5.『本日限りのマジックを君に』


「私って、案外面食いみたいなんだけどさ」


 空も赤らんできた放課後、ぽつりと京華が呟いた。

 二月の吐息が、ふたりきりの教室に白く溶けていく。


「どうしたの、急に。人類の九割は面食いだと思うけど」

「それはなんというか、世知辛いね!」


 困ったように口角を持ち上げる彼女に、私は苦笑で応える。

 確かに世知辛いかもしれない。でも、避けようのない事実だ。

 だって、例えば地球上に男性が一人しかいなくなったとして、女性が私と京華だけになったなら、その人は間違いなく京華を選ぶだろうし。

 はぁ、ほんと――、


「……世知辛いわ」

「なんて、大して社会を知りもしない私たちがそんなこと言っても、背伸びした子どもにしか見えないだろうけどね!」


 若干の諦念に嫉妬心というスパイスを加えた視線を送り付けてみたけど、京華はぜんぶ吹き飛ばすようにカラッと笑った。

 ムカつくくらい綺麗で、そこはかとなく儚くて――その笑顔を向けられては弱いのだ、私は。


 だから京華に向けて飛ばしかけた溜息を一度飲み込んで、改めて自分に向かって吐き出した。


「溜息は幸せが逃げるらしいよ?」

「溜息程度で逃げる幸せだったら、そいつは最初から私に降り注ぐ気がないのよ。こっちから願い下げだわ」

「わぁ、今日の姫芽は卑屈だなぁ!」


 無遠慮に机を叩きながら爆笑する京華、その姿に私はまたまた息を吐いた。

 本日幾度目かの溜息は、その造形への嫉妬でも自分への諦念でもなく、もっと別の気持ちからだ。


 そんな私を黙って見つめる京華の瞳は夜の色をしていて、まだ陽の落ちきっていない黄昏の教室を反射する。

 ぐっと息を呑んで、余計な言葉が出そうになったから、私は無理やり話を戻した。


「――で、なに?」

「うん?」

「京華が面食いって話でしょ。つづきは?」

「――あぁ、そう。その話だよ。最近、テレビを見るようになってさ」

「珍しい。ていうか、部屋にテレビなんてあったっけ?」


 京華はラジオとか新聞とか、そういうメディアには全く関心を示さなかった。

 さすがにスマホは持ってるみたいだけど、ネットサーフィンにお熱なんて話は聞かない。

 そんな彼女が満を持して手を出した娯楽、テレビジョン。さぞ楽しかろう。

 いやでも、私の記憶によると、たしか京華の部屋にテレビはなかったはずだ。一体どこから仕入れたのだろう。


 そんな些細な疑問は、彼女のたった一言で解消される。

 

「買ったのさ。バイト代で」

「バイト!? 聞いてないんだけど!」

「言ってないからね!」


 その白くて細い指を自分の頬に当て、まるでイタズラが成功した時の小学生みたいに無邪気な笑顔を見せる京華に、私は今日一番の抗議の視線を投げかける。

 それを浴びた京華は、なおも楽しげに頬を緩めながら続けた。


「私は姫芽を驚かせるのが何よりも好きだなぁ! いちいちかわいい反応をしてくれるからね!」

「――。趣味が悪いわ。……なんのバイトしてるの?」

「居酒屋さ。ホールなんだけど」

「うわぁ、似合わない」


 そんな私の所感に、京華はとてつもないショックを受けたように固まった。

 目を見開いて、口をぽかんと開けて。

 そんな姿すらも絵になるんだから、手の付けようがない。


「にあ、わない……」

「それで、テレビがどうしたの?」

「にあ、にあ……」

「テレビ……」


 視線が交差する。

 気まずさと、申し訳なさと、してやったりな気持ちが同居して、どうにも居心地が悪かった。

 から、仕方なく謝ることにする。仕方なくね。


「……申し訳ないと思っているわ」

「なんか嘘くさいけど、許すよ! 姫芽だからね!」

「許されてあげる」

「三秒前の自分を悔いたくなるね! でもそれさえも許すよ! なんたって姫芽だから!」


 ぽんぽん、とその柔らかい手のひらに頭を撫でられ、私は心地良さに目を瞑った。

 つくづく、京華は私に甘いと思う。

 でもきっと私も京華に甘いから、そこはお互い様ってことで。言わないけどね。


「それで、習慣的にテレビを見てたらさ、段々知ってる顔が増えるんだよ。お天気キャスターに、お笑い芸人に、女優。やっぱり人気がある人はそれだけ目にする機会も多くて、頭にも残りやすい」

