第29話



夜20時の食堂のキッチンに、泉は一人で待っていた。




「ごめんね、遅くなってしまって」


「いや、山下さん、大丈夫です。そちらがさっきラインで教えてくれた同僚の方ですね」


「こんにちは、進藤です」


進藤は笑顔で挨拶する。




「私も進藤くんも、料理は自信ないけど、がんばるね」


奈津美は料理は出来ないことはないが、特に好きでもない。


簡単な切る、焼く、煮るはできるが、揚げ物と味付けは面倒だからしたくない、一般的な共働き主婦レベルだった。




とりあえず、一つ作ってみる。


3人ともエプロンに着替える。




そして、泉は驚くほど手際が悪かった。




途中で落としたり、切ってはいけないところを切ったり、調味料を入れすぎたり、いちいち確認していたり。


料理の手順には、その時に間違えると後では修復出来ない時がある。


見事にそこを間違えて、失敗して作り直した。




「泉君、もしかして、不器用?」


「・・・はい。」


(いやだ、神経質なインテリ風眼鏡が不器用なんて、萌えるわ!


まあ、でも、だから調理したがらなかったんだね)


「山下、ちょっとニマニマして気持ち悪い」


進藤がじとっと見てくる。




「よし、じゃあ俺もやるぞ」


進藤は驚くほど手際がよかった。


海外時代は太らないように自炊していたらしい。


野菜を切るのがとにかく早く、迷いがない。


進藤は、どうだ?とばかりに、奈津美をチラチラ見るが、奈津美は視線が鬱陶しかった。


「進藤くん、次これもね」


「山下、俺に冷たくないか?」


「全然」




「ほら、お前これ切れ、こっちが先な」


どことなく兄貴風を吹かせ始める進藤だが、


「進藤さんに言われなくても、自分で作ったメニューなので分かっています」


ちょっと面倒がられている。


進藤は諦めずに手取り足取り教える。


(やだ、進藤くんと泉くんのツーショット、いいんじゃない?)


少しだけ、BLナマモノに目覚めそうな奈津美は、心のシャッターをパシャパシャした。




どうにかして、3食作り、3人で試食をする。


味が薄味になりがちでボリュームが足りないこと、オペレーションが煩雑になることの課題が残り、後日また作ることになった。


そして、後日作ると、飽きやすい味だったり、材料が安定供給されないことなどが分かったり、別の問題が発生し、問題を解決しながら3人でなんとか実践レベルまで達した。




3人での最終のメニュー会議で、進藤の提案によりホワイトソースのオムハンバーグコロッケが追加され、スーラータンメンがお蔵入りになった。


やはり男性票は強い。


少しでもヘルシーにするため、泉はホワイトソースを豆乳入り、ハンバーグを豆腐にした。







そして、対決当日を迎える。




森井コックは、最強のカードを用意していた。




・ラーメン チャーハン(チャーシュー大盛り)


・ガーリックソース唐揚げ定食


・ビックとんかつ定食




「俺は半ラー半チャーだな」


「こら!進藤くん、よだれ垂らさないの!」




泉は、


・ササミの大葉巻き揚げ、梅ソースがけ


・サワラとアボガドの黒酢餡かけ


・ホワイトソースのオムハンバーグコロッケ




対決は、3日間の出た数で決められた。




一日目は半ラー半チャーが圧倒的に強かった。


逆に、二日目はサワラとアボガドの黒酢餡かけが、アボガドの珍しさにたくさん出た。


そして、三日目はほぼ同数だった。


きちんと数えるまでは分からない。




最終日、森井、泉、奈津美、進藤、調理師達全員が、固唾を飲んで食券の枚数を数えるのを待つ。




結果、80対80で同点となった。




「コック長が最後の一票を入れたらどうでしょう」


食堂のおばちゃんの一人が言った。


みんなが同意する。




最後なので、コック長は両方を試食した。




そして、泉のコロッケを食べて涙を流した。




コック長は語り始める。




「昔、俺が若いときコックが嫌になった時があった。


社員食堂は、美味しくて当たり前、ちょっとメニューが悪いとすぐに文句を言う。


ある時コロッケばかりを食べてる人を見かけて声をかけたんだ。


他のメニューは食べないのか?と。




すると、その男は言ったんだ。食堂のコロッケを食べると商談がいつも上手く行く。


お前のおかげで、俺たちはご飯が食えてるってさ。




そんなわけないのに、妙に嬉しくなって、コロッケを研究したら、そしたらその男、今度は男爵いもで作れ、だの言ってきたから、男爵いもでパン粉を粗くして揚げたら大喜びして。




