八尺様によろしく
@ukikko
一幕ー①
ただ、その夢は全て同じような内容で、悪夢に近いものだった。
「……!」
跳ねるように上体を起こし、尊は「またか」と呟く。
今は一人となった自宅。その自室から見える外はまだ暗かった。
枕元にあるスマホの電源を入れると、深夜2時を過ぎた頃だ。
すっかり目が覚めてしまい、再び眠りにつく気にもなれない。
尊は先ほど見た夢を思い出そうとする。
これまで何度となく見た夢――悪夢。
そこで見る景色は「子供の頃よく訪れた祖父母の家」、「その縁側」、「近くの小川」――そんな感じで、夢に出てくる景色は一定ではなかったがパターンは同じだった。
共通しているのはどれも尊が子供である事と、自分を除いて登場人物が一人しかいないこと。
その一人が脳裏に浮かび、尊の表情が歪む。
広くて長いツバの白い帽子を被り、白のワンピースを着た女。
その女だけが必ず現れる。
帽子に隠れて顔は分からないものの、一見すれば綺麗な女性にしか見えない。
あまりに大きいこと以外は。
夢の中だから――で片付けるには不気味すぎるのだ。
おそらくは3メートルちかくある巨大な姿を、子供の尊は見上げる。
絶対に最後はその場面になる。
女はゆっくりと尊に顔を近づけ、そして……。
必ずそこで目が覚める。
思い出せないだけかもしれないが、女の顔は最後まで分からない。
それだけならまだ良い。
尊はハッと気づいたように部屋の中を見回す。
ぽ。
暗い部屋の中で突然聞こえる、声とも音ともいえる何か。
ぽ、ぽぽぽ、ぽぽぽぽぽ。
夢でないのは明らかだ。
それでも聞こえるこの何かは、夢の中の女が発していることを尊は理解していた。
急いで耳を塞ぎ目も瞑る。音が聞こえなくなるまでそうする。
音だけで姿はどこにも無いはず……それでも、怖さのあまり目も閉じてしまう。
あの女が部屋のどこかにいると考えただけでゾッとした。
音が止むと、尊はおそるおそる手を下ろして耳をすませ、視界は目の前の布団に固定する。
しばらくは怖くて部屋を見回すこともできない。
「……子供じゃないんだから」
少し落ち着くと、自分のふがいなさに声が漏れた。
この現象が始まったのは小学生くらいの頃だろうか、尊は覚めた頭を働かせる。
今年で18歳だから、もう10年以上悩まされていた。
幸か不幸か、実害は無く、夢を見る頻度にもばらつきがあったため何とか我慢できているに過ぎなかった。
しかし、尊自身はもう限界が来ていることを理解していた。
静かに目を閉じ決意する。
長年付き合ってきたこの現象に決着を付けなければならない。
「そうじゃなきゃ……」
思わず口に出してしまう。
恐怖と苦悩でまとまらない思考を抱えたまま、尊はいつの間にか眠りに落ちた。
「みんな、こんコワ~!
