第52話 マウソリウム攻防戦ー1


 ところで、ガットが咆哮したのと同じ頃、ラウリスより遥か西方の墓廟都市マウソリウムの地下大聖堂でも大変な騒ぎが起きていた。


 ここマウソリウムも魔王軍による侵攻を受けていたが、堅固な城壁と守りに苦戦を強いられることを予見した魔王軍第二軍が、周辺を完全に包囲したうえで城壁内の人間たちを飢餓へ追いやる「兵糧攻め」を行っていた。


 それはすでに五年もの間続いており、マウソリウムの人々は大変な困難と飢えのなか、己が尊厳と自由を守るために絶望的な戦いを続けていた。


 しかし、食料や武器の圧倒的な不足に加えて慢性的な栄養失調による疫病の蔓延や極度の飢餓により、城内は地獄の様相を呈していた。


 それでも絶対に降伏は出来なかった。


 なぜなら、魔王軍の侵入を許せば間違いなく皆殺しになるからだ。更に、降伏すれば徹底的な蹂躙と破壊、そしてホロドモールが待ち受けているだろう。なにより、長きに渡り世界の安定と安寧に寄与してきた心の依代よりしろ、原点として人々の心の故郷であったマウソリウムの火が消える。


 ラウリス領主ランゲルドは、フェルメーナの助言もありアルドコル率いる旅団ブラックモスを援軍として送り込むも、マウソリウムを取り囲む堅固にして強大な大結界に阻まれ、彼らは未だ結界外より懸命の突入を試み続けていた。


 マウソリウムの人々は孤軍奮闘、四面楚歌の状況のなか、驚異的な粘り強さで決死の抵抗を試み続けてはきたものの力尽き、マウソリウムの街はついに陥落しようとしていた。


 街の人々は、飢餓でやせ細りガクガクと震える足を互いに必死にさすり合いながら街中の地下に張り巡らされた下水溝や古い坑道などを伝い、必死の移動の末に地下深くの大聖堂に集まり身を寄せ合っている。


 ここに集まって、最期の祈りを捧げよう。

 そう悲壮な想いを胸に、聖母の像に皆が集まり終焉の祈りを捧げていた。


 そして……祈りを捧げる人々の足元遥か地下深く。


 数百年前、あるいはそれ以上前に放り込まれてから死ぬことも出来ず、人外として真っ暗闇のなか手さぐりで生きてきたトロールやその仲間たちが頭上の惨状を認識していた。


 いや、させられていた。

 そういう呪いなのだ。


 見えないのに、触れることすらあたわないのにすべて理解させられる。

 

 味方が、家族が飢えて死んでゆく。同胞が殺されていく。

 加勢してやりたいのに手も足も出せない地獄。


 皆、歯ぎしりしながら天井の岩ピックレッド(漬物岩)を睨んできた。掘削あるいは破壊を試みようと便所壺の底で三百年間抗あらがい続けてきたが、この岩に触れることすら出来ていない。