その男はもう天国に行ったが、このオムハンバーグコロッケ、食べさせたかったな・・」




「いいか、良く聞け。社員食堂は社員のためにある。


社員の意見を聞き、ベストで働けるように栄養をきちんと補給できるメニューにすること。


そして、社員の心も大切にしろ。


一番大切のことは、自分自身もメニューを作ることを楽しめ。


そのことを忘れないでほしい。」




そう言って、コックはコック長の帽子を脱ぎ、森井に渡す。


森井コックは、すでに涙目だ。




そして、コックの緑色のスカーフを泉に渡した。


泉も眼鏡の奥で目がうるんでいる。




「おれは二人に一票ずつだ。」




かくして、食堂勝負は終わった。




食堂の外には、コック長の退職のお見送りをするために、たくさんの人だかりが出来ていた。


そのなかには、現役員や重役もたくさんいた。




手に抱えきれないほどの花束と感謝の言葉を受けながら、コック長は長年勤めた食堂を去った。







「そう言えば、オムハンバーグコロッケのメニューの時、妙に進藤くんコロッケを入れたがったよね」


「ん?じいに話したら、じいがコック長のこと知ってるらしくて、コロッケを入れろって。あ、じい、今日も来てるらしいぞ」


(絶対コロッケエピソード知ってたよね?進藤くんを勝たせるために助言したよね・・・ずっるぅ。)







そして、泉、進藤、奈津美の3人で、ささやかな打ち上げをする。




「「「かんぱーい!」」」




進藤と奈津美は生ビール、泉はカシスオレンジだった。


(インテリ眼鏡の見た目でカシオレなんて!ギャップgood!)


奈津美はニコニコしている。




「それにしても、同点なんてすごいですね」


「本当にびっくりだよね」


「誰か、細工してないよな~」


さすがに、公開で数えたから不正はないだろう。




今日は、泉がイタリアンを予約してくれたため、まずはマルゲリータを3人で食べる。




「あのイカのパスタ、長美味しかったな~今回は出せなかったけど、次作る?」


「はい、来月の目玉メニューになりました。初日は、奈津美さん・・と進藤さんに来てほしいです」


泉は、奈津美の下の名前を、少し戸惑いながら呼んだ。


奈津美は、弟分が甘えた感じでくすぐったい。




「俺も、奈津美ちゃんって呼んでいい?」


「それは無理。泉くんで、年下でイイ人だからいいけど、進藤くんはちょっと・・」


「お前、泉に甘くないか」


(だって、押しにそっくりだし、ギャップ萌えがつまってるし、甘くなるよ)




「結局、メニュー作成はどうするの?」


「森井さんと半々で一緒に作ることにしました。


今回、自分で作ってみて、オペレーションの大変さが痛いほど分かったので、メニューを一回一緒に作ってオペレーションまで考えようと。


そして、原田さんのメニューは、俺も一回見て手を入れる必要があるところは入れて良いと言ってくれました。」


「へー、良かったな。今度から、食べたいものがあれば、お前に直接リクエストすればいいもんな」


へへへっと、進藤が笑う。


「もう、進藤くんの言うこと聞いてたら、お子さまメニューばっかりになりそうだよ」


追加の赤ワインを飲みながら、3人で楽しく笑った。







13時45分の食堂。


もうコック長はいないが、順調に食堂運営は回っているようだ。




「ご無沙汰しています。コロッケ定食お好きですね」


ランチ対決の言い出しっぺのおじさんと久しぶりに会った。




「こんにちは、山下さん。


コロッケを食べると商談が上手く行くって、私の父親がいつも言っていてね。


自分もついつい大事な商談の前に食べるんだ。」


「これから大事な商談ですね。頑張ってください。」




「あ!奈津美さん!」


泉が歩いてきた。


「泉くん、イカのパスタ、美味しかったよ。来月楽しみだ」


おじさんが、泉に一声かけ、遠くの方の席に去っていく。


「ありがとうございます」


泉はおじさんの背中に挨拶をして、奈津美に向き直る。




「奈津美さん、この間はありがとうございました!あ、呼ばれてる、すみません」




泉は、不器用ながらも現場スタッフに習いながら調理も担当するようになり、おばちゃん達と上手くいっているようだった。


おばちゃん達が、泉を見る目は息子を見るように暖かかった。


(おばちゃんも、あのギャップ萌えに気づいたら、絶対ハマるから大丈夫!)




今日も奈津美は、ご飯を食べながら食堂で泉のドジッ子を堪能している。




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