第22話


山下奈津美は、この3日間、エクセルの入力作業をしていた。




過去に、会社、もしくは社員が、違法ギリギリの取引をした取引相手名簿がある。


ドラマだと、この名簿が黒革の手帳にあり、美女がその手帳をもとにお金をふっかけていく。




が、現実では、会社が先にその手帳を手にし、取引相手の弱みを握って、その黒革の手帳の効力を無効化していく。




今奈津美が入力しているのは、取引相手の弱みリストだ。


これにより、違法性を指摘して、会社に取引をしようとする人間を押さえることができる。




(ハニートラップの多いことで)




奈津美のいる鶴安商事では、数年に一度、ハニートラップに引っ掛からないための研修がある。


女性からしたら、アホか、と思うような内容だが、これだけ引っ掛かっているなら、必要なのだろう。


奈津美のような男性を色仕掛け出来っこない女性には、全く理解できないわけだが。




「あれ?この5年間、抜けてます。どこか別に保管してます?


それ以外は全部入力したんですけど・・・」


この業務の指示をした貫田に尋ねる。




「それがね、その時の手帳が、行方不明なんだよ」




今から15年~10年前の違法ギリギリの取引や、反社との取引などを記した手帳が、かつて存在した。


しかし、ある男性社員が退職時に持ち去ってしまった。


もちろん会社はすぐに取り返そうとしたが、自殺をしてしまった。その手帳をどこかに置いて。




そのまま、その手帳が世の中に出回ることはなかった。




「でも、今になって、存在している可能性が出てきたんだよ」


「え?」


奈津美は嫌な予感がした。


「入力終わったんだよね?山下さんに次の業務ね」


「捜索ですか?」


「接触してほしい人物がいるんだ」


「誰ですか?」




「銀座のクラブのホステスさんが持ってるみたい」




「えっと、私にホステスをやれ、と?」




「そう」


ニコニコした笑顔で答える貫田には、悪気はなかった。




奈津美は思う。


(あの服無理)




「いやいや、逆ハニートラップの方がいいのでは?」


「それはもうやったよ。」


逆ハニートラップをやったらしいが、警戒心が強く全くひっかからない。


家に侵入したいのに、無理だったらしい。




「でも私、本当にそういうお色気とか苦手ですよ。


採用されないのでは?」


奈津美は自分の体を見る。




「明日の夜に一応オーナーさんと面接があるけど、山下さん化粧したら綺麗だし大丈夫だよ。


今日は今からお洋服買いに行ってね。


経費で全部落ちるから、好きなの買って」




「不安で死にそうなんですが」


「変な男に絡まれないように、ボディガードつけてるから大丈夫だよ」




(いやいや、男に付きまとわれる不安なんて、全くしてないです。


使い物にならない不安しかない)




奈津美は、午後から迎えに来たボディガードこと、監査部の行成と一緒に服を買いに行った。




※※




「なっちゃんホステスになるのね!」




行成は、監査部のエリートで見た目は厳つい男だが、心は乙女だ。


2人の時は、打ち解けたオカマ口調になる。もちろん社内では奈津美しか知らない。




「私も体が女だったら、一回はやってみたかったわ~」


厳つい男から、ハートが舞っている。




「行成さんは上手くやりそうですね。だけど私は無理です、マジ死ぬ」




「一回ドレスを選んでみたかったのよ!乙女の夢ね!これなんてどう?」


「・・・・胸がね、控えめなんですよ私。その空間どうするんですか」




ボイン用の谷間を見せつけるドレスを選ぶ行成に、青筋を立てる奈津美。




ドレスを選ぶのは、女性にとっては夢だ。


まだ結婚式をしていない奈津美だって、初めてのドレス選びは少しは楽しい。




奈津美は、ややぽっちゃりなのに胸が控えめなため、どこを出すか迷ったが、店員のアドバイスにより、少しムチムチの腕と足を出すことにした。




薄いピンクのサテン布は首から胸元がしっかり隠れているが、逆にノースリーブは内側まで食い混み、脇が見えている。


スカートも通勤服では考えられないような、膝上10センチメートルだ。




「んまー、可愛いわ!ちょっと上品なところが、なっちゃんにぴったり」


行成が女子友として黄色い悲鳴をあげてくれ、奈津美は少しだけ元気が出た。




美容室でメイクとセットをし、銀座のクラブ「絆」に採用面談に行く。


生まれて初めて入るクラブにドキドキする。


シャンデリアと、布張りのソファー、重厚なガラスのテーブルはイメージ通りだ。




まだ開店前だが、準備で忙しそうで、黒服に奥の事務室に通される。


事務室には机とパイプ椅子、たばこの灰皿があり、40歳くらいの元ホスト上がりのオーナーが座っていた。


2、3簡単な質問をされ、面談はすぐに終わった。


人手不足なことがあり、初心者大歓迎、作法は全部教えてくれる、ということですぐに採用になった。




「うちはノルマがなくて、アットホームだからね。まずは楽しんで」


ホスト風の優しい笑顔で、白い歯を見せて迎えてくれた。


(アットホーム、か。ターゲットと早く近づかないとね)




ターゲットは、松山静香。


ホステスとしては、ベテランの31歳。




半年前に、この店にたまたま入った鶴安商事役員に対し、過去にした不法取引について脅しをかけてきた。


この役員は、無視をしていたが、寝覚めが悪いため、この女の弱みを握るように貫田に指示をしてきた。




しかし、貫田の手元にある黒革の手帳の記録には、書かれていなかった。


そう、行方不明の時期の事案だった。




手帳が存在するのか、手帳は存在していなくてもなにか他に証拠があるのか、それともただのハッタリか。




彼女と接触しない限りは、何もわからない。




「はじめまして。山上 冬美です。


初心者です。一生懸命しますので、少しでも役に立ちたいです」


奈津美は、偽名を使うこととし、自己紹介をした。




お水の女性の世界は、思った通り奈津美には馴染まなかった。




まず、オーナーはノルマはないと言ったが、女の子はライバル心バチバチだった。


新人の奈津美は針のムシロだ。




(スクールカーストの最上位みたいな可愛いひとばっかりで、人種が違う)


そう、奈津美とは人種が違う人ばかりで、話が合わない。友達ができなかった。


完全に場違いで、初日から壁に成りたいと思った。




しかし、仕事だからと心を無にし、見習いをしながら時間が過ぎるのを待った。




初日の営業時間が終わった。


奈津美は、やることがないので、部屋の片付けを手伝った。




「あら、新人さん、しなくていいのに」


机を拭いていると、声をかけられる。




「いえ、私今日、何もできてないので」


「ふーん、あなた変わってるわね」


「!」


顔をあげると、ターゲットの松山静香だった。




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