4.『その思考を欺いて』


「――勝負をしようよ、姫芽」


 光を遮る暗雲が、まだ陽の落ちきっていないはずの放課後を闇で照らした。

 大粒の水滴が窓を叩き始め、それを背に指を立てた京華の姿はなんとなく妖しげに見える。


「……勝負なんて珍しい。京華って、お喋り以外に脳みそのリソース割けない人かと思ってた」

「失礼じゃないかな、それは!」


 不服を申し立てながらも白い歯を見せる彼女に、私は先の言葉通り僅かな感心と関心を得ていた。

 私たちといえば、毎日ふたり寂しく放課後を共にしているでお馴染みなわけなんだけど、彼女と知り合ってからの二年間、『雑談』とか『議論ごっこ』みたいなアプローチでしか暇を潰す手段を持たなかったというのに。


 そこはかとなく京華の表情もいつもと違って見えるのは、まぁ私の気のせいかもしれない。


「勝負って……なにするの? 消しゴム落としとか? あ、じゃんけん?」

「お金もかからず手軽な選択肢、実に高校生らしくて魅力的なんだけど、もっと私たちらしい遊びを提案するよ」

「私たちらしいって、私『自分らしさ』って言葉はあんまり信用してないんだけど……」

「嬉々として消しゴム落としを提案したとは思えない大人っぷりだね! でも今回はそういう話ではないんだ! ――『水平思考ゲーム』って知ってるかな」


 私の屁理屈、あるいは誤魔化しの類である返答すら意に介さず、京華は不敵に笑ってみせた。

 瞬間、私を除いてがらんどうになった教室が強烈に照らされる。

 眩く私の瞳を刺したそれは、遅れて鼓膜に荒々しい衝撃をもたらした。


「――きゃっ」

「ありゃ、本降りになってきたね。しばらく帰れなそうだ。ま、都合いいけどさ」


 視線を窓の外に移し、どんよりと重苦しく主張する空を眺めながら、京華は雷鳴すら気にもとめずに呟いた。

 ――きゃっ、とか言って、典型的な女子リアクションを漏らしてしまった私の顔が熱を持つ。

 いや、そりゃ私だって華の女子高生、立派な女の子なんだけど、京華の前でだけは強い女でいたいのだ。時すでに遅しかもしれないけど。


「……それで、なんだっけ。水平思考ゲーム?」

「――あぁ、そう。その話だよ。姫芽が私にいくつか質問をして、私の考えていることを当てるんだ。その間、私は『イエス』か『ノー』でしか答えない」

「よくあるやつね。いいわ、乗ってあげる」

「はは、さすがは姫芽。そうきてくれると思ったよ」


 薄い唇に手を当て、切れ長の目を微かに細めた京華は、やっぱり妙に妖艶に思える。

 ずるい。私だってあんなあざとい動作をしてみたい。

 でも無理だ。どうしたってオトナの女性に憧れてるお子ちゃまにしか見えないだろうから。


 さて、それはともかく。


「私は京華の考えてることを当てればいいのね?」

「なんだか自信ありげじゃないか、姫芽」

「ふふん、当たり前でしょ。そんなのいつもやってることよ」

「たしかに最近の姫芽は恐ろしい程に私の心を言い当てるけど、今回ばかりはそうもいかないさ。なんたって、用意してきた問題なんだからね」


 さっきまでの印象とはうってかわって、オトナな雰囲気をかなぐり捨てたドヤ顔で京華が頬を歪めた。

 あれは、きっと勝ちを確信している時の顔だ。

 なにか策があって、自分は負けないと高を括っているときの目つきだ。

 まぁ――、


「じゃあ、いくよ。あ、ノーヒントじゃあまりに私に有利すぎるからね。ヒントを出しておくと、『人――」

「――それは、『私』ですか?」

「……姫芽。初っ端から飛ばしすぎじゃない?」


 ――それさえ、その得意気な顔さえ、私からすればいつも通りなんだけど。

 あれだけ大きく見えていた京華は、出鼻をくじかれたように縮こまり、バツの悪そうに眉を下げていた。


「……一応聞いておきたいんだけどさ。その回答には相応の羞恥心ってものがついてくると思うんだけど、姫芽はそういう感情を失ったのかな」

「はいはい。それで?」

「……正解」

「ふっ、だから言ったのよ。いつも通りだって」

「私の立場が危ぶまれている」


 この二年間、京華には幾度となく丸め込まれてきた。

 今日この日までの戦績表があるならば、きっと私にはおびただしい数の黒星がついている。

 だから、こうやってたまに京華を出し抜けた暁には、私はこうしてやるのだ。


「――――」

「……姫芽のドヤ顔には、守りたくなる魔力があるね」

「強制的になんとなく負けた気にさせてくるのやめなさい」

「それはともかく……じゃあ、攻守交替で」


 口を尖らせたまま、京華が聞き捨てならないことを言った。

 

「え?」

「次は姫芽が当てられる番だよ。次は私が勝つから」

「京華ってもしかしてかなりの負けず嫌い……? うん、イメージ通りではあるけど」


 てっきりこれで、私の勝利という結果を残して終わるものだと思っていたら、そうは京華が許さないらしい。

 何がなんでも勝つまでやるつもりじゃないだろうけど、さすがに。


 ともかく、求められたなら仕方ない。

 まずは攻で勝ち、次は守でも勝つ。

 今回は私の完勝で終わらせてもらう。


「いいわ。じゃあ、質問をして」

「もう決まったんだ、早いね。じゃあ……『それは口に入れるものですか?』」

「ノー」


 大丈夫。なんとなく勝てる気がする。

 今日の京華は、いつもよりチョロい! たぶん!