 だがそんな中にあって、畜生と唸るタンバリンが足の指で握りしめていた、使い古された小汚い鉄の棒が突如ぶるんと震えたかと思うと、ぶわっと浮力を得て中空へ浮いた。


「ひやぁ!」


 そのはずみで、タンバリンがタンバリンらしからぬ声を上げてひっくり返る。


「どうした?」


 トロールたちがタンバリンに近づくと、タンバリンの目の前で鉄の棒が浮いていた。


 それは五年前にガットが置いていった鉄の棒、グングニルだった。

 目を凝らすと、淡い光を放つその鉄の棒の傍らに小さな子供が立っている。


 タンバリンも、トロールも、その他の人外や魑魅魍魎ちみもうりょうたちもその子供に目が釘付けになる。


――何百年ぶりに見た、子供だ。


なんて、なんて、かわいいんだ――。


 その女児のいで立ちに、とうにこの世を去ったであろう我が子や身内の子供らを想い出して涙を流す人外たちの傍らから、タンバリンが声を掛ける。


「な、なんだ、嬢ちゃんは? ど、どこからこんなところに……」


 すると、その女児は振り返りながら言った。


「あれを救ってくれたこと、感謝する」


 そういうとふっと女児が消える。

 そして、彼女か消えた付近の中空から声がした。


「私は在るべき場所に戻る」


 次の瞬間、鉄の棒がズドンと音を立ててぶわっと周囲の埃を巻き上げながら上昇を始めた。


「お、王さま、こりゃいったい……」


 腕なしのタンバリンが、皆から「王さま」と呼ばれている大トロールに尋ねる。


「よ、呼んでるんだ。あ、あいつが呼んでいるんだ」


 そう言ってトロールがグングニルに触れようとするが、それに構わずグングニルは上昇してゆく。


 皆の目が、上昇するグングニルを追いかける。


 グングニルは直上にある便所壺の蓋として置かれている、漬物石と呼ばれる不動の巨岩ピックレッドにこつんと当たる。


 しかし、上昇は止まらない。


 グングニルはゆっくりと、しかしまるでその速度を変えずにピックレッドを押し上げ始める。


――在るべき場所に在るために。


 しかし、便所壺に掛けられた強大な呪詛の力も凄まじく、岩は動かない。

 グングニルがひしゃげてゆく。


「や、やっぱりダメがっ。」


 グングニルを凝視していたタンバリンが、絞り出すような声を出す。


 とっくの昔に諦めていた奇跡を数百年ぶりに微かに感じて、そして数百年そうであったようにまるで動かないピックレッドを見て絶望に取り込まれそうになったトロールが、ふと便所壺の壁面で淡く光る粒に目を留めた。


「……あれは、なんだ?」


「あぁ、あぁ」


 その光を見て、足元の魑魅魍魎たちが小さな小さな手を伸ばして感嘆の声を上げている。心なしか、便所岩の最深部に集められていた肉塊たちからも声が聞こえてくる気がする。


 その光のつぶては、やがて便所壺の壁面を覆う満点の星空のような輝きを放ちはじめた。よく見ると、壁面中に穿うがたれた足場穴から小さなつくしんぼのようなものが見えている。