「売れてる芸人とか、毎日見るわよね」

「そう。で、その中でも惹かれる人が何人かいたんだ。面白かったり、知的だったり、かわいらしかったり、好きになる理由ってのはそれぞれ違ったはずなんだけど……」


 含みを持たせて、京華は言葉を止める。

 数分ぶりにその視界から私が外れ、京華は天を仰ぐように蛍光灯を見つめた。

 これは、あれだ。一番聞かせたいこと、この議論ごっこの根幹の部分を告げるとき、京華がいつも行うアクションだ。

 だから、そう。きっと京華は――、


「――好きになった人に、共通点があった。それが顔、ってところかな」

「――。姫芽、私のこと理解しすぎじゃない? そんなに大好きってことかな、私のこと」

「京華がわかりやすいだけでしょ」


 こちとら、二年以上も京華と放課後を過ごしてる女だ。

 この程度、当たり前に理解できてしまう。

 もちろん、京華がわかりやすいから、ってのが要因としては大きい。

 

 そう得意気に鼻を鳴らす私に、京華は嬉しそうに囁いた。


「――でも、惜しいな。正解はね、『髪型』さ。私が好きになった人は、みんな同じ髪型をしてた。意識していたわけではないんだけどね」

「髪、型……?」

「どんな髪型だと思う?」

「それは……」


 察した。察してしまった。

 恥ずかしいし、なんか自意識過剰みたいだから言えないけど、この小悪魔みたいな京華の表情から、簡単に察せてしまった。

 答えはわかってる。でも、言えない。言えるわけない。


「ヒントはね、どこかの誰かさんと同じ髪型さ」

「――。知らない」

「ありゃ、知らないのかな? それは残念」

「し、知らないわよ……」


 絶対楽しんでる。わかってて楽しんでる。

 すっごく腑に落ちないけど、どうにもならない。

 ――私はこんな京華に、いつだってどうしようもなく悩まされるのだから。


「答えはね、姫芽と同じ髪型だったんだ」

「――そ、そうなんだ。それはびっくり」

「白々しい姫芽もかわいいなぁ」


 目が泳ぐ。眼球の筋肉をトレーニングしてるわけじゃないけど、たぶんそれくらい泳いでたと思う。

 京華はたまに、こうやってストレートに私をおちょくってくる。

 最近は特に、遠慮がない。


「それでさ、髪型ってのも容姿に含まれるでしょ? つまりこれも、広義的には『面食い』ってことになるんだろうね」

「いや、それ……」


 私のことが好きなだけなんじゃあ……なんて言えるわけないでしょ!

