手からこぼれる打ち上げ花火③

 花火大会の翌週の土曜日、私は藤木さんの自宅に招かれた。

 彼女は鵜の木に住んでいる。小さなマンションだけどオートロックが備え付けられ

ていて、隣にはセブンイレブンがあるから便利で安心して住めるマンションだ。藤木

さんの部屋は最上階――最上階と言っても五階なんだけど、鵜の木では見晴らしが良

い物件だと彼女は言った。その通りで、彼女の部屋からは武蔵小杉の高層マンション

群が一望できた。

 藤木さんは冷蔵庫から取り出した木製のボウルをテーブルに置く。四人掛けのテー

ブルには、彼女お手製の料理が並んでいた。

「ちょっと待ってな。あと少しで、穂乃香さん到着するみたいやわ」

 彼女の言葉の通り、三分もしないうちにインターホンが鳴った。モニターに映った

のは、穂乃香さんの顔のアップだった。

 しばらくして藤木さんの部屋のチャイムが鳴り、藤木さんが出迎える。

「おお、雫ちゃん。先週はごめんな~」

 穂乃香さんは笑顔で言う。

「大丈夫ですよ。風邪だったそうですね」

「そうなんよ。楽しみにしとった日に風邪ひくなんて、もったいないわ」

「来年もどこかの花火大会に行きましょう」

「せやな」

 初めて猫とまたたび以外の場所で穂乃香さんと会う。いつも拓さんと俊さんをいじ

っている姿ばかりを目にしているせいか、今日の穂乃香さんはいつも以上にキュート

に映った。

 穂乃香さんはバッグを置きながら言った。

「おっ、藤木さん十八番の春雨サラダやん。私、これめっちゃ好きやねん」

「そう言うと思って、たくさん作って置いたよ」

 だからか。三人分にしては、ずいぶん量が多いなと思っていた。

 私たちは藤木さんに促され、テーブルにつく。

「二人とも、泡でええか?」

 私たちは頷く。

 今日は猫とまたたびがお休みだから、藤木さんの計らいで女子会をやることになっ

た。どうやら今日、拓さんは所要があるらしい。

 乾杯をして、スパークリングワインに口をつける。

「昼間っから飲むのって、ええな」

 穂乃香さんはグラスの中身を見つめながら、しみじみと言った。

 一方で、私は藤木さんの料理の腕に驚いていた。理沙を始めとして、何度か友達の

自宅で開かれた女子会に招かれたことがある。私が知っている範囲内の料理のレベル

より、藤木さんの腕はかなり上を行っていた。

 素直に思ったことを言う。

「どの料理も美味しいですね。特にこの春雨サラダ、味わい深いというか、ついつい

手を伸ばしてしまう味ですね」

 藤木さんが何か言う前に、穂乃香さんが口を開く。

「せやろ。このサラダな、絶品やねん。あの拓さんも美味しい美味しいと連呼して食

べとったくらいやからな」

「分かります。箸が止まらなくなりますよね」

 藤木さんは恥ずかしそうに言う。

「二人とも褒めすぎや。褒めても何も出さんで」

 こんな調子で、しばらく藤木さんの料理を褒めることが続いた。

 西日が部屋に差し込んだため、藤木さんがレースのカーテンを掛けるために立った

時だった。穂乃香さんが話題を変える。

「雫ちゃん、俊さんとええ感じってホンマ?」

 ワインを口にしたタイミングで言われたものだから、思わずむせてしまった。

 涙目で私は言う。

「そんなんじゃないですよ。どうしてそうなるのですか?」

「俊さんと手つないで歩いとったらしいやん」

「どこから聞いたのですか」

「風の噂や」

 藤木さんに目を向けると、彼女は舌をペロッと出しておどけて見せた。

「皆とはぐれてしまった私を、俊さんが探しに来てくれたんです。人が大勢いたから

再度はぐれないように手をつないでくれた、それだけですよ。それ以上でもそれ以下

でもありません」

「花火の日はそうかもしれんかったけど、まあ手つなげてよかったやん」

「どうしてそうなるのですか?」

 藤木さんには私の気持ちはバレたけど、穂乃香さんは私の気持ちを知らないはず。

「猫とまたたびでの雫ちゃんの顔見とったら分かるで。バレバレや」

「そうなんですか?」