ノートパソコンの画面には、アニメキャラのような可愛らしい女の子のVtuberが元気よく挨拶していた。
明るい雰囲気とは対照的に、それを視聴する尊の表情は暗かった。
「それじゃあ今日も、リスナーから送られてきた心霊写真を見ていきたいと思います!」
洒落頭ワコは事務所に所属していない、いわゆる個人勢のVtuberで、主な活動は心霊・怪奇現象などのオカルト全般を取り扱っている。
尊が今見ているのは生配信のアーカイブ動画だった。
そもそもワコのファンでもなければVtuberにもさほど興味は無かったが、放送している内容は違う。
尊は悪夢だけでなく、これまで多くの心霊現象に見舞われてきた。
窓は閉まっているのにカーテンが勝手に動いたり、近くのコップが移動して倒れたり。
数え上げればきりが無いが、尊自身に霊感のようなものは備わっておらず、ただ怯えることしかできなかった。
それを何とか解決したいと思い、心霊系を取り扱うテレビ番組や動画などは定期的に観ていた。
多くの視聴者やファンの「楽しむ」という感覚とは違う、切実な思いがそこには確かにあった。
祈祷やお祓い、それこそ霊能力者を頼ったこともある。
ただ、効果は何も得られていなかった。
そのため、尊はそういった、いわゆる霊に関する情報を自ら集めるようになっていた。
無論、それは自衛の目的もあるが。
YouTubeでの心霊系チャンネルを見だしたのもその延長線だったのかもしれない。
時代の流れからか、テレビで心霊系の番組が流されることは昔と比べて激減した。
それに比例するように、YouTubeなどの動画サイトには素人が心霊スポットへ行ったり、怪奇現象に悩まされる映像を投稿していたりする。
どちらかというと、作り物のイメージが強いテレビよりも、こういった素人の投稿する内容の方が自分の悩みを解決する糸口になるのではないか、と考えてのことだ。
そして、現在再生している配信者・洒落頭ワコは、自分に長年の答えを出してくれるかもしれない存在だった。
「それじゃあ、今日もリスナーの皆から届いた心霊写真を鑑定していこうと思います」
オープニングの挨拶と軽い雑談を終えると、ワコは今回のメイン企画へ移る。
ワコが心霊系を取り扱うVtuberのなかでも人気なのは、キャラデザやビジュアルの他にあった。
それは、ワコ自身に霊感があり、特に霊視能力に優れている点にある。
「この写真は……ああ、この女の人の後ろに手みたいなのが見えるね」
尊のモニターにはリスナーから送られてきたという写真が大きく映っている。
ワコ自身もそれを見ているのだろう。トーンを抑えた声で鑑定していく。
「まあ、でも……私自身はそんな嫌な感じはしないかな。恨みとかそんなんじゃなくて、なんか偶然映っちゃったって感じ」
落ち着いた様子で言うワコとは対照的に、コメント欄の反応は全く違った。
「マジで映ってるじゃん」
「こわっ!」
「写真の人呪われてる?」
ワコは写真の鑑定が終わると、流れてくるコメントに一通り目を通し、何かあればコメントをする。
そしてすぐに次の心霊写真の鑑定に入る。基本的にはこの繰り返しだ。
あくまで写真を皆で見て感想を言い合う。危ない写真であればアドバイスをする。
「私は霊を祓うとかさ、そういうことしないし、出来ないから」
ワコは、モニター前のリスナーにほぼ毎回そう言う。
「だから、本当に怪奇現象に悩んでいる人の力にはなれない」
別の配信時にもそう発言することがあった。申し訳なさなどは一切無く、「そういうのは専門の人に相談して」と笑いながら。
「それに、本当にヤバいのは見る前から分かるし」
ワコの心霊写真鑑定は、基本的にメールで送られてきた物を見る。
実際の写真でなくとも、例えばテレビなどに映るものであったとしても、霊視能力は正常に働くらしい。
なので、ワコはまず送られてきた写真をスタッフに見てもらう。その際、嫌なものを感じれば削除し、スタッフが返信する。
優れているのは霊視能力であって、霊を感じる力もワコは強いらしい。
言い換えれば、リスナーに危害が及ぶことは無い。配信時に映る写真はどれも安全だとワコが判断したものばかりだから。
ただ、そうなると一部のリスナーから不評が飛んでくる。
「ヒヨんなワコ!」
「呪われてもいいからヤバいの見たい」
どちらかといえばいつものノリ、お約束みたいなコメントが大半ではあるが、そういったコメントが目立ち始めるとワコは必ずこう言う。
(来た……)
尊はワコの声に集中する。
「そんなに怖い体験したいんだったら、私の住んでいるところに来れば良いよ」
