第37話


奈津美は、本社ビルの女子トイレの洗面台で、女子社員の話を聞いていた。




「昨日の合コン、マジで外れ!友達で一番いいやつ連れていくって男幹事が言ってたから、こっちも一番可愛い子連れていったのに!」


「なにそれ~、騙されたね~」




(いやいや、向こうも外れって思ってるかもよね)




男の思う可愛いと、女が思う可愛いが合致しないことなど、世の中の常識中の常識のはずだ。




それでも、自分のことを棚に上げて文句を言いたくなるのが男女だ。




(男の思う可愛いを狙って出来る女なら、そもそも合コンなんていく必要ないよね)







秘書課の牧田は、居酒屋で出来上がっていた。




「おい、もうやめた方がいいぞ・・」


座敷席のテーブルの上に徳利が数本倒れている。その前に飲んだ、ハイボールのグラスもそのままだ。




野口は帰りたいけど、こんな状態の知り合いを放ってはおけずにいた。




数時間前のこと・・・




野口は、趣味の地下アイドル握手会に参加後、秋葉原でアニメの新作フィギュアを入手し、ホクホク顔で信号を渡っていた。




後は四郎系ラーメン食べて帰れば完璧だ。




と思って、駅から近いラーメン屋に行くところで、秘書課の牧田とばったり会った。




日曜日の17時。


仕事で何度か絡んだことがある程度で、挨拶するほどの仲良しではないから、スルーしようとした。




「野口、あんた、よくそんなに休日楽しんでられるわね」




はっきりと、聞こえるように言われて、これはスルーできないと思い、




「お疲れさまです」


だけ言って、去ろうとした。




「あんた、ニュース見てないの?システム課、昨日の夕方やらかしてるわよ」




「は?」




会社からの着信はない。




「俺、しらねーし」


「でも、あんたの担当のせいで、私達が迷惑こうむってるんのよ!」




牧田がシステム課のやらかしを知っていることは明らかで、それを知りたくなり、横断歩道の端っこでしばらく意見交換したが、長くなりそうなため、店に入ることになった。




友達の少ない野口にとっては、他人とのご飯は数ヵ月ぶりだった。


女性と入る店も当然知らないため、いつものヲタク友達と入る赤ちょうちんの居酒屋に連れていく。




港区のイタリアンやフレンチ、おしゃれカフェを制覇してそうな女、牧田からもっと文句を言われるかと思った。




案の定、びっくりした顔をして、キョロキョロ見回してはいたが、お通しでビールを飲み始め、意外と嫌いではないようでホットした。




そして、会社のやらかしのせいで、関連部署が今めちゃくちゃになっていることを知る。




事の発端は、システムエラーだった。商社の社内ネットワークに大きな欠陥が見つかり、メインシステムが完全にストップしてしまった。


最初は、システム課だけで対応しようとしたができず、野口が次の日になって呼ばれた。


野口は、システム課に直接所属しているわけではないが、システム関係にめっぽう強いため、非常事態だけ呼ばれることがある。




そして、野口はそのシステムの欠陥を見て驚く。


いくらなんでも、作りが悪すぎる・・・。


簡単に言えば、老舗旅館の本館、新館、別館が、時期がバラバラに改修、建て増しされ、辛うじて渡り廊下1本で繋がっている、広すぎて目が行き届かない場所があり、法令遵守できていない場所もある・・という感じが、システム上でも起きていた。




