一幕ー②

 尊は、伊神に自らの近辺で起こる奇妙な現象や、長年見続けている悪夢について語った。

「近くの物が勝手に動いたり、割れたり……か。まぁ、よくあるやつだな」

 一通り聞き終わると、伊神は退屈そうに呟いた。

 その態度を見て尊は一気に不安になった。心霊専門の探偵だから頼りにして来たというのに、伊神のリアクションは「幽霊などいない」といった人間のそれだ。

「本気で聞いてくれてるんですか!?」

 思わず声を荒げてしまう。伊神はそれでも態度を崩すことはなくしっかりと、尊の眼を捉えていた。

「じゃあ、何か実害があったのか?」

「それは……」

 何も言い返せず、尊は黙ってしまう。幸か不幸か実害は無い。だからこそ、ここまで我慢できていたのだから。

「最初に言っておくが、俺は幽霊なんて信じていない」

「はぁ?」

 心霊専門をうたっている探偵のセリフとは思えなかった。

 伊神は「まぁ聞け」と手で制し、説明を始めた。

「実害の無い怪奇現象なんて自然現象と変わらないだろ?つまりは、科学的に証明できるものばかりだ」

「……」

「俺はな、そういった現象を全て否定したい……だから心霊専門の探偵なんかやってんだよ」

 尊の中で、目の前の男を嫌悪する感情が芽生えつつあった。

「じゃあ――」

 もういいです、と続けようとした時だった。パンッという破裂音が室内に響き渡った。

 大きな音に驚きつつ、尊は音がした方向に目を向ける。見ると、グラスか何かが割れていた。

「え?」

 グラスは棚の中で割れていた。てっきり床に落ちて割れたと思ったので、尊は不思議に思う。

「またかよ」

 対して伊神は動じることなく、呆れたようにそちらを見ていた。

「で、だな」

「いやいやいや……またって?」

 伊神は立ち上がって、グラスの方まで行くと慣れたように片付け始める。

「何個めかわからねぇけど、ここじゃあグラスがよく割れるし、物が勝手に動く」

「それって、めちゃくちゃ怪奇現象じゃないですか!」

 尊にも経験があった。物が割れる・動くというのは、頻繁に起こる心霊・怪奇現象のひとつだ。

 目に見えない何かが意思表示のために物を割る。尊はその点に恐怖を感じるが、伊神にそのようなものは感じれられない。

 散歩中の犬が排泄をした際、飼い主はそれを片付ける。それくらいのがあった。

 それはつまり、尊が原因でグラスが割れたわけではないということでもある。

「なんでかは知らねぇけど、ここはそういう場所らしい」

 戻った伊神はそう言うと「だから安く借りれた」と続けた。

(それ事故物件っていうんじゃ……)

 そういえば、と尊は思い出す。このビルの外観や階段を上っている時の雰囲気は、妙な陰鬱さがあった。

 だとすれば、このビル全体が事故物件なのでは……そう考えただけでゾッとする。

「気にならないんですか」

「何が?」

「物が勝手に割れたりとか……事故物件ってことでしょう?」

 伊神は腕を組んで、思案顔で言った。

「別に。何ともなっていないからな。安くなってラッキーくらいにしか思わないだろ、普通」

 心底そう思っている人間の言葉だった。そして尊もようやく分かった気がした。

 この伊神という男は、

「じゃあ、どうして心霊専門の探偵なんてやっているんです?」

「それは……俺の問題だろ。で、どうする?」

 伊神は本筋に話を戻した。さっきまでは話す気が失せた尊だったが、今はなんとなく目の前の男に話してみても良いと思えていた。

 実際は、「こんなとこまで来たんだし」という打算的な気持ちが強く働いたからだが。

 そこから尊は、自分が幼少期から心霊現象に悩まされていること、頻繁に例の悪夢を見ることを話し、最後に洒落頭ワコの動画を頼りにここに来たことを伝えた。

「お前、そっちの客かよ」

 伊神は今日一番のリアクションを見せた。

「そっち?」

「しょうがねぇなぁ~」

 伊神は立ち上がりジャケットを着こんだ。

「話は移動中に聞くわ」


 尊は助手席に座っていた。運転席には伊神が黙って運転している。

 あの後、半ば無理やり伊神に外に連れられ車に乗せられた。

「ちょ、ちょっと……!どこに連れて行くんですか!」

 勢いに任せて車に乗ってしまったが、傍から見れば誘拐にしか見えないだろう。加えて知らない男が運転しているのだ。尊の不安も自然と高まっていく。

「どこでも良いだろ……っていうか、お前の名前を聞いてなかったな」

「あ、え……三道 尊です」

「学生?」

「……この前高校を卒業しました」

 伊神は尊の方には一切目を向けず、ただ運転を続けていた。質問はいくつか続いたが、どれも簡単に答えられるものだった。

 探偵を名乗っているだけあって、さすがに質問の仕方には慣れているように感じられた。

 会話をすることで不安と緊張がいくらかマシになった頃、突然車内に音が鳴る。

「俺だ」

 伊神はポケットに手を突っ込むと自身のスマホを取り出し、尊に投げ渡す。

「悪りぃが、スピーカーで取ってくれるか」

 尊は言われるがままスマホ画面をスワイプし、伊神にも聞こえるようにする。

(上運天……?)