怒った感じはなく、どこか諦めている様子のワコ。
「〇県〇市、そこが私の住んでいるところ。行き方はまず……※あdjが――で、※m✕ああdか¥dskjごそjふぃえjdじゃだいえjがさjだだjな」
〇県〇市への行き方を説明しようとした途端に、ワコの言葉が意味不明なものとなる。
画面にノイズなどは入っておらず、パソコンや配信機器類の問題ではない。
そして、それは全てのリスナーに共通して起こっていた。
「いやマジで怖いから」
「心霊写真よりワコの方が怖い」
「ワコまじでヤバいです」
「〇県〇市きたー!」
その場面が来るとコメント欄がすごい速さで流れていく。
当のワコはというと、何事も無かったように配信を進めている。
自分が何を言っているのか、リスナーには一切聞き取れないことを知っているのだ。
尊は、それが何より怖かった。
なぜなら、ワコが何を言っているのか尊にははっきりと解ったからだ。
ワコの動画は、他の心霊系の動画を観ているうちにいつの間にか辿り着いた。
その時は「どこにでもいるVtubr」くらいにしか思っていなかったが、やけに再生数がある配信動画を観た時に違和感を覚えたのだ。
自分自身の感想と、コメント欄の感想があまりに乖離している。
はじめは混乱した尊だが、おそらく、自分と他の視聴者でワコの言葉が全く違うものに聞こえていると、しばらくしてようやく理解できた。
しかし、不気味さはそれだけに及ばなかった。
〇県〇市という県名市名をネットで探しても1件もヒットしないのだ。
ワコの配信のみに出てくる謎の言葉として、都市伝説のように扱うサイトがいくつかあるくらいだった。
ワコが嘘をついているとも考えられたが、それにしてはやけに生々しくリアルな感じがする。
それどころか、ワコの話をコメント欄や掲示板などに書き込もうとしてもできなかった。
自分では正しく打ち込んでいるのに、全てが文字化けのような状態になる。
音声で質問をしたとしても同様だった。
これまでの怪奇現象とはまた毛色の違う体験に戸惑いながらも、その〇県〇市に行けば長年抱え込んできた悩みが解決するかもしれない。そう思えるようにもなっていた。
そして現在、尊は〇県〇市にいた。
ワコが言う通りの方法を試したら確かに辿り着いたのだ。
確信はあったものの、どこか異世界に迷い込んだ気持ちだった。
しかし、異世界というほどの大げさな景色でもない。
なにも変わらない。
日本のどこにでもある、少し発展した町。そのくらいの印象しか持てない。
ビルが建ち、車が通り、公共交通機関が機能している。
もちろん、人もいる。
「なんなんだ、ここ」
尊の家から電車などを使っても1時間ほどで来れた。
駅のホームを出てからずっと、海外からやって来た観光客のように、尊は周囲を物珍しく眺めていた。
すれ違う人はそんな尊に目を向けはするものの、ほとんど興味を示すことはなかった。
尊はまだ落ち着かない様子だったが、近くに公園を見つけ、そこのベンチにひとまず腰かけた。
既に疲労困憊だった。
体重をベンチの背もたれに預ける。精神的な疲労が特に大きい。
すれ違う人も、ファーストフードのチェーン店も、どれもこれも尊がこれまで目にしたことがある風景なのに、細かい違和感がそこら中に散見した。
見たことも聞いたこともない駅名と店名、二十年近く生きてきたにも関わらず、こんな地名が日本にあったと初めて知った。
「……いや、そんなことはどうでもいいか」
これ以上考えてもこの違和感は消えないと悟った尊は、自分の目的に集中することにした。
〇県〇市にある、とある探偵事務所。そこが目的地だった。
探偵事務所など怪しい雰囲気しか感じなかったが、ワコがそう言ったのだ。
「〇県〇市の伊神探偵事務所って所を探して。心霊関係専門の変な探偵事務所だから」と。
尊だけが聞き取れた情報。
これ以外にもワコは〇県〇市については話していたが、尊の興味は「心霊・怪奇現象を止める」ことだったので、それ以外の情報はあまり重要ではなかった。
そもそも、実際に〇県〇市などが実在することすら先ほどまで疑っていたくらいだ。
尊はスマホを取り出し、地図アプリを開く。
そして「探偵事務所」と住所検索した。
「あった……」
〇県〇市内に1件だけヒットした。今いる場所から徒歩で5分もかからない。
「ここか」
尊の目の前には古い雑居ビルが建っていた。
その2階に「伊神探偵事務所」の看板が見える。
神社仏閣や霊能力者に頼ったことはあるものの、探偵の力を頼ることは考えたことがなかった。
衝動的に〇県〇市までやって来たが、探偵に解決できることだろうか?
