第5話 石の話-4


 ある日、その少年は啓志が研究所として使っていたボロアパートにやってきた。


 トントン、という扉を叩く音に、またいつもの何某の勧誘かと啓志が荒っぽく扉を開けると、そこに見慣れない少年が立っていた。


「!??」


 思いがけない来客に啓志が戸惑っていると、少年が手にしていた古いラジオを差し出した。


「おいちゃん、これ直せる?」


「えぇ?」


 よく見ると……SOMYのスカイセンサーじゃないの。


「なんだ、またずいぶんと懐かしいラジオ持ってるなぁ」


 啓志は思わずそう言うと、その少年からそのラジオを受け取った。


「ねぇ、これ直せる?」


 少年は、啓志の顔を覗き込みながら再び聞いてきた。


「うーん、ちょっと直せるか分からんなぁ。分解してみないと……っておい!」


 ラジオをくるっと回して背部を見ながら啓志がそう答えていると、少年が「おじゃまします!」と元気に挨拶しながら部屋に上がり込んできた。


「ちょ、ちょっと、人んちに勝手に上がったらダメだって!」


「ダメなの?」


「いや、だって!」


 そんな啓志を少しも気にせずに少年はずんずん奥に進んで……突然声をあげた。


「し、死体!?」


 啓志が目をやると、人形の前で少年が立ちすくんでいた。


「ちがう、ちがう。それはロボットだよ」


 やれやれという風に啓志が頭を振って、彼に近づく。


「話しかけてごらん、会話が出来るから」


 啓志がそう言って、電源のトグルスイッチをパチンと入れる。

 少年は、目を見開いたまま人形に顔を近づけた。


「すごい。本物の女の子みたい。とっても綺麗だ!」


 そう言って目を輝かせている。


「かわいいだろ?」


 自分の娘が褒められたような気がして嬉しくなった啓志は、思わずそんな言葉を口にして、咄嗟にしまったと思う。だが、少年はてんで気にしていないようだ。


 それよりも、人形が気になって啓志の言葉が耳に届かないらしい。


「こんにちは!」


 カクンカクンと少しだけ上半身を震わせて、人形が動き出す。


「コンニチハ。アナタは誰ですか?」


「僕はねー、ショウ! おじちゃんにラジオ直してもらうんだ!」


「それはオモシロそうですね」


「そうだよ! 面白いんだよ! そうだ、君の名前なんていうの!?」


「わたしの名前は……です」


「ハルカ! ハルだね! よろしくね!」


 啓志は、なんだか妙に新鮮な気持ちでそのふたりのやりとりを見つめていた。


「あ、そうだ! そういえば、このラジオをどうするんだって?」


 少年がここに来た理由を思い出して、啓志が少年に尋ねる。


「そうそう、そのラジオが聞けなくなっちゃったから聞こえるようにして欲しいんだ」


「うーん。俺もこんな古いラジオはなぁ。ってか、なんで俺のところに持ってきたの?」


「だって近所で有名だよ、なんでも知ってる博士みたいな変なおっさんがいるって!」


「博士みたいな変なおっさんて……」


 そう言いながら少年を見ると、彼はじっと人形を食い入るように見つめている。


「それにしてもすごいねぇ」


「なんだ、ロボットに興味あるのか?」


 ラジオを傍らに置いて、啓志が少年に話しかける。


「うん! だってハルはすごいよ! かわいいしお話できるし! こんなロボット見たことないや!」


「そうか。なんだ、センスいいじゃないか」


 ハルカを褒められて気分を良くした啓志は、冷蔵庫を覗いて虎の子のプリンを彼に差し出す。


「食うか?」


「いいの!?」


 少年は目を輝かせて言った。


 それからラジオを分解しながら色々と少年の話を聞いた。


 ラジオは父親の形見であること。兄弟はいるが皆苗字が違うこと。

 母親と二人で暮らしているが、毎日仕事で深夜まで家には居ないこと。


 人形と話をしながら、そんな話をぽつりぽつりと話す。

 意思でそうしているのか、機能的反射的挙動なのか。ハルカもコクンコクンと小さく頷いている。


 そんな光景を見ながら啓志は思った。


「この部屋で、こんな光景を目にする日が来るとはなぁ。」


 それから彼は、夕日が差し込むまで部屋にいた。


「また来てもいい?」


 帰り際、修理の終わったラジオを抱いた少年は少しうれいを帯びた眼差しを向けながら啓志にそう聞いてきた。


「もちろん。次はちゃんと母ちゃんに言ってから来るんだぞ」


 啓志がそう言うと、少年ははっとした顔をして啓志を見た。


「わかった!」


 それから少年は暇を見ては啓志の家に訪れるようになった。


 その後、数年で小学校を卒業して中学に入学したのち、学費が工面できないという理由で高校進学を諦めようとする翔と母親を必死で説得して、学費を工面する代わりに勉学に励むよう伝え、無事に県立の工業高校へと進学した。思春期の只中にあっても、彼は啓志の部屋に通い続けた。


 そして優秀な成績を納め続けた結果、国立の大学への推薦入学を果たし啓志の行っていた研究に付随する研究で数々の賞を受賞するような、大変優秀な研究者として育っていた。


「何もかもおっちゃんのお陰だよ。本当にありがとう」


 大学卒業の日、かつての少年は啓志に言った。


「いいや、すべてお前の努力の結果だよ。大したもんだ」


 啓志は心からそう思っていた。

 彼と血のつながりは無くとも、自分の息子が一人立ちしたかのような喜びを感じていた。


「だけど、おっちゃんと俺がこれだけ研究してきてもハルカを動かしてる『球機』のシステムはさっぱりだもんなぁ。」


「まったくだ。本当に調べれば調べるほど不思議でしかない」


「どこの誰が、何の目的で作ったものなんだろう」


 そんないぶかしがる啓志と翔を横目に、ハルカは相変わらず涼しい顔をしている。



◇◇◇



 啓志は、翔にこれまでの研究結果ややり残したことなどを伝えると、安心したのか眠るように不帰の客として旅立っていった。


「まだこれからじゃねぇか、おじちゃん!」


 残された翔は、暫く何もできない日々が続いた。

 しかし細々と研究を再開して……やがて寝食を忘れてその研究に没頭していった。


 変人と言われても、ごくつぶしと罵られても、そしてその日の食事にも事欠く有様となっても、たった一人研究に没頭し続けた。


 そして、数十年が過ぎたある日、彼はその自身の最期の日に、あの堤防にやってきた。

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