 あーもう、暑くなってきた。恥ずかしい。


「と、とにかく! 髪型ってのは容姿には含まないんじゃない?」

「そうかな? 少なくとも、『内面』ではないよね」

「そりゃ、そうだけど……」


 内面に当てはまらないものは全て外面、とするのは些か安直すぎるのではないか。

 私の感覚としては、外面というのは生まれ持った造形、後から手の加えられない領域だ。


「顔とか身長とか、そういう自分じゃ変えられない部分を外面っていうんじゃないの」

「変えられるさ、顔も。身長の方だって最近は骨延長手術なんてのもあるみたいだし」

「それは、極端な例っていうか……」

「でも、いくらでも前例はある。少なくとも、『変えられない部分だから外面』って前提は成り立たないんじゃないかな」

「そうかもだけど……」


 いつの間にか日も暮れ、窓から夜が差す教室は、ぼんやりと仄暗い蛍光灯に照らされている。

 京華は時間の管理が上手い。日が暮れたということは、この話ももうすぐ終わるということ。

 それがどうにも寂しくて、私は繋ぎ止めるために反証を探す。見つからない。終わってしまう。


「だから、性格……『内面』以外の、私たちが視覚で捉えられる部分を『外面』と呼ぶ。それが合理的だと思うよ」

「で、でも……」

「例えば、顔。外面だね。髪型。これも外面。あとは……もしかしたら私たちの制服とか、ネイルとか、靴に魅力を感じる人もいるかもしれない。それも外面さ」


 京華は足音を教室中に木霊させ、私の座る席の正面に立つ。

 知らない誰かの椅子を引き、ゆっくりと腰をかけ、そのしなやかな指で頬をついた。

 ふわりと、石鹸みたいな香りと安心感に包まれる。

 目が合うと同時に、彼女は大きくにやけて言った。


「――つまり、姫芽の髪型に無意識下で惹かれていた私は、面食いということになるんじゃないかな」

「――。なんか、今日の京華って……」

「うん?」

「……なんでもないわ」


 ――なんか、今日の京華って、暴走気味じゃない?

 そう言おうとして、私は口を噤んだ。

 いつもはこんな感じじゃない。最近は私の心を掻き乱しがちだけど、それでもここまであからさまじゃない。

 だから妙な違和感があって、それを指摘しようとしたけど、やめた。


 だって――、


「……ほっといたほうが、お得だもの」

「なんのこと?」

「だから、なんでもないわよ」


 もしかしたらすっとぼけてる可能性だってある。

 京華のことだ。私のこの反応すら楽しむために、ドキッとすることをふざけ気味に口にしているのかもしれない。


 それでもいい。

 この放課後を楽しんでるのは、私も同じなんだから。


 あ、でも――、


「らしくはない、かな。やっぱり」

「人の『らしさ』がどこにあるのかって話は、中々答えの見つからない類の命題だと思うけど、姫芽はどう思う?」

「知らないけど、この場合の答えは私の中にあるわよ」


 京華らしいという言葉。言い換えれば、京華への偏見だ。

 それはきっと、京華と関わった人の数だけある。

 だけど――京華は私くらいとしか喋らない変わり者だから、『京華らしさ』なんてものは、もしかしたら私の中にしかないのかもしれない。

 ともかく、こと今においての用例としては、こうだ。


「――催促してるでしょ。それと、うずうずしてる」

「――。バレた?」

「バレるように仕向けた、の間違いでしょ。……はぁ。はい、これ」

「――あ」

「言っておくけど、私だってタイミングを窺ってたんだからね」


 自らの悪巧みが看破されたにも関わらず、その瞳に隠しきれない輝きを灯し、今か今かと待ちわびている京華に、私は鞄から取り出した箱を手渡した。

 申し訳程度にラッピングされている、こじんまりとしたその箱は、今朝私が包んだものだ。


 今さら恥じるような間柄でもないのに、むしろだからこそ、改まった空気感にみるみる熱くなっていく。

 いつしか京華の顔を直視できずに、私は視線を逸らした。


「――一応」

「うん?」

「……一応、手作りだから。大事に食べてね」

「――。姫芽ぇ〜!」

「うわっぷ」


 途端、視界を艶やかな黒が、嗅覚を甘やかな石鹸の香りが、身体中を干したての毛布みたいに柔らかい感触が支配する。

 感極まった京華が、遠慮なく私に飛びついてきたのだ。

 あったかくて、ふわふわで、気持ちいい。


 ――ハッピーバレンタインなんて小洒落た言い回しは私には似合わないけど、こうやって全力で喜びを表現してくれる京華だからこそ、私は照れくさいことだって出来てしまう。

 罪深い女だ、京華は。


「……で」

「で?」

「……京華からはないの?」


 問いかけると、京華はピタリと動きを止め、ゆっくりと私を引き剥がし、一度まっすぐ見据えて、それからなんとなく気まずそうに視線を逸らして――、


「……その、来年に期待してくれないかな」

「――へ?」


 持ち前の綺麗な人差し指で頬をかきながら、お手本通りの苦笑いを浮かべ、冷や汗を垂らしていた。


「いや、私だって全力を尽くしたつもりだよ? もちろん、愛情だってたっぷり詰め込んださ。でもさ、まさか私にあそこまでお菓子作りのセンスがないなんて、予想もしてなかったっていうかさ。あれは例えるなら……そう、闇鍋。チョコレート界の闇鍋を生み出してしまったんだ。自分で食べるならそれでも構わないんだけど、さすがに姫芽にあんなエキゾチックなゲテモノは――」