野口は、これは不味いと思い、至急システムの全容を把握し、書き換えを行うことを上層部と決めた。


全容把握だけでも、かなりのボリュームだった。


閲覧権限や今はいなくなった担当者のパスワード解除などに時間がかかり、家に帰らず2徹夜を要した。




さらに、商社としての信頼を保つため、大口の契約は、一時的にでも至急復旧など、優先順位をつけながら慎重に進めた。




データのバックアップ、システムの書き換えなど手が足りないため、システム課で


チームを作り、野口と上層部が作った計画書通りに作業が行われた。




やっと昨日復旧した・・はずだが。




最後の最後でチームの一人が確認を怠り、書き換えミスから、再び止めてしまったらしい。




なるほど。野口の計画書の不備ではなく、人為的なミスだから、わざわざ電話がかかってこなかったのか。




そして、秘書課の牧田の担当する役員、松坂副社長が、プレス発表で頭を二度も下げる結果となってしまった。




牧田曰く、副社長は、現場からの叩き上げの生粋の亀安商事の人間で、社員思いの人徳に溢れた人らしい。


牧田も、若いときから公私ともにいろいろなことを教わり、お世話になってきた。




そして、今回のシステム故障の責任を、役員の誰が取るべきという話題になったとき、言いやすい副社長にという意見が出たのだ。




外資系企業から引き抜き、去年から役員になった会社を知らない狸ジジイからその話が出たときは、秘書課や関連部署の松坂にお世話になってきた人間が激怒した。




「・・だいたいね、システム課のポンコツマネージャーのせいじゃないの!」




もうお腹はいっぱいになったが、酒のあては必要だ。


追加で頼んだキュウリの浅漬けと冷やしトマトを大事に食べながら牧田は言う。




「まーな」


何つべなく野口は返事する。




野口の今回の仕事は、システムの復旧計画をたてることだけだ。


人員の選別や配置は、上司達がするべきだ。




「そもそも、あんたの計画が無理だったんじゃないの?」


「・・・手順は完璧だったはずだ」


「完璧じゃないじゃない!松坂さん、全然関係ないのに、このままだと飛び火しちゃうわよ。」


グイッと日本酒を飲み干し、手酌で熱燗を注ぐ。


牧田は、顔色は全く変わらないが、確実に酔っている。




完全に絡み酒だ。自分だって役員人事には関係ないのに、たちの悪い酔っぱらいに絡まれ、おごらされそうになっている。


ちなみに野口はアルコールに弱いので、酒代は牧田のためだけにかかりそうだった。




「もう、やめた方が・・」




時計を見ると、21時半だったが、結局23時近くまでその日は愚痴に付き合うことになった。







次の日、野口が出社すると、システムは復旧していた。




ミスをした社員は責められていたが、野口は知ったこっちゃない。




それよりも、昨日の夜、相当飲んでいた牧田が気になる。




念のため、社内メールで牧田に体調を聞くも、その日は返事がなく、まあ、忙しすぎてそんなメール無視だろうな、と思った。







「珍しいですね、牧田主任がアクエリアスなんて」




秘書課の牧田の後輩が声をかける。




「昨日飲みすぎて、頭痛いのよね」




ビールやハイボール、日本酒数種類をチャンポンしてしまったつけか、避けに強い牧田でも、さすがにアルコールは残った。




顔がむくんで、化粧のりが悪いのも嫌だった。




「今日も株主説明会でしょ」




大不祥事を起こしたため、筆頭株主から説明責任を求められ、副社長がリモートで謝罪することになっている。




牧田はその資料や準備でほぼ始発から出社していて、家にはほとんど帰っていない。




職場に来てからも、自分の席に座る時間すらなく動き回り、もうすぐ昼だが休憩が取れるかどうかも怪しい。




副社長の弁当を用意したところ、副社長が牧田とその上司の弁当も一緒に頼むように言ったため、美味しい弁当はゲットできたが、夕方までに時間があればいいのだが。




尊敬する副社長は、今日もキチッとした身なりで、紳士な態度だった。


だが、長年秘書としてついている牧田には、疲れていること、そして、先の子とへの覚悟をしていることが伝わってきて、牧田は辛かった。




「牧田くん、よく平気だね・・僕は辛いよ」


牧田の直属の秘書の上司は悲しい笑顔で言う。


秘書課に来る前、営業時代から松坂副社長にお世話になっているため、恩は深い。




「辛いですよ・・。」


今までだって、自分の担当する役員が、責任を取って表舞台から退陣したことなど何度も経験した。


役員とは、そのためにいるとも言えなくもないことは、知っているつもりだ。




それでも今回は悔しい。


どこの馬の骨とも分からない、新人の役員にやり込められているのが。




「牧田くんは、もっとピリピリするかと思ってたけど、肝っ玉が大きいな」


上司がハハハ、と笑っている。




確かに、いつもの自分ならもっと気を張ってピリピリしているかもしれない。


だが、今日はこの緊張感で張り詰めた中でも、余裕があった。




「私も、大人になったってことでしょうかね」


牧田は冗談で返す。


「いやいや、昨日までかなりピリピリしてたよ」




(すみませんねー、いつも怖くて)




牧田は自分が怖いといわれていることは知っているので、それを遠回しに言われ、ピリッとした笑顔でニコリと返した。




上司は去っていった。




一人になった牧田は、はぁ、とため息をついた。


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