「食べ物じゃないんだね。飲み物でも、薬でもない。ならアプローチを変えてみようかな。『それは姫芽の好きなものですか?』」

「――。うん、まぁ……『イエス』かな」

「ふむふむ。姫芽の好きなもの……あ、『それはお菓子ですか?』」

「『ノー』」


 一問一答を重ねていく。

 当てが外れるごとに、京華は顎に手を当て深く思案する。

 その動作から察するに、本気で正解をもぎ取りにきているのだろうけど、甘い。

 そんな思考回路じゃ、きっといつまで経っても答えにはたどり着けないよ。


「あ、わかった」

「――っ。なに?」

「それは……『かわいいキャラクターですか?』」

「っ、『ノー』よ」


 びっくりした。その表情が、私をどこまでも見透かす時の表情だったからだ。

 頭のいい京華のことだから、もう答えにたどり着いてしまったかとも思ったけど、杞憂だったらしい。

 私は安心から、大きく息を吐いた。


 それにしても……『かわいいキャラクターですか?』か。

 もちろんそれは『ノー』なんだけど、危ない質問だった。

 もし質問が『それはかわいいですか?』だったら、うんと迷った後に私は『イエス』と答えていただろうから。


「『観光地ですか?』」

「『ノー』」

「『本ですか?』」

「『ノー』」

「『娯楽ですか?』」

「『ノー』」


 ほら、やっぱり京華はわかってない。

 困り果てて、当てずっぽうで数打ちゃ当たる作戦に打って出ちゃうくらいだ。

 この調子なら、今回も私の勝ちかな。


「『グッズですか?』」

「『ノー』」

「『歌手ですか?』」

「『ノー』」

「『インテリアですか?』」

「『ノー』」


 気持ちいい。すっごく気持ちいい。

 なんというかこう、京華を手玉に取っているような。

 付き合いも長くなってきて、京華を驚かせることはできるようになってきた。

 だけど結局は京華の手のひらの上というか、正面から優位に立てたことはなかったのだ。

 それが今はどうだ。この京華の困った表情はどうだ。

 こんな新しい表情を引き出してくれて――水平思考ゲーム、様々かもしれない。


「『靴ですか?』」

「『ノー』」

「『ペットですか?』」

「『ノー』」

「『アクセサリーですか?』」

「『ノー』」

「『私ですか?』」

「『ノ……え?」


 うん?

 今、なんか、唐突にぶん殴られたみたいな衝撃を受けたような。

 いやいや、気のせいだろう。第一、答えにたどり着くには脈絡も気配もなかった。

 気のせい、だよね?


「『それは、私ですか?』」

「――っ、え、ぁ」

「どうしたの、姫芽。答えは?」

「ぁ、ぇ、その……」


 顔を上げる。

 そこには――それはもう満面の笑みで、全てを見透かしたように、ぜんぶを知られているように、ほんっっとにムカつくほど美しい顔面を晒す京華の姿があった。

 や……やられた!


「きょ、きょうかぁぁぁああ!!」

「あれ、どうしたのかな。答えをまだ聞いてないんだけど」

「だって、まだ、え、なんで! いつから!?」

 

「うん? もちろん――最初から♡」

 

「――せっ、性格悪いわよ! ばか! ばかぁ!」


 ぜんぶ布石か!

 一番いいタイミングで刺すために、私を弄ぶために、わかってないフリをして……!

 ぜんぶぜんぶぜんぶ――!


 え……最初からって、まさか。


「私に当てさせたのも、わざと……?」

「もちろん。姫芽ならすぐに当ててくれると思ったよ」

「――! しんっっっっじられない、もう!」


 せっかく勝てたと思ったのに!

 京華に、京華が、京華……京華ぁ!

 最後に勝つために負けるなんて発想、女子高生のものじゃないのよ! 完全にギャンブル漫画の主人公でしょうが!

 負けた、負けた、負けた……また私、京華に負けた!


「もう自信なくなってきた……」

「ああっ! べ、別にそんなつもりじゃあ……!」


 まぁ、いいか。

 結局ほら、こうやって焦る京華の顔っていうのは、なんだかんだ見せてくれてるし。

 私のために焦ったり、笑ったり、ドヤ顔したりする京華の色んな表情は、なんていうか、好きだ。


 こういうのが、私たちの形なんだな、と再認識した。


「……京華」

「なっ、なにかな、姫芽!」

「雨、上がったみたいよ」

「――。そうだね、帰ろうか」


 負けたというのに、なんだか清々しくて。

 楽しくて、愛おしくて、胸がギュッてなる放課後は、今日も暮れていく。

 廊下をふたりで並んで歩きながらそんなことを考える私は、とりあえず一発、京華に蹴りをお見舞いしてやった。

 

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