「――そんなことはいいわ。持ってきてるんでしょ」

「――。ご明察の通り、例の物は私の鞄に未練がましく入ってるんだけど、いくら姫芽の頼みでもこれを渡すことは……」

「それでもいいって言ってるの。ちょうだい」


 いつになく言い訳がましく仰け反る京華に、ぐぐっと顔を近づける。

 彼女は本気で焦ったように目を丸くして、なおさら汗が頬を伝った。


「私は面食いじゃないわ。大事なのは、過程と中身――それから、気持ち」

「きもち……」

「私のことを想って作ったなら、自信もって私に食べさせなさいよ。ほら、出して」

「ちょちょちょ、姫芽、待って――!」


 京華に許可を取ることなく、彼女の鞄をかきわける。

 プリントとかノートの切れ端がぐちゃぐちゃに散乱していて、こういうところはだらしないんだよなぁ、と再認識。

 そしてその奥底、一番大事そうに――いや、一番忌々しそうに封印してあった箱を、勢いよく奪い取った。


「も、もう、姫芽ったら強引なんだから。……後悔しても知らないよ?」

「するわけないでしょ。開けるわよ」


 紙で出来た小さな箱は、贈り物用に売っているやつだ。

 それはつまり、京華も私のために準備してくれたという事実を、そのまま裏付けるもので。

 ささやかに幸せを噛み締めながら、私はその箱を開けた。


「わ――わ、わぁ……」

「ど、どうかな……?」

「え、えっと……」


 ご登場なすったのは、黒い塊だった。

 いや、チョコだってきっと黒い塊なんだけど、それよりももっとどす黒くて、恐ろしいなにかだ。

 そう、恐ろしいなにか。そうとしか言えない。

 念の為、これを生み出した張本人に、話を聞いてみることにする。


「こ、これは……なに?」

「チョコだよ」

「チョコかぁ……」


 最近になって、チョコの認識と定義が変わったのかもしれない。

 そう思えばこの物体も……チョコ、かなぁ。


「あの、飛び出してるやつは?」

「あれは煮干しだね!」

「あぁ、うん、そういうの入れちゃうタイプかぁ……」


 たしかに京華が料理をするなんて話、聞いたことはなかったけれど。

 うん。よし。


「来年に期待するわ」

「ああっ、酷い!」

「大丈夫、信じてるから」


 見なかったことにして、黒い塊を箱に閉じ込め再封印する。

 そのまま鞄の奥底に沈め、大きく息を吐いてから向き直り、私は京華の細い肩に手を置いた。


「京華。人にはね、得意なことと苦手なことがあるわ。だから気に病むことなく、京華には得意なことをどんどん伸ばしてほしいの」

「なんだか、姫芽の中の私が音を立てて崩れた気がするよ……」


 暴走気味だった本日の京華は、やっぱり最初から最後まで暴走気味だった。

 でも、そんな日があってもいい。あの黒い塊のことは忘れることにするけど、たくさんの色が、日常にはあっていい。

 なにより、京華の新しい顔が見られて――、


「どうしたの?」

「――ううん。やっぱり、お得だなって思っただけ」

「何がなのかさっぱりわからないよ!」

「わからないように話してるもの。さ、帰るわよ」


 私が立ち上がると、京華も渋々と鞄を持つ。

 誰もいない廊下にふたり分の足音を響かせ、わざとゆっくり歩いていく。

 毎日がちょっとずつ彩られるこの放課後が、今日はなおさら愛おしく思えた。

 ことさら、最近は京華を出し抜けることも多くなって、自らの成長も感じる。


「だからさ、京華」

「うん?」

「これからも一緒にいてあげるから、これからも一緒にいて」

「――。もちろん」


 本日限りのマジックが、私にそんな照れくさい言葉を言わせた。

 でも、今日くらい、いいよね。

 なんたって――、


「ハッピーバレンタイン、姫芽」

「――ハッピーバレンタイン、京華」

 

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