尊は急に冷静になり始めた。
しかし、あのワコが名指しでこの事務所を指定していたのは確かだ。
薄暗い階段を上っていく。本当に人がいるのか……そう思えるほどひっそりとしていて、外からの音も遮断されたようだった。
2階へ着くが別にフロアが広がっているわけでもなく、ただ事務所のドアがあるだけだ。
「……」
伊神探偵事務所。それだけを主張する簡素なドア。
おそるおそるドアを開けると、細い通路が伸びていた。その先にもう一つドアがあり、奥側が事務所になっているようだ。
通路は明るく、壁にはさまざなポスターが貼られていた。
探偵事務所というか裏路地にある怪しげな商店のような雰囲気がある。
ドアの上部分はすりガラスになっていて、中の明るさ程度は分かるが、暗かった。
(誰もいない?)
留守なのか休みなのかは分からないが、ここまで来て誰もいないのであればとんだ無駄足だ。
コンコンと、ひとまずノックしてみるが、返事はなかった。
「……開いてる」
鍵はかかっておらず、簡単にドアが開く。
入って左側に広く空間が広がっていて、外から見えた窓があった。
その前には少し大きめの執務机と椅子があるが、今は誰もいない。
静かにドアを閉めると、近くからカチ、カチという音が小さく聞こえてきた。
「……これも……ってねぇだろ……」
男の低い声。独り言を呟いているようだ。
入り口のドアからは死角となる隅の方に、茶色い革製のソファーがあり、そこに1人の男が前かがみになって座っていた。
目の前にはガラステーブルがあり、その上にノートパソコンを置いて作業をしているようだった。
集中しているのか、尊の存在には気付いていない。
「あの」
尊がおそるおそる声をかけると、その瞬間男はビクッと体を震わせ、驚いた顔で振り向いた。
「誰だ、お前」
男は身構えるように立ち上がると、尊と少し距離を取る。驚いてはいるが、慌てている様子はなかった。
「勝手に入ってきたのは……すみません」
男は眉をしかめつつ、尊を頭部から足先までじっくり観察した後で言った。
「え、客?」
「悪い悪い、依頼客なんてほとんど来ねえもんだから」
男は笑いながらそう言うと、尊を向かいのソファーに座らせた。
「そうか、もうこんな時間か……」
男は壁に掛けられた時計を見て呟く。
「昨日から徹夜しててな」
テーブルの上を片付ける男を見ながら、尊は「いえ……」と答えた。
年齢は四十半ばか、もう少し行っていそうな感じだ。白のワイシャツと紺色のスラックスは、探偵というか疲れたサラリーマンを思わせる。
しかし、長身で痩せているからか、様にはなっていた。
「徹夜をしていた」の言葉通り、全体的に疲労感が漂っているように感じた。
(大丈夫だろうか)
「それじゃぁ、話を聞こうか」
男は簡単に片づけを終えると事務所の電気を点け、若干の疲労を含む声で言った。
「おっと、申し遅れた。俺は
伊神は、慣れた手つきで名刺を尊に渡してきた。
【伊神探偵事務所 所長 伊神 京介】
名刺にはもう一つ気になる文字が記載されている。
「心霊専門?」
思わず尊は口に出してしまう。
「ああ、俺は心霊現象や怪奇現象、そういった依頼専門でやってるんだ」
当たり前のように伊神はそう言った。
「だから、迷い猫探しとか浮気調査とか、そういうのだったら――」
伊神は申し訳なさそうな顔をして、「すまん」と片手だけで訴えた。
「逆に、そういうのだったら……話を聞いてくれるんですよね?」
予想していなかった返事に伊神は眉を動かす。
すぐに姿勢を正すと、真剣な表情で尊と向き合った。
「……それなら大歓迎だ。話してみな。聞くだけなら金は取らねえから」
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