 スマホ画面には珍しい漢字の並びが表示されていた。相手の苗字だろうか。

 聞こえやすいように伊神に向かってスマホを向けた瞬間、耳をつんざくような怒鳴り声が響いた。

「おっさん!」

 スマホからは女の子の声が聞こえたが、かなり怒っている様子だった。

「なんだよ、いきなり」

 伊神は変わらず運転しながらも、面倒くさそうな表情で小さく舌打ちした。

?」

 尊は声の迫力に圧され、手のひらの上のスマホを見つめるしか出来ないでいた。

「なに?そこにいるの?」

「客だよ!」

「ふざけんな!それ以上こっちに近づかないで!」

 伊神は車の速度を落とし路肩に停めると、尊の手からスマホを取って外に出た。何やら大きな声で話していたが、すぐに戻って来る。

「悪い、ここで降りてくれ」

「えぇ?」

「あとで拾うからよ……」

 そうは言われても、尊も黙って降りるわけにはいかなかった。

「さっきの電話、何だったんです?」

 伊神はバツが悪そうに運転席に乗り込むと、かいつまんで説明をしてくれた。

 電話の相手は伊神の知り合いの霊能者で、今からそこに向かおうとしていたが、結果は先ほどの通りということだった。

「ただし、お前の話をしたら興味を持ってな。写真だけ撮って見せに来いだとよ」

 そう言うと、「いいか?」とスマホを見せてきた。

「そりゃ……写真くらいなら良いですけど」

 言い終わるくらいのタイミングでシャッター音が鳴る。伊神はそれを確認すると「こんなもんか」といってスマホをしまった。


「……」

 それから本当に車を降ろされ、尊は近くのコンビニで時間をつぶしていた。適当に雑誌を読みするふりをするが、心中は穏やかでない。

 車で向かっている尊の存在を察知し、電話の向こうの霊能者は伊神に電話を入れたのだ。それだけで霊能者の力量が推し量れる。

 だからこそヤバいと感じていた。尊自身に何かが取り憑いていることが確定し、それは遠く離れていても感知できるほどの存在なのだ。

 雑誌を持つ手に力が入る。

 一体なにが原因で自分にそんなものが取り憑いているというのだろうか。どれだけそう自問したか分からない。

 人に恨みを買うような生き方はしてこなかったはずだ。心霊スポットを訪れる動画は観てきたが、実際に行ったことはない。

 電話をかけてきた霊能者が頼りにならなければ、今度こそ打つ手は無くなる。

 床に穴が開きまっさかさまに落ちていくような感覚と寒気に襲われ、膝から崩れそうになったその時。尊のスマホが鳴った。

 雑誌を戻し画面を確認すると「伊神さん」とあった。


「おう、待たせたな」

 尊が車を降ろされてから2時間ほど経過していた。

 現在、再び尊は伊神の車に乗り事務所の方へと向かっている。

「それで、どんな感じでしたか?」

「どんな、って……」

「写真、見てもらったんですよね?」

 自分に取り憑いているものは何なのか?霊能者が恐れるほどの霊だったのか?分からないからこそ怖い。どのような結果だったとしても、早く知りたい気持ちが尊を逸らせた。

「そんなに気になるもんかねぇ」

 伊神は心底疲れた表情を見せた。霊を信じていないのは分かるが、それにしても興味が無さ過ぎるように見え、さすがの尊も苛立った。

「伊神さん!」

「……俺は何も見えなかったけどな、お前の写真見せただけで追い出されたわ」

 赤信号で止まると、伊神はスマホを尊に手渡してきた。

「追い出された……って」

 尊はスマホの画面に視線を落とす。2時間前に同じ場所で撮られた自身の姿があるが、それ以外には何も写っていない。

「これに何か……写っていたってことですか?」

「そうらしい」

 青に変わり車が進みだすと同時に、伊神はスマホを尊から取り上げた。

「あいつがあんなビビってるとこ初めて見たぜ」

 おそらく霊能者のリアクションを話しているのだろうが、伊神の態度は今にも鼻歌を歌いそうなほどだった。

「まあでも、好奇心には勝てなかったみたいだけどな」

 伊神によると、霊能者は写真の霊視だけはしてくれたようだった。また、尊が現在どのような状態なのかも話してくれたという。

「それで、どうすれば良いんですか?」

「お前……今夜、何か予定とかあるか?」

「え、いや別に無いですけど……」

 思わぬ質問返しに相槌を打つような形で返してしまうが、実際予定は入っていなかった。

「よし、じゃあ今夜心スポ行くぞ、心スポ!」

 伊神は面白そうにそう言った。

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