第53話 マウソリウム攻防戦ー2


――なぜ、トロールがあんなものを……


 眼下の喧噪のなか、魑魅魍魎ちみもうりょうたちの中心に立っている大トロールをじっと見つめているヴォルグに臣下たちが再度叫ぶ。


「ヴォ、ヴォルグ様! ど、どうかお逃げ下さい!!」


 と、臣下たちの声とは別の方向から絶叫が聞こえた。


「ま、魔王軍が神殿に侵入したぞー!!!」


 ヴォルグがその声の方を向くと、地上から地下聖堂へと延びる大回廊いっぱいに突き進む魔王軍の群れが見えた。


「も、もうダメだ!」


 痩せて、栄養失調で髪の毛もまばらになった兵士や避難民たちが口々に悲鳴をあげる。


「ぎゃははー、殺せ! 殺せぇー!!」


「皆殺しだぁ! ぎゃーははははは!!!」


 魔物たちが奇声を上げながら、黒い津波となって怒涛の如く押し寄せてくる。


「お、お逃げ下さい、ヴォルグ様! もうここは! マウソリウムは持ちませぬ!」


 臣下が絶叫する。


「……ここまでか」


 絶望的な光景を見つめながら、ヴォルグが剣を抜く。


「せめて一太刀。一矢でも報いてみせる」


 そう言うと、剣を掲げてひらりテラスから身を投げた。


「ヴォ、ヴォルグ様!!」


 そう叫ぶ声を背に、ヴォルグは小さく呟いた。


「先代の王たちよ。どうか私に一人でも多くの民を救うチカラをお与え下さい」


 そうして、魔王軍と人と人外が入り乱れる喧噪の渦中に消えていった。


「た、た、頼むっ!」


 トロールの脇から身をひねり出した『腕なしのタンバリン』が絶叫する。


「こ、この魔法弾をお、俺にくくりつけてくれ、たのむ!」


「な、なんだ、急にどうしたんだ!?」


 仲間の人外たちがタンバリンの周囲に集まる。


「ま、魔王軍がいるんだよ! お、おれのカタキの!!」


「な、何百年も、う、恨んでた。か、仇が目の前にいるんだよ!」


 どす黒い魔王軍の群れのなかに、ひときわ目立つ紫色の魔獣が居た。

 その魔獣を指さして睨みつけながらタンバリンが絶叫する。


「敵討ちをさしてくれよ! た、頼む!!」


 タンバリンが必死に指差す魔獣が、はたして数百年前に彼の家族を皆殺しにした魔獣なのかは誰にも分からない。しかし、赤い涙を流して懇願するタンバリンにトロールが言う。


「奴に、魔法弾をくくりつけてやれ」


「し、しかし王さまよ! そしたらヤツは死んじまう!」


 トロールは、目の前に真っ黒い津波のように押し寄せる魔王軍を見つめながら言った。


「どうせ、我々は今日ここで死ぬ。せめて思い通りにさせてやれ」


 タンバリンは、そんなトロールを見上げて言った。


「あ、ありがてぇ。これでか、家族の敵討ちがやっと出来まさぁ」


 数百年前に目の前で家族を皆殺しにされたうえ、自身は両腕を切り後されて便所壺に放り込まれた。そして、便所壺にかけられた呪いの加護で死ぬことも出来ぬまま封印されてきたタンバリン。


