第36話
宗像豊は、屋上でたばこを吸いながら、空を見上げる。
今日も自分を悔い、天に昇る煙が目に染みる。
※
「え?山下さん、宗像先生知らないの?」
秘書課の牧田が食後のコーヒーを飲みながら言う。
奈津美と牧田は、石窯ピザの有名な店で、女子会限定コースを食べていた。
この店の4種のチーズピザにはちみつをたっぷりかけて食べるのが二人の2ヶ月に1度の楽しみだ。
牧田が、産業医の宗像に誰かいい人いないか、と奈津美に聞いてきたのだ。
鶴安商事には、専属産業医がいる。
産業医は一定の人数以上を雇用すると必ず配置するように法律で定められているが、奈津美のように所謂、健康的な一般的な社員が会うことはなく、初めて聞く名前だった。
「何で牧田さんは知ってるんですか?」
奈津美は紅茶を飲んだ後に問う。
はっきり言って、牧田の方が心身ともに健康そう。
「あいつ、医者の癖にタバコ吸うから、喫煙仲間だったのよ」
今は牧田は吸っていない。
「見た目も結構いい男で、独身で一見チャラ男で、紹介してっては言うのよ。
でも、社員の女の子を紹介しても、いっつも理由つけてうまく行かないように自分でしてる感じなのよ」
(ああ、いるいる、そういう人。)
「でも、私紹介出来る友達、いませんよ」
正確には、紹介出来る友達はいる。
が、美女の牧田がいい男というイケメンを紹介できるような類の女の子ではないのだ。
「奈津美さんはどうかしら?」
「私はいいです」
きっぱり断る。
「そもそも、社内の子がダメなら、私もダメですよね」
「まぁね」
牧田は、簡単に引き下がった。
※
「自殺の調査、ですか?」
次の日、奈津美に来た上司からの業務命令は、自殺の調査だった。
入社3年目の若手社員が、2ヶ月前に自殺したらしい。
家族はパワハラがあったと言っているが、
会社的には、そんなものなかったと言いたい。
そもそも、そんな大事な案件は、人事の仕事で、奈津美のような隠密部隊ではないはずだが・・。
「山下さんには、その他の自殺する理由がないか、を探ってほしいんだよね、うん、今関係社員リスト送るから」
奈津美の上司、貫田課長は、メールを転送する。
「はぁ・・・」
そもそも、自殺するほど追い込まれているなら、周りの人にもわかって、人事の聞き取りで明らかになっているだろう。
奈津美は自分が出来る範囲のことをして、なにもありませんでした、で終わりそうと思っていた。
※
独自の聞き取りを初めて2日後、自殺した社員の異動の前の部署での直属の先輩のパワハラを確認できた。
念のため、裏付けに同僚に聞いたところ、産業医に相談していたという。
さっそく奈津美は、上司から人事部経由で宗像に話を聞く手配をしてもらった。
産業医の部屋は、奈津美のいる、総務部第三課と別の意味で離れだった。
オフィスでも、人通りの少ない場所の奥の部屋。
「こんにちは、失礼します」
奈津美は、面談予約の時間を少し過ぎたくらいに訪問した。
宗像は、ちょっとタレ目の30代半ばの長身のイケメンだった。白衣を着ている。
部屋は殺風景で、黒の皮のソファと机、宗像用のデスクと、書棚だけだった。
「青島君、でしょ?2年前に過重労働面談したよ」
奈津美がソファに座った瞬間から、話し始める。
人事から、奈津美の訪問の目的は聞いていて、それ意外のことは話す気はない、というスタンスのようだ。
「その時、先輩とうまくいかない、とか言ってませんでした?」
奈津美は自分の仕事をもくもくとする。
「まぁ、少しはね」
「少し、ですか」
「入社2年目の社員が、当たる壁みたいなもんじゃないのかな」
宗像は飄々と答える。
この感じだと、面談した記録は残っていないのだろう。
ただ、少しドライに答えすぎていることが奈津美は気になった。
何かを隠したい時ほど、余計なことを話してしまう、逆にさらっと違う話題にしようとする人を見てきた。
奈津美のカンが、宗像が本心と言葉の軽さの不一致をひっかけ、「そうですね」と無意識に流せなかった。
「ごめんなさい、本当のこと言ってもらえますか?」
「え?」