 そして耳を澄ますと、わずかだが声が聞こえる。


 便所壺の壁中の穴という穴から、「頼む、頼む」と声がする。

 小さな小さな手が伸びている。


「あ、ありゃあ、いったい……?」


 タンバリンが呟くと、トロールが言った。


「あれは……ここに封印された者たちの怨嗟だ。苦しみや悲しみが目に見える形になったつぶてだ」


 そう言うと、トロールが突然叫んだ。


「『槍』よ! 我らが穿うがちし足場穴を使って踏ん張れ!!」


 なぜ、それを『槍』と呼んだのか、トロールには分からない。

 便所壺で、トロールたちの前でガットはあれを『槍』と呼んだことはない。


 分からない。

 だが、もうあれしかこの窮状を救えるものがないことだけは分かるんだ。


 数百年に及ぶ呪いと掘削で巨大な芋のような塊と化した拳を握り締めて、赤い涙を流しながら渾身の力を込めてトロールが咆哮する。


「我らが命に懸けて願いたもう!! その岩を! この便所壺を破ってぐれぇ!!!」


 いつも沈着で冷静な王様、大トロールの咆哮に皆が驚愕する。


――あ、あのどんなときもいつも沈着で冷静な王さまが……


 しかし、その絶叫に彼の本当の想いを知る。

 その声に呼応するかのように、ふわりとグングニルが一瞬墜ちる。


 力尽きたのかと思われた次の瞬間、グングニルが黄金色の光に包まれ、そこから無数の光の足がグングニルから伸びて壁中の足場穴へと突き刺さった。


 その光の足を、穴から出ていた無数の小さな小さな手が掴んでいる。


 一瞬で全ての足場穴に光の足が突き刺さり、再びグングニルが上昇を開始する。

 すぐさまピックレッドに衝突するが……こんどは上昇が止まらない。


 想像を絶する魔力がグングニルに集中してゆく。


 アマリリスに課せられた魔法ロジックのベクトルが、拘束制御から出力増幅制御へとリバーサルし始めたのだ。


使ってくれ、使ってくれ――


 上を、脱出を目指して幾百年、足場穴を掘り続けた者たちの怨嗟えんさの叫びが聞こえる。無数の想いが今、結実する。


 光の足の踏ん張りが、ピックレッドの呪詛に拮抗しはじめる。

 バリバリと凄まじい轟音と振動が便所壺を覆う。


 そのとき、便所壺中に響き渡るようにその場に居た者たちすべての脳内に直接声が届いた。これまで耳にしたこともないような禍々しい声で。


――抗い、絶望し、奪われ続けろ

お前たちには苦しみ以外の一切を与えぬ――


 その場に居た者たちが、目を見開いて漬物岩を見る。


――これは、呪いだ。便所壺の呪詛だ……


 漬物岩から、いや便所壺の壁という壁から凄まじい邪気が噴き出してくるように感じる。その声を聞いて、皆が再びくじけかける。


 しかし、グングニルの上昇は止まらない。

 むしろグングニルを包む光輪が増大、回転が爆速する。


 数百年を生き、まだ人間であった頃には数多の諸国を見聞してきたトロールですら見たこともない、凄まじい構造の柱状多肢魔方陣が幾重にも幾重にもグングニルを包み込む。


 しかし、その魔方陣が漬物岩の接点付近で次々に破壊されていく。


 だが、さすが大魔法アマリリス。

 便所とその蓋に課せられた程度の呪いになぞ、負けるはずもない。


 破壊された次の瞬間には解析を終え、攻性防壁となる別の魔方陣を凄まじい速度で構築してゆく。グングニルと漬物岩の接点が煌々と輝き、幾千の魔方陣が生まれては消滅してゆく。


 そのあまりのすさまじさに空間のテクスチャが崩れているように見え始める。

 時空が歪み、その光景がドット化けしているようにすら見える。


 そして、破壊された呪い魔法が空間に析出されてキラキラと美しい雪のように便所壺の底に降り注ぐ。


「が、がんばれ! がんばってくれー!!」


 下ではトロールやタンバリン、数多の魑魅魍魎ちみもうりょうたちが絶叫している。


 そして、遂にその魔法力の交差点をグングニルが突き抜け始めた。


 上から、下から求められている。

 グングニルはもう止まらない。


――我は必勝の槍、グングニル

――森羅万象の善悪に依らず、在るべき場所に在る


 グングニルが再びピックレッドの岩肌に触れる。

 刹那、質量や魔法、呪詛を突き抜けた圧倒的な『物理力』でグングニルが岩を押し上げ始めた。


 足場穴が、岩肌がメリメリと轟音を立てている。


「そ、そうだ! もっと押せ!! がんばれ!!!」


 皆が絶叫する。


 加速度的に増大してゆくグングニルの凄まじい上昇圧力に、遂に漬物岩が、ピックレッドが持ち上がり始めた。


 数百年、どんな英雄や豪傑が押そうが叩こうが、その岩肌に傷をつけることはおろか微動だにしなかったと言われる、呪詛にまみれた伝説の巨岩がゴリゴリと凄まじい音を立てはじめ、岩の四方に結わいてあった巨綱、女神の四つ編みがゆっくりと張り始める。


 やがて、ズドーンという腹に響く轟音が響き渡り、四方の巨綱がぶぢぶぢと不気味な音を立て始めた。


 グングニルがグングングングン上昇する。


 ほどなくして、岩の四方から大聖堂に灯る蝋燭ろうそくの淡い明りが差し込み始めた。


「ほ、ほ、ほんとに漬物岩を! ベ、便所壺の呪いを破る気なのか!!?」


「に、逃げろ、岩が落ちてくる!!」


 人外たちが悲鳴を上げて便所壺のなかを右往左往しているなか、トロールは仁王立ちでじっと上を見つめていた。


 この衝撃に、地下聖堂で最期の祈りを捧げていた人々も気づき始めた。


「……じ、地震か!?」


 しかし、よく耳を澄ますと地鳴りは大聖堂の床に露出した大岩盤の穴を塞ぐように収められた巨岩からだった。この岩は、どれだけの才華溢れる人間や亜人、魔物すら千数百年動かすことすら出来なかった巨岩だ。