 その垢と血のり油にまみれた胴体に、ガットがグングニルと共に置いていった『ホーホの魔法弾』が、足元に落ちていた泥だらけの麻紐を使ってわかれた。


 トロールが黙って魔法弾の起動装置、マジック・イグニッションをタンバリンに手渡す。


「こ、これでやっと奴らにい、一矢報いることが出来る」


 タンバリンは、まるで怪物のように偏倚へんいした顔にめいっぱいの笑顔を浮かべてトロールたちの方を向いた。


「い、いままで、あ、ありがとう」


 そう言うと、割れた漬物岩をひと蹴りした。


「と、父ちゃんもやっと、今そっちにいくぞ」


 そう呟くと、タンバリンはわぁーと時の声を上げながら魔王軍に向かって一直線に走っていき、やがてバーンという乾いた音が聞こえた。


 その光景を見ていたトロールや人外、人間たちもしばし立ちすくんだ。


「さぁ、我々もタンバリンに続いて……」


 トロールが静かにそう言いかけた時、魔王軍の方から大きな笑い声がし始めた。


「ぎゃーっはっはは、なんだあの汚ねぇ花火はよぅ!?」


「汚ねぇいもむしがハジけやがった! ぎゃっははは!」


 その笑い声を耳にした人々が、人外たちが静まり返っている。

 一部始終を見ていたヴォルグも、じっと黙っている。


 と、ギリギリと耳障りの悪い異様な音があちらこちらから聞こえ始めた。

ヴォルグがその音の方をみると、それは人外たちの怒りの歯ぎしりの音だった。


 トロールもすさまじい歯ぎしりをしている。

 彼が握りしめる棍棒が、腕力で溶けた飴のように変形している。


「臭ぇ汚ねぇ花火をよ? てめーらもっと咲かせろよ!?」


「ぎゃはっはっは!!!」


 魔王軍からの罵声を耳にしたすべての人外たちから、凄まじい怒気がこみ上げている。


 静かに、異様なほど静かに落ち着いた声でトロールが言った。


「ここで静かに死んでやるつもりだったが、やめた」


 そして棍棒を頭上に掲げ、大聖堂の壁がビリビリと震えるような大咆哮を放つ。


「タンバリンの弔い合戦だ!!!」


 そして魔王軍に向かって突進を始めた。


「魔王軍をぶっ殺せー!!」


「おおおぉー!!!」


「お、王さまに続けー!!!」


 凄まじい咆哮をあげて、他の人外、大小を問わず魑魅魍魎ちみもうりょうたちも魔王軍に向かって突進しはじめた。その怒号と突進の振動が大聖堂を揺らす。


「お、俺も行くぞ!」


「お、おぅ、最期に俺たちの誇りを見せてやるんだ!!」


 タンバリンの突進と人外たちの見事な突撃に、疲労困憊して恐怖に身を縮めていたマウソリウムの人々や兵士も高揚を抑えることが出来なくなる。


 なぜなら彼らの勇猛な背中に、彼らが便所壺からい出てきた魑魅魍魎ちみもうりょうであることを遥かに凌駕する崇高な存在を見たからだ。


「じ、人外に後れをとるな!」


「そうだ、お、俺たちの意地を見せてやれ!!」


「最期の名誉だ! 刺し違えてでも魔王軍をぶっ殺せぇ!!!」


 そうして口々に雄叫びを上げながら、人々も魔王軍へ最期の突撃を始めた。


 そのあまりの勢いと気迫、それらによって生じる地鳴りのような突撃の咆哮にあっけにとられる魔王軍の後方から、これまた尋常でない突撃ラッパの咆哮と突進の轟音が響き渡る。


 それは、それまでパニバルの結界によってマウソリウムへの侵入を阻まれていたラウリス国軍の精鋭たち、アルドコル率いる旅団ブラックモスの兵士たちであった。


 彼らもまた、手出しの出来ぬ歯がゆさの極みにあったが、グングニルによってマウソリウムに張られた結界が破壊されたことにより、遂に城壁の内側へ突入することが出来たのだ。


 凄まじい剣技で魔王軍を蹴散らしながら、ラウリス軍も猛進する。

 従軍していた魔女イライザとコシュカも、各々めいっぱいの防御魔法で応戦する。


 その中から全身をプレートアーマーで覆った、ひときわ大きな体躯の兵士が棍棒を振り回すトロールのもとへやってきた。


 全方位で展開する阿鼻叫喚の白兵戦の只中であるにも関わらず、トロールに向かってバイザーを上げて一礼する。


「これは、マウソリウム先代王ゴッザム殿とお見受けする」


「なぜ、その名を……」


 トロールがその兵士を凝視する。

 その名を聞いて、トロールの傍らにいたヴォルグが目を見開く。


「……え? 先代王?」


 飛び掛かってきた魔物を片腕で両断しながら、その兵は言葉を紡ぐ。


「名乗り遅れましたが、私はアルドコル。ラウリス王ランゲルド様の勅命を受け、この地に参りました」


 そう言いながら、ヴォルグを後方から刺し貫こうとしていた魔物を剛腕でその剣ごと殴り飛ばしながら一礼する。


 ぎょっとした顔を見せるヴォルグとトロール、マウソリウム先代王ゴッザムを見つめながらアルドコルは言った。


「さすがの私もこの街を覆う大結界に手をこまねいておりましたが、さすが『伝説の槍』。フェルメーナ様の予言通り、見事すべて間に合うタイミングで私をここに誘ってくれた」


 ブォンブォンという小気味よい風切り音を立てながら長剣を振り回し、アルドコルが咆哮する。


「時は来た。在るべき場所へ、いざ猛進しましょうぞ!!」


 人外と人間による凄まじい波状攻撃に、マウソリウム攻略を厳命された魔王軍第二軍の精鋭たちもさすがに押され始めた。


「デゥ様、このままでは軍は持ちませぬ!」


 四方八方からの攻撃と多数の犠牲者の発生に混乱を来たし始めていた魔王軍に、第二軍総司令官の悪魔大元帥デゥも増援の要請と撤退の許可を求めざるを得ない状況となっていた。


 しかし、魔王城からの命令は非情にも『玉砕を以て魔王様への忠誠を示せ』であった。


 マウソリウム攻略戦が始まってから五年もの間、魔王軍第二軍も凄まじい犠牲を払いながら増援や補給を受けることなく攻撃を続けてきた。そして、遂にマウソリウムの人間どもを地下大聖堂へ追い詰めることに成功した。


 ようやく勝利の光明が見えたと思った矢先の、この有様である。


 人外に、人間に圧倒的物理量で攻撃を受け続け、さしもの魔物たちからも悲壮感が漂い始める。全滅まであとどのくらい持つか。


「……これまでだな」


 事ここに至り、遂に観念したデゥは攻撃隊長のブルデンに指示を出す。


「魔砲信管と増幅装置をすべてここに集めろ」


「ま、魔砲信管を? す、すべてですか?」


 ブルデンが聞き返す。


「そうだ。今ある魔砲弾とそれに付随する魔女の捕虜たち、すなわち増幅装置をすべてここに集めて一斉点火させ、この地下大聖堂ごと破壊する」


「ここが崩落すれば、上部にある街も一緒に崩れ落とすことができる」


 その命令に、ブルデンはそれが自爆による玉砕の指示であることを理解する。


「わ、分かりました。我が軍に残存するすべての魔砲弾と増幅装置をここに移動します」


「移動完了次第、速やかに点火だ」


「は、はっ!!」


 ブルデンは右往左往している魔物たちをかき集め、急ごしらえの突進隊を結成して弾薬庫としている園庭の倉庫へと走った。


 魔物と人外と人間が入り乱れての白兵戦により阿鼻叫喚の地獄絵図と化した大聖堂を見渡しながら、デゥは静かに目を閉じた。


「大魔王ラッテンペルゲ様への忠誠の証を、我らが死を以ていざ示さん」



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