「いえ、その・・本当のことは言っていただいているとは思うんですが、宗像先生の・・そう、宗像先生の対応した感想とか、今の思いみたいなの・・」
「へぇ・・」
感心したように奈津美を見る。
「ちょっと長くなるから、何か飲むかい?」
そういうと、冷蔵庫の中から、ほーいお茶のペットボトルを出して、奈津美に渡す。
そして、話し始める。
「自殺したって聞いて、とてもショックだった・・」
その言葉から始まったのは、宗像の産業医としての後悔の言葉だった。
最初は過重労働面談で会った。
大人しいけど真面目で、会社のためにとても一生懸命頑張っていた。
次に会ったのは、ストレスチェックの面談希望だった。
その時は、もう顔色が青白く、メンタル不調の症状が強く出ていた。
宗像は、すぐに紹介状を書き、自分の信頼出来るクリニックに紹介した。
しかし、クリニックの予約は1ヶ月待ちで、なかなか受診できなかった。
そうするうちに、ついにある朝職場に来れなくなって、寝込んでしまった。
宗像は心配し、家に電話をかけた。何日もかけたが、出なかった。1回だけ出て、「大丈夫ですよ先生」と言った。
そして、次に出てきた時は、人事異動で所謂緩い部署に配属された。
しばらくは、その部署でうまくやっていた。しかし、あるとき、パワハラをした先輩の同期が異動してきた。その先輩は、腫れ物にさわるように、わざとらしく優しくした。
青島は、せっかく忘れようとしていたのに、わざとらしい優しい対応が、ボディブローのように心に刺さり、辛くなってきた。
周りの人も、その優しい対応は、「気を遣っていていい先輩に恵まれたね」という。
青島は普通に接してほしいとは言えなかった。そして、気を遣わせる自分は、どこまでダメなやつなんだ、と今度はまた自分を責めるようになった。
青島は喫煙者だったため、宗像とたまたまあった時、喫煙室でこの話をした。
「先生、タバコって煙いですね、いつか染みなくなる日はありますかね」
少し涙を浮かべながら暗い喫煙室、暗い笑顔で言っていたのを忘れられない。
「タバコをやめろよ」
その時は、産業医としてそうとしか答えられなかった。
だから、このことは、公式の記録には残していないし、人事に報告していない。
人事は、自殺した当時の職場でパワハラはなかった、で通すつもりのようだ。
・・・優しい対応だったのだから。
「山下さん、これ聞いてどうするの?」
最後まで話して、宗像は聞いてきた。
奈津美は、どう報告すればいいのだろうか。
正直に話して、先輩を訴えさせて、会社と家族を対立させたいわけではない。
かといって、先輩のした「腫れ物扱いのいじめ」は、何も非がないのだろうか?いや、このままなかったことにしたくない・・。
「私は・・・」
貫田や、人事部の知り合いの顔を思い出す
。
「私正直に、上司に報告します。
だって、私みたいな力がない一兵卒じゃ、何も出来ないじゃないですか。悔しいもの。うちの会社の人事や監査の人って、ちゃんとしてるって、私信じてますよ」
それなりに出世している人は、人徳もある。
「もちろん、宗像先生から得た情報とはいいませんよ。私、これでも独自の情報網持っているので、大丈夫ですよ」
「・・・。山下さん、俺より会社組織に馴染んでるね」
「先生は、先生のお立場があって動けないのでしょう」
自殺案件での産業医の意見はものすごく重い。社会的な影響度を考えると、なかなか動けなかった。
「・・・ありがとう」
「いえ、私はただの諜報屋さんなので、期待しないでくださいね。
あと、秘書課の牧田さんが、先生に誰かいい人いないかって、いっていましたよ」
「・・・はぁ。余計なお世話だっていっててくれる?」
「はーい」
そうして、奈津美は産業医面談室を去った。
貫田に報告し、あとは人事部がうまく調整するだろう。
噂によると、いじわるした先輩は、2人とも次回の人事異動で出向らしい。
※
宗像は今日も屋上でたばこを吸う。
「まだ、もう少し続けてみるかな。」
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