 その巨岩が、ゆっくりと浮き上がり始めた。


「お、おい! ピックレッドが!!」


「ま、まて。た、たしか伝承によればピックレッドは『女神の髪』で編み上げられた4本の大縄で大地に固定されているはずだ!」


「つ、漬物岩がう、浮く!? あ、ありえない!」


 地下聖堂は蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。


 しかし、人々が大騒ぎしている間も岩はゆっくり浮き続け……そして岩を固定していた巨大な縄が突っ張りきってドーンという轟音を立てるが、それでも岩の上昇は止まらない。


 やがてバッゴーン!!! と大きな音を立てて白い煙を噴き出しながら岩は2つに割れて崩れ落ちた。


 人々が唖然としてその光景を見ていると、割れた岩の間から何かが浮き上がってきた。


 それは、鈍い色をした鉄の棒、グングニルだった。


 伝説の武具が纏うような神々しいオーラも無ければ、深い色味もなにも無い。

 どこぞの工房に転がっていそうな、鉄の棒。


 そんなものが、ただ一本。


 痩せこけて、垢まみれの人々の見ている眼前で浮いている。


「な、なんだ……?」


 唖然とする人々がその鉄の棒を見上げていると、その棒は静かに水平から垂直にその向きを変え……突如音もなく上空にぶっ飛んでいった。


 直上を遮る分厚い大理石の天井を、マウソリウムの街を支える岩盤すら一瞬でぶち抜いて遥か高空へすっ飛んでいく。


 その棒が人々の眼前から消えた直後、ドーンという大轟音と衝撃波が地下の大聖堂を、地上の街を、大気を突き抜けた。


 そして、その地殻を、大気を切り裂く超高速から生み出された凄まじい衝撃波に重畳してグングニルから放たれたもうひとつの攻撃魔法「マムズ・アスラッピング(ママの尻叩き)」によって、パニバルが力源となっていたライラの大結界、それと内側と外側の空間境界を隔てていた対人用結界の魔力繊維が一瞬で破砕される。


 進む先の大気を押し切り裂き、圧縮断熱による発光で太陽を遥かに凌ぐ輝度を保ちながら、その動線上の山を貫き大地を吹き飛ばして、必勝の槍グングニルは在るべき場所に在るために飛んでゆく。


「な、なんなんだ……」


 衝撃で吹き飛ばされ、尻もちをつきながら街の人々がそう呟いていると、誰かの叫び声がした。


「う、うわぁ!! じ、地面から怪物が出てくるぞー!!」


 声の方を見ると、さきほど割れたピックレッドの隙間から巨大な手が伸びてくるのが見えた。トロールたちが足場穴を伝い、千切れた女神の髪を握り締めて壁をい登ってきた。


「ト、トロールだぁ!!」


 誰かの悲鳴が聞こえた。


 隙間から、毛むくじゃらの巨大なトロールが顔を出した。

 蝋燭ろうそくや松明の明かりとはいえ、数百年ぶりのまともな光に目を細める。


「や……やっと、やっと届いたぞ」


 そう言うと、トロールが太い腕に力を込める。

 押し広げられた隙間から、沢山の目が見えた。


「ひ、ひえぇー!!」


「ま、ま、魔物だぁ!!」


 それを見た人々が口々に叫ぶ。

 地下聖堂に避難していた人々がパニックに陥った。


 そんな喧騒のなかで、ただ一人その光景を凝視する者が居た。

 いや、正確にはそのトロールに目が釘付けになっている。


「あ、あの者は……」


 巨大なトロールの、真っ黒に汚れた太い丸太のような首にぶら下がっている、小さな小さなブレスレッド。


 間違いない。あれは我が王家のタリスマンブレスだ。


――なぜ、トロールがあんなものを……


「ヴォ、ヴォルグ様! は、早くお逃げ下さい!!」


 臣下にそう急かされたが、マウソリウム国王ヴォルグはそのトロールから目が離せず、その場に立ち尽くしていた。

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