交差点の真ん中には別の車が停まっていた。
尊が何気なく交差点を見た時、伊神側の信号が青へと変わったタイミングで車が突っ込んできたのを目撃した。
完全に信号無視から起こった交通事故だ。
しかし、尊はこれが不運や偶然などとは思えなかった。
「……伊神さん」
その場から動けず、尊はスマホを地面に落としてしまう。
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