第8話 シホとキルト(前編)

【アムンゼン州 ジェノベ市 某教会】



 教会の中は、薄暗く、しんと静まりかえっていた。

 キルトは声をかける。


「誰かいますか!」


 教会の中は、荒れていた。


 窓ガラスが割れ、壁にかけられていたであろう肖像画が床に落ちていた。

 椅子には、慌てて出て行った信者が忘れたのであろう聖典や外套がそのまま放置されていた。

 一歩進むたびに足底でパリンと何かが割れる音がする。

 暗くて何を踏んでいるかはわからないけれど。


 この教会は噴水広場から150メートルほど離れている。

 オオサマガエルがあの大穴から現れた際、この教会も大きく揺れたのだろう。

 室内にいた信者は大地震がきたとパニックになったに違いない。


「誰かいますか!」

 キルトは再び声をかける。

 すると、教会の奥の方から、叫び声が聞こえた。

「たす、けて!」

 外で聞いたときよりもはっきりと聞こえる。

 慌てて駆け寄ると、大人の背丈くらいある箱が横倒しになっていた。

 キルトも地元の村で見たことがある。

(懺悔の部屋だ……)


 正式名称は告解室こっかいしつという。箱の形をした小部屋の中で神父と信者が向き合い、信者が罪の告白をする部屋である。

 この告解室がドアを下にして倒れてしまったため、中の人が出られなくなっているらしい。

「今、助けるからね。少し揺れるけど怖くないからね」


 キルトは急いで胸ポケットから杖を取り出し、詠唱した。

「ソスペーソ」

 物体浮遊の魔法で、倒れた告解室を起こす。


 告解室があるべき姿に立ち上がると、キルトは扉を開けた。

「もう、大丈夫だよ」


 中にいたのは、5歳くらいの小さな女の子だった。人形をぎゅっと握っている。

 たくさん泣き叫んだのだろう。ゼーゼーと荒い息をしている。


「お兄ちゃんは誰? 兵隊さん?」

「ううん、僕は魔法使いの見習いだよ。さあ、こっちおいで」

 キルトが差し伸べた手を女の子はおずおずと握った。


「お母さん、どこ?」と女の子は聞いた。

「お母さんと来てたの?」

「うん、アンナね、お母さんとお買い物に来て、帰りに一緒にお祈りに来たの。そしたら、地面がすっごく揺れて、神父さんが、『頭を隠せ!』っていうから、この箱に入ったの。そしたら、バタンって倒れちゃって」


 アンナは不安そうに周りをキョロキョロと見回した。

 キルトは膝を曲げて、アンナの目線に合わせると頭を撫でた。

「お母さんは多分近くの避難所にいると思う。一緒に行こう」


 うん、とアンナがうなづいた時だった。


 不気味な音が聞こえた。

 シューという巨大な物体が風を切るような音。


 その音はだんだんと大きくなって……。


「伏せて!!」

 キルトはアンナの頭を抑えこみ、床に伏せた。


 爆発のような衝撃。 


 飛散した瓦礫がキルトたちの上に降り注ぐ。


 キルトが恐々顔を上げると、教会の入り口側の半分が木っ端微塵になっている。

 

 奴がいた。

 キルトたちの目の前に。


 全身に鳥肌が立つのを感じた。


「跳んだのか!? あそこから、ここまで!?」


 オオサマガエルはキルトたちをギョロリと見た。

 そして、舌を引っ込める。


(まずい!)


 キルトはアンナの手を引っ張って駆け出した。


「スタチア・デ・ギーア!」


 振り向き様に詠唱。

 白光と共に氷の壁が現れる。



「ガアアアああああああああ」

 オオサマガエルは鳴き声と共に舌を伸ばした。

 弾丸のような速さで。


 氷の壁はお菓子のように粉砕された。



(くそ、時間稼ぎにもならない!)


 とにかく、教会から出ないと二人まとめて胃袋行きだ!


 オオサマガエルが再び舌を引っ込めた。

「スタチア・デ・ギーア! スタチア・デ・ギーア! スタチア・デ・ギーア!」


 氷魔法を連発しながら、ようやく教会の奥の出入り口に到達。

 しかし、


「あれ、なんで!?」

 扉がびくともしない。


(あいつが跳んできた衝撃で、建物が歪んだんだ!)



 バリバリバリ!

 背後で氷の壁があっけなく破壊される。


 アンナがキルトの腕をぎゅっと掴む。その手は震えていた。


 オオサマガエルがゆっくりとキルトたちに近づいてきた。

 逃げ場を失った獲物を嘲笑うかのように舌なめずりをしながら。


 キルトは呆然とその巨体を見た。

 そして、気が付く。


(こいつ、全く怪我をしていない。)


 中央広場で多数の軍人に取り囲まれていたはずだ。それなのに無傷。


「そうだ、人間からの先制攻撃は禁止なのか」


 いきなり出現して街を破壊したにもかかわらず、誰かが犠牲になるまでは指一本触れることさえ許されない。

 そして、キルトとアンナがここで喰われても、こいつの跳躍力なら、たった一回の跳躍で簡単に逃げ切ることができるだろう。


 世界は理不尽で残酷だ。


 その時、キルトは気がついてしまった。

 薄暗くて今まで気がつかなかったのだが、なぜかこのタイミングで気がついてしまった。


 「お兄ちゃん?」

 ブルブルと震えるアンナ。

 

 その瞳が、綺麗な赤色だった。

 アンナは赤眼種だった。

 

 

 キルトの脳裏に恐ろしい考えがよぎった。

 アンナの手を思わずギュッと握っていた。

 

 (この子をあの怪物に向かってに放り投げれば、時間が稼げるかもしれない……)


 

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