「せや。俊くん見る時の目が、春の頃と全然ちゃうねん」

 穂乃香さんと私の間には、いつも藤木さんが座っている。だから、彼女には何も気

づかれていないと思った。

 藤木さんが言う。

「猫とまたたびで一番怖いのは穂乃香さんやで。雫ちゃん、知らんかった?」

 私は首を横に振った。

「まあ、裏番みたいなもんや」

「ちょっと藤木さん」

「裏番みたいと言うより、完全に裏番やな」

「もう」

「雫ちゃんも知っとると思うけど、穂乃香さんは看護師さんや。一日何十人もの患者

と向き合っとるから、私たち会社員より人の機微には敏感に反応できんのや。心の中

見透かされとるみたいで怖いやろ。だから、拓さんも俊さんも頭上がらないねん。小

柄で一見したら小動物みたいやけど、中身はライオンや」

「ライオンちゃうで、藤木さんが大げさに言うとるだけや」

「ライオンや。知っとるか? 穂乃香さんには一五歳下の彼氏おるねん。しかもな、

外資系ファームで働いとる有能な子や」

「一二歳しか離れとらん」

「一五も一二も、たいした変わらん」

 私は笑いながら二人の話を聞いていた。穂乃香さんの彼氏の話は初めて耳にしたが、人の心の動きを細かく察することができる彼女に惹かれる理由が分かる気がした。

 穂乃香さん横にそれた話を戻す。

「まあ、私が言いたいのは、雫ちゃんには上手く行ってほしい。それだけや」

「ありがとうございます」

「私も心配しとったんやで。春に猫とまたたびで見かけた雫ちゃんは生気がなくて、

風でも吹いたら飛ばされそうやった。だけど、徐々に元気になって、新しい趣味を見

つけて、どんどん生き生きしてきた。私も嬉しかった。でも、これで満足してほしく

ない。また旅に出てほしいねん」

「旅?」

 藤木さんがほほ笑んで言う。

「穂乃香さんがよく使う表現や」

 バトンを受け取ったように、穂乃香さんが話し始めた。

「せや。旅って目的地があるやろ」

 私は「はい」と頷く。

「人生もそれと同じやと思うねん。大小は別として何か目的を持って日々を生きてほ

しいと思うとる。ただただ、日々の仕事に流されるように時間を過ごして、仕事をこ

なすエネルギーを補給するためだけごはんを食べて寝るような人生を送ってほしくな

いんや」

 穂乃香さんはワインを一口飲んで、続ける。

「私な、猫とまたたびのまたたびってな、また旅、って解釈しとる。猫のように気ま

ぐれかもしれないけど、また旅に出ようって。どこか行きたい所に気の向くまま進も

うって。そう考えると、猫とまたたびの店名って素敵だと思わん?」

 また旅、か。確かに素敵な響きだ。

「そうですね。猫とまたたびで美味しいもの食べて力を養って、また新たな目的地に

向かって旅に出よう。そう考えると、素敵な店名ですね」

「せやろ。だからな、雫ちゃんには何も恐れず前に進んでほしいんや」

 彼女の力強い言葉に、胸が熱くなる。

 私の周りには、こんなにも応援してくれる人がいて、こんなにも私のことを考えて

くれる人たちがいる。仕事だけじゃなく、もう一度恋愛を頑張ろうと決意した私の心

を優しく押してくれる言葉をくれる。

 私は言う。

「私、頑張ります。怖がらずに頑張ります」

「せや、その意気や。そして、藤木さんもな」

 穂乃香さんの切り返しに、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしたまま固まる藤木

さん。

「私は、今のままでええんよ」

「何言うとる、ええかげんにしとき」

「ええじゃん」

 困った顔の藤木さんを見て、私たちは笑う。

 藤木さんと拓さんの関係がどうなるのかは私には分からない。穂乃香さんのように

叱咤することもできない。だから、私は見守ろう。そして自分の恋を頑張ろう。

 レースのカーテンの隙間から漏れた茜色の光がカーペットを照らす。

 その温かな光のように、部屋には柔らかな笑い声が